→<グルメやショッピングとはぜ~んぜん無縁のソウル4泊5日の記録 ①国立中央図書館等>
→<グルメやショッピングとはぜ~んぜん無縁のソウル4泊5日の記録 ②ソウル歴史博物館と「大京城府大観」>
→<グルメやショッピングとはぜ~んぜん無縁のソウル4泊5日の記録 ③慶熙大学校のキャンパスをハイキング!>
◎4月23日(水) 午前
前日歩きに歩いた疲れで朝寝坊。9時過ぎ、ぼんやりとTVを見ていたらこんな画面が・・・。
なにやら動物とも植物ともつかないようなモノが映っています。「백수오(ペクスオ)」という健康食品が最近出回っているが、それと紛らわしい「이엽우피소(イヨブピソ)」という有害なモノが交じっているので要注意!ということのようです。
そのペクスオが何なのかわからないまま帰国して数日後、ずっと前から愛読しているアン・ヨンヒさんの<健康食品の原料を巡り大騒動の韓国>と題した記事(→コチラ)を読んで正体が判明。副見出しは<白首烏か異葉牛皮消か、原料を提供する企業の株価は大暴落>です。「백수오」=白首烏、「이엽우피소」=異葉牛皮消だったのですね。前者は「白い首のカラス」かと思ったら植物で、後者も同じガガイモ科よく似た植物ですが、更年期障害等に薬効があるとされる前者に対し、後者は神経衰弱や体重の減少等の毒性があって食用禁止になっているとか。この騒ぎで関係会社の株暴落等の混乱も起きているそうです。
「健康のためなら命さえ惜しくはない」という人が多い(?)韓国。同様の問題はこれまでも何度かあったような・・・。
この日の主な見学目的地は2ヵ所。しかしその前に行かなければならないのが、前夜3人で行った景福宮西側の食堂orコーヒー店。教保文庫で買った本2冊の入ったポンジ(紙袋)を置き忘れてきちゃったので取りに行くのです。あーあ。
で、やっぱり歩いて行こうと10時前にそそくさと街に出て、とりあえず腹ごしらえと入ったのがマックの鍾路2街店。安価なことと、もしかしたらコンセントがあるかなと思って・・・。見ると意外に多い客の大半は年輩の方々。韓国も高齢社会になってるからなー。仕事をしてる人も相当数いますね。
朝マックのメニューは→コチラ参照。日本のマックのメニューにはない에그 포테이토랩(エッグポテトラップ)というのを注文しました。 食べてみて、やっぱり(個人的定番の)ソーセージマフィンセット(소시지 맥머핀 세트(ソシジメグモピンセッ)にすべきだったと少し後悔。レシートの227ウォンというのは부가세(付加税)。きっちりと言えば付加価値税(부가가치세)で、最初に導入された1977年以来ずっと10%です。
※今韓国マックのメニューを見ていたら맥스파이시 상하이 버거(マツクスパイス上海バーガー)というのがあるのを発見(→コチラ。) こういうところまで中韓関係が密になってきてるのか。→コチラは食べた人のブログ記事。そこでは上海スパイスチキンバーガーとなってますが、3年間で名称が変わった?
