久しぶりにおもしろい韓国小説を読みました。久しぶりにというのは、「おもしろい」と「韓国小説(原書)」両方の意味で、です。
その小説はイ・ギホ(이기호)という作家の「チェ・スンドク聖霊充満記(최순덕 성령충만기)」という短編集の最初に収められている「ボニ(버니)」という作品です。
※<innolife>の記事(→コチラ.日本語)では「バニー」と表記していますが、とりあえず韓国語の発音に近い「ボニ」にしておきます。「バーニー」でもOKかも。
「堪能」というにはほど遠い語学力の私ヌルボでもイッキ読みできたのは、正味33ページという短さだけでなく、それ以上に斬新な文体のゆえです。
最初の1ページを丸ごとコピペして、拙訳を付けてみました。
来たぞ来たぞ、あの娘(こ)が来たぞ、俺を訪ねて来たぞ、事務所に来たぞ、俺らに会いに事務所に来たぞ、あの娘のマネージャーも来たぞ、すげーヤバいクライスラーのミニバンに乗って来たぞ、マネージャーの子分たちも一緒に来たぞ、あの娘が俺らの愛人バンクに来たぞ、半年ぶりに来たぞ、自分を消しに、消しに来たぞ、新入りの娘(こ)たちは浮かれていたな、歌手が来たって、浮かれて舞い上がって、浮かれて叫んで、ところがあの娘は車から降りず、すげー真っ黒なミニバンの窓の中に、固まったように座っていたな、事務所に来たのはあの娘のマネージャー、マネージャーの下っ端ども、マネージャーが言った、俺を見て言った、俺らに言った、大声で脅してまくしたてた、 |
で、このリズム感、自然に歌になってる感じだなー・・・と思ったら、小説のキモもラップ(랩)の話じゃないの。次に一応あらすじを載せておきます。
「俺」は高校生の時国史の試験で「七支刀」と答えるべきところを「サシミ」と答えて先生に馬鹿にされ往復ビンタを受けてブチ切れ、騒ぎを起こして中退し、ポドパン(보도방.愛人バンク)を運営することに。つまり売春斡旋業者。ある日、友人が妹のスニを連れてきて、彼の頼みでどこか体の不自由な彼女をやむなく引き取ることに。「歌だけは上手い」という友人の言葉通り満足に口もきけないスニだがラップでは自分を表現できる。やがて他の娘たちが出払っている時から彼女も「仕事」に出るようになるが、初めの懸念とは逆にスニの評判は(彼女が歌うラップゆえに)高まって店の一番手になる。そんな彼女がある夜ホテルに入ったまま行方不明になる。次に「俺」がスニを見たのは6ヵ月後。TVで見たスニは新世代の女性ラッパー「ボニ」となって登場している。彼女が歌っている歌のタイトルも「ボニ」で、そのラップの歌詞は「움파움파, 너는 버니, 너는 뭘 버니, 돈을 잘 버니・・・(ウンパウンパ、おまえはボニ、おまえは何をボニ(=稼ぐの)、お金をよくボニ・・・)」というものだった・・・。
・・・ということで、その「ボニ」のマネージャーが知られてはまずい彼女の過去を口止めするために乗り込んできたというのが上掲の冒頭の場面。
そして1章の終わりが次の文章です。
俺は考えた、俺は念を押した、俺はボニを知らねえ、ボニというラッパーを知らねえ、ボニの本名がスニというのを知らねえ、スニが俺の下で働いていたことを知らねえ、スニが毎晩旅館に、旅館に出張してたのを知らねえ、知らねえ知らねえ、なんにも知らねえ、ラララララララ ラララララ |
こういう物語の部分、ラップの用語だとバースにあたるのかな? それに対し、フックつまりサビの部分が章の最後に繰り返して置かれています。
俺のあだ名ははバスケット 水を入れれば水が漏れ 米を入れれば米が漏れる 竹で作った軽いバスケット 俺のアタマが軽いから 俺のあだなはバスケット 生まれた時から軽くて軽くて死んでるようだった 俺のあだなはバスケット なんにも知らねえ親父も知らねえおふくろも知らねえ 生きることも知らねえ世の中も知らねえ 誰も俺に話し方を教えてくれなかった それでも俺はこんなに話してるぞ 俺も軽くておまえらも軽い 俺の言葉も軽くおまえらの言葉も軽い 俺はバスケットおまえらもバスケット 水を入れれば水が漏れ 米を入れれば米が漏れる 世の中はバスケット |
結局は押し殺さざるをえない感情をこのようなリフレインに込めて・・・というところにやるせなさを感じましたねー。
考えてみればヒップホップ系の音楽はアメリカの社会的に抑圧されてきた階層の間の抵抗等の自己表現として生まれたもので、こうした内容の物語には合ってるのかも。
この小説が発表されたのは思ったより早くて1999年。1972年生まれのイ・ギホのデビュー(←韓国では「등단(登壇)」)作で「現代文学」新人賞受賞作とのことです。ということは、92~95年頃ソテジワアイドルが韓国でラップブームを巻き起こして「韓国音楽界に革命を起こした」ということもそれなりに関係ありそうですね。
もうひとつ連想したのは町田康。ミュージシャンの彼がなんともユニークな文体の「くっすん大黒」で作家デビューしたのが1997年でした。(町田康の小説が韓国で刊行されていないのはその文体のためかな?)
さらにもうひとつ。拍子に合わせ、節をつけて人生を語るといえば身世打鈴(シンセタリョン.신세타령)というのがあるじゃないの、と思ったら、<yes24>の感想の中にも「パンソリを思い浮かべた」と書いていた人がいました。やっぱり、でしたね。
最後にこの「チェ・スンドク聖霊充満記」所収の他の作品について。他のもラップみたいな文体で書いているのかと思ったらさにあらず。しかし警察の取り調べ調書の形式の「ハムレットフォーエバー」、入社試験用の自己紹介文を借用した「告白時代」、聖書のような形式の表題作「チェ・スンドク聖霊充満記」等、ふつうの小説とは違った多様な形式を用いています。また、現代社会の中で疎外された人々を主に描いている点もこの作家の特色かもしれません。他の作品は読んでないのではっきりとは言えませんが・・・。
※作中に出てくる보도방(ポドパン)は一応「愛人バンク」と訳しましたが、この言葉及び業体について調べればいろいろありそうな感じ。
「文章の声」をご紹介下さってありがとうございました。この番組は初めて知りました。私もスイスイ聴き取れるレベルでは全然ありませんがおもしろそうですね。(挿入曲も含めて。) 2月4日が397回目ということで、過去の放送を聴くとなるとかなりの、いやそれ以上の時間が必要です。
ありがとうございます。
先に読んだのは、
「じたばたしてるうちに、こうなると思っていた」
contents.innolife.net/book/qacont.php?qa_table=fs_report3&aq_id=1599
でしたが、初期の高橋源一郎を連想したような記憶があります(全然的はずれかもしれませんが)。
ヌルボさんのように素敵な読後感は書けませんが、韓国語初心者でも読むことができ、少し自信が持てたりしたものです。
こんなのも↓あってしばらく聞いていたのですがこれは全く聞き取れず挫折しました。
munjang.or.kr/archives/87193
今や初心者以下になってますが・・・。