マックで1時間ばかり長居した後、鐘閣の交差点から北へ。いつ行ってもいろんな所が工事中というのがこの近辺。鍾路タワーの北側にもフェンスに囲われた広大な工事現場があります。いや、発掘現場というべきか? フェンスの窓から中のようすが見られるようになっています。読んでみると、ここは「16世紀前半の一般住宅の建物址と路地の遺構が17ヵ所発掘され、白磁片や瓦片等の遺物が出土」したとのことです。また「発掘された以降は移転後復元展示される予定です」と付記されています。
目的地への近道と思って北西方向に道を折れて少し行った右側にホンサル門(紅箭門)がありました。気になったのでくぐって行くと、正面の建物がホンサル門に記されていた牧隠先生影堂か。 ここに韓山李氏大宗会という同族会の本部の建物があり、その一族の偉大なご先祖様が高麗末期の文臣で儒学者の李穡(イ・セク.1328~1396)・号は牧隠であるということで、この牧隠先生影堂があるということのようです。高麗王朝に忠誠を尽くし、朝鮮王朝を樹立した李成桂(太祖)により流刑に処せられ、(謎の)急病で亡くなった人物で、「龍の涙」等の時代劇にも出てくるとか。
この脇を抜けて背後に回ると・・・。 なんだ、前にも来たことがある曺溪寺(チョゲサ)の裏手の小公園ではないの。 李鍾一(イ・ジョンイル)先生像(左)と、普成社・普成学校址の碑です。
李種一(1858~1925)は朝鮮末の文臣として1882年日本修信使朴泳孝に随行して訪日した後、開化運動に身を投じて独立協会等で活動し、1906年孫秉熙(ソン・ビョンヒ)の勧めで天道教(東学の後身)に入道した後、3.1運動にも民族代表33人の1人に名を連ねた人物。その独立宣言書3万5千部を印刷したのが彼が社長だったという印刷所の普成社だったのですね。
また普成学校は1905年内蔵院卿李容翊が「人材を教育しもって国権を復さん」がために設立した学校で、1910年孫秉熙が引き継ぎ、→普成法律商業学校→普成専門学校となり、以後いろいろあって(とゴマカシて)経営を引き継いだ金性洙によって1946年に総合大学として創設された大学があの高麗大学校なんですとさ。
これら2つは以前から知っていましたが、それ以外にもここにはいろんな石碑等があります。その中で今回初めて知ったのが「화가 고희동」と刻まれた小さな碑石(下左)。 あ、昨年来私ヌルボにとってはなじみの画家高羲東(고희동.コ・ヒドゥン)でないの。4月初めにも神奈川県立美術館葉山館で「程子冠をかぶる自画像」(上右)を見たばかり。碑文を読んでみると「画家 高羲東 1886~1965 鍾路区寿松洞は高羲東先生が1910年代に作品活動をしていた所で、その歴史性を記念してここに標石を建てる 文化体育部/’95 美術の年組織委員会」。
なんとなくちょっと得した気持ちになりましたが、帰ってから調べてみると北村の中央高校(←「冬ソナ」の撮影地として有名)の正門から東約200mの所に高羲東家屋があって、月・火曜以外は見学できるようになっているのです。知っていたら行ったのに・・・。(参考記事→<wowSeoul>、<韓国古建築散歩>。)
ホンサル門の所まで戻って少し北に行くと日本大使館。 ずらっと並んでいる警察のバス。日本大使館は本館新築に向けて6月ごろ隣接ビルに臨時移転し、新しい大使館は2020年完成予定とか。(→参考。)
水曜集会の翌日なので、静か。 例の少女像。正式名称は「平和碑」なんですね。2011年12月14日1000回目の水曜集会に合わせて建てられました。足元に韓・英・日3ヵ国語の説明版があります。(上左) 像の背後の横断幕(上右)は「安重根義兵参謀中将 埋葬場所を公開せよ」というもの。右に安重根による「伊藤博文罪悪15箇条」が掲げられていますが、3ヵ所消された部分があります。このことについては知日(親日?)韓国人の崔碩栄さんがtwitterで取り上げています。(→コチラ。) しかし、ハルビンでの第1回の尋問の時に安重根が陳べたこの15ヵ条の正確なテクストというのが日韓のネット内をあれこれ探してもなかなか見当たらず。→コチラに画像はアップされてはいるのですけどね。ハングル版は→コチラにありますが、先の画像のものとは順序が違っていたりして、それ以外にも疑問点がありますが、これ以上深入りはしません。※消された3ヵ所は順に천황(天皇)・천황(天皇)・태황(太皇)です。
なお、この少女像について一昨日(5月8日)の<メディア・ペン>に画期的なコラムが乗っていました。(→コチラ。) 見出しが「일본대사관앞 위안부 소녀상 이대로 좋은가(日本大使館前の慰安婦少女像 このままでいいのか)」、副見出しは「외국공관 코앞 외교결례...단발머리도 고증 맞지 않아(外国公館 目の前の外交欠礼・・・おかっぱ頭も考証に合わず)」です。日本語訳はとりあえず→コチラ。
光化門前へ。平日でも観光客はけっこう大勢来ています。(下左) 大半はやっぱり中国人の団体客です。セルカ棒(自撮り棒)というのは初めて見ました。(上右)
景福宮の中には入らずそのまま通り過ぎて、ふと目に入ったのが光化門の南西に位置するこの建物。 周囲にたくさん大極旗が掲げられていますが、「国家安全大診断」と書かれた右の小さい方の垂れ幕に注目すると、一番下に「国民安全処」とあります。パソコンで確認すると、この建物は政府ソウル庁舎。ここに昨年のセウォル事故の後ドロナワ式に設けられた国民安全処が置かれたのですね。国家安全大診断と銘打って大がかりな安全チェックをやっているということのようですが、実効のほどはいかがなものでしょうか?
景福宮の西側の道。昨晩ちょっと気になったギャラリーが前方に見えてきました。 Jean Gallery。ガラス越しに見えているでかいカボチャは、もちろん草間彌生さんの水玉カボチャ。今回は中に入って間近に見てきました。
で、昨晩入った食堂はココ。やっと到達。
청하식당(チョンハシクタン)、たぶん清河食堂。昼食のお客さんで混んでる中、本の忘れ物のことを訊ねると「なかったですよ」とはっきり言われ愕然!・・・としたところで思い出してみればその後に入ったコーヒー店だと気づいたものの、その場所がしかと思い出せず。近くを歩き回っていると、ラッキーなことに当のコーヒー店の店長さん(?)が私ヌルボに気づいて本の入った紙袋を渡してくれました。やれやれ。
・・・とここまでずいぶん時間と労力を費やしてしまいました。というのは、当日のことでもあり、この記事作成のことでもあります。前述のように、この日の主目的2ヵ所はまだこれからだし・・・。まずその1は国立韓国歴史博物館なんですが、それは続きで・・・。
→<グルメやショッピングとはぜ~んぜん無縁のソウル4泊5日の記録 ②ソウル歴史博物館と「大京城府大観」>
→<グルメやショッピングとはぜ~んぜん無縁のソウル4泊5日の記録 ③慶熙大学校のキャンパスをハイキング!>
◎4月23日(水) 午前
前日歩きに歩いた疲れで朝寝坊。9時過ぎ、ぼんやりとTVを見ていたらこんな画面が・・・。
そのペクスオが何なのかわからないまま帰国して数日後、ずっと前から愛読しているアン・ヨンヒさんの<健康食品の原料を巡り大騒動の韓国>と題した記事(→コチラ)を読んで正体が判明。副見出しは<白首烏か異葉牛皮消か、原料を提供する企業の株価は大暴落>です。「백수오」=白首烏、「이엽우피소」=異葉牛皮消だったのですね。前者は「白い首のカラス」かと思ったら植物で、後者も同じガガイモ科よく似た植物ですが、更年期障害等に薬効があるとされる前者に対し、後者は神経衰弱や体重の減少等の毒性があって食用禁止になっているとか。この騒ぎで関係会社の株暴落等の混乱も起きているそうです。
「健康のためなら命さえ惜しくはない」という人が多い(?)韓国。同様の問題はこれまでも何度かあったような・・・。
この日の主な見学目的地は2ヵ所。しかしその前に行かなければならないのが、前夜3人で行った景福宮西側の食堂orコーヒー店。教保文庫で買った本2冊の入ったポンジ(紙袋)を置き忘れてきちゃったので取りに行くのです。あーあ。
で、やっぱり歩いて行こうと10時前にそそくさと街に出て、とりあえず腹ごしらえと入ったのがマックの鍾路2街店。安価なことと、もしかしたらコンセントがあるかなと思って・・・。見ると意外に多い客の大半は年輩の方々。韓国も高齢社会になってるからなー。仕事をしてる人も相当数いますね。
朝マックのメニューは→コチラ参照。日本のマックのメニューにはない에그 포테이토랩(エッグポテトラップ)というのを注文しました。
※今韓国マックのメニューを見ていたら맥스파이시 상하이 버거(マツクスパイス上海バーガー)というのがあるのを発見(→コチラ。) こういうところまで中韓関係が密になってきてるのか。→コチラは食べた人のブログ記事。そこでは上海スパイスチキンバーガーとなってますが、3年間で名称が変わった?
マックで1時間ばかり長居した後、鐘閣の交差点から北へ。いつ行ってもいろんな所が工事中というのがこの近辺。鍾路タワーの北側にもフェンスに囲われた広大な工事現場があります。いや、発掘現場というべきか? フェンスの窓から中のようすが見られるようになっています。読んでみると、ここは「16世紀前半の一般住宅の建物址と路地の遺構が17ヵ所発掘され、白磁片や瓦片等の遺物が出土」したとのことです。また「発掘された以降は移転後復元展示される予定です」と付記されています。
目的地への近道と思って北西方向に道を折れて少し行った右側にホンサル門(紅箭門)がありました。気になったのでくぐって行くと、正面の建物がホンサル門に記されていた牧隠先生影堂か。
この脇を抜けて背後に回ると・・・。 なんだ、前にも来たことがある曺溪寺(チョゲサ)の裏手の小公園ではないの。
李種一(1858~1925)は朝鮮末の文臣として1882年日本修信使朴泳孝に随行して訪日した後、開化運動に身を投じて独立協会等で活動し、1906年孫秉熙(ソン・ビョンヒ)の勧めで天道教(東学の後身)に入道した後、3.1運動にも民族代表33人の1人に名を連ねた人物。その独立宣言書3万5千部を印刷したのが彼が社長だったという印刷所の普成社だったのですね。
また普成学校は1905年内蔵院卿李容翊が「人材を教育しもって国権を復さん」がために設立した学校で、1910年孫秉熙が引き継ぎ、→普成法律商業学校→普成専門学校となり、以後いろいろあって(とゴマカシて)経営を引き継いだ金性洙によって1946年に総合大学として創設された大学があの高麗大学校なんですとさ。
これら2つは以前から知っていましたが、それ以外にもここにはいろんな石碑等があります。その中で今回初めて知ったのが「화가 고희동」と刻まれた小さな碑石(下左)。
なんとなくちょっと得した気持ちになりましたが、帰ってから調べてみると北村の中央高校(←「冬ソナ」の撮影地として有名)の正門から東約200mの所に高羲東家屋があって、月・火曜以外は見学できるようになっているのです。知っていたら行ったのに・・・。(参考記事→<wowSeoul>、<韓国古建築散歩>。)
ホンサル門の所まで戻って少し北に行くと日本大使館。
水曜集会の翌日なので、静か。
なお、この少女像について一昨日(5月8日)の<メディア・ペン>に画期的なコラムが乗っていました。(→コチラ。) 見出しが「일본대사관앞 위안부 소녀상 이대로 좋은가(日本大使館前の慰安婦少女像 このままでいいのか)」、副見出しは「외국공관 코앞 외교결례...단발머리도 고증 맞지 않아(外国公館 目の前の外交欠礼・・・おかっぱ頭も考証に合わず)」です。日本語訳はとりあえず→コチラ。
光化門前へ。平日でも観光客はけっこう大勢来ています。(下左)
景福宮の中には入らずそのまま通り過ぎて、ふと目に入ったのが光化門の南西に位置するこの建物。
景福宮の西側の道。昨晩ちょっと気になったギャラリーが前方に見えてきました。
で、昨晩入った食堂はココ。やっと到達。
청하식당(チョンハシクタン)、たぶん清河食堂。昼食のお客さんで混んでる中、本の忘れ物のことを訊ねると「なかったですよ」とはっきり言われ愕然!・・・としたところで思い出してみればその後に入ったコーヒー店だと気づいたものの、その場所がしかと思い出せず。近くを歩き回っていると、ラッキーなことに当のコーヒー店の店長さん(?)が私ヌルボに気づいて本の入った紙袋を渡してくれました。やれやれ。
・・・とここまでずいぶん時間と労力を費やしてしまいました。というのは、当日のことでもあり、この記事作成のことでもあります。前述のように、この日の主目的2ヵ所はまだこれからだし・・・。まずその1は国立韓国歴史博物館なんですが、それは続きで・・・。