[3] 「乙巳年(ウルサニョン)」=1905年が語源という<民間語源説>の真偽は?
<「ウルシニョンスロプタ」(ものさびしい・みじめだ)の語源は?>
→ ①朴婉緒の自伝的小説の漫画版
→ ②乙巳年(ウルサニョン)にあったことの続きです。
<②乙巳年(ウルサニョン)にあったこと>では、「(天気や雰囲気などが)もの寂しい」「非常に貧しい」「みじめだ」といった意味を持つ「을씨년스럽다」(ウルシニョンスロプタ)」という形容詞は1905年すなわち乙巳年(을사년.ウルサニョン)に由来するという語源説が有力視されていると書きました。
ただ、その記事の末尾に記したように、私ヌルボ個人としては今の韓国人の歴史認識がそのまま投影されているように思われ、疑問を抱きました。
戦後の韓国の教育やメディア等の中で育った人たちの多くは、日清戦争頃から日本の統治期の朝鮮の人々のほとんどは日本の侵略に対して強い抵抗意識を持ち、一部の親日派に憤りを感じていたという歴史認識を持っているのでは、と思われますが、それがどこまで当時の実像といえるのか? まだ封建的な制度や意識が色濃く残存していた社会で、両班から最下層の被差別民まで同じような愛国心を持っていたとは思えない、ということです。
その後韓国サイトをいろいろネットサーフィンして関連記事を探してみました。まず見つけたのが上記の乙巳年説を唱えた忠北大チョ・ハンボム教授自身によるこの語についての記事(2009年9月)。(→コチラ。韓国語)
「‘을사년(乙巳年)’은 얼마나 비통한 한 해였을까(‘乙巳年’はどんなに悲痛な1年だったか)」という副題が付いています。読んでみると、「ウルシニョン」が「乙巳年(ウルサニョン)」に由来するという説がかなり広く広がっている」とあり、チョ教授がこの語源説を最初に唱えたものではなく、いわゆる民間語源説で、文献の裏付けがないためチョ教授自身疑念を持っていたそうですが、その後(先の記事でも書いたように)李海朝(イ・ヘジョ)が1908年発表した小説「鬢上雪」(빈상셜.ピンサンショル)中に<을사년시럽다>という言葉が「ひっそりと寂しい」と意味で用いられているのを見つけ、<을사년>が<을씨년>の語源であることを確信したそうです。
しかし、私ヌルボは依然としてナットクできず。「(3年前の)乙巳年のように寂しい」と明記されているわけじゃないし・・・。
次に、<영화낙서판(映画落書板)>という掲示板になぜか載っていた文学トンネ発行の夏目漱石「한눈팔기」を読んだ人の記事(→コチラ.韓国語)に、注目すべきコメントがありました。「한눈팔기」は直訳すると「よそ見」ですが、→1つ前の記事に書いたように「道草」の韓国版書名です。
その掲示板の文章の趣旨は、作品の中に「을씨년스럽다」という訳語が出てくるが、他の国ならともかく、日本文学でこの「乙巳年」由来の言葉を用いるのはいかがなものか?というもの。(※「道草」の「朝日新聞」連載は1915年6~9月で、まさに「乙巳年」の、「乙巳条約」締結の直前。)
この民間語源説が正しいとすれば「なるほど、たしかに」という意見ではあります。
ところが、これに対するコメントの中で興味深いリンクが2つ貼られていました。
1つ目は→<NEVER open百科>の어원생각(語源の考え)という人による2008年6月の記事。(→コチラ.韓国語)。
これによると、つまり(鳥肌が立つように)「ぞくぞく(する)」を意味する「으슬으슬(하다)」が語源で、これが
[으슬+년스럽다] → [을스년스럽다] → [을시년스럽다] → [을씨년스럽다]
のように変化したものだと説明しています。なかなか説得力ありそう、かな?
2つ目は<週刊東亜>の2009年2月の記事。(→コチラ.韓国語)。
19世紀の在野の文人・趙在三(チョ・ジェサム.1808~66)の著書「松南雑識(송남잡지)」は宇宙発生から隠語・俗語までを網羅した百科事典で、これがハングルに完訳(全13巻)されたという記事なのですが、そこで趙在三による語源説をいろいろ紹介しています。その中に을씨년스럽다もあって次のように説明されているということです。
「世間で乙巳年は<不吉だ、忌まわしい>と恐れられていて、到底楽しみがないことを을씨년스럽다という。」
・・・なあんだ、1905年よりず~っと以前にこの言葉があったということ!? とすると乙巳年に由来するといっても、それは1905年の乙巳年とは関係ないということか。
なお、これらとは別に、→(コチラ.韓国語)の2002年4月の記事でも、「乙巳年=1905年語源説」とともに、次のようなもう1つの乙巳年説を紹介しています。
いつの乙巳年なのかはわかりませんが、ある乙巳年に大洪水が起こったことがあったそうです。この大洪水で国は大きな被害を受け、人々が苦しんだといいます。
乙巳年(1905年)説以外の上記3つの記事は、どれもチョ・ハンボム教授の記事よりも前に書かれたものですが、教授はそれらを承知の上で自身の所説を書いたのかな?
을씨년스럽다という言葉の語源探索もさることながら、私ヌルボとしては「乙巳年(1905年)説」という民間語源説がいつ頃から広まったのか?という点についてもぜひ調べてほしいと思います。
<「ウルシニョンスロプタ」(ものさびしい・みじめだ)の語源は?>
→ ①朴婉緒の自伝的小説の漫画版
→ ②乙巳年(ウルサニョン)にあったことの続きです。
<②乙巳年(ウルサニョン)にあったこと>では、「(天気や雰囲気などが)もの寂しい」「非常に貧しい」「みじめだ」といった意味を持つ「을씨년스럽다」(ウルシニョンスロプタ)」という形容詞は1905年すなわち乙巳年(을사년.ウルサニョン)に由来するという語源説が有力視されていると書きました。
ただ、その記事の末尾に記したように、私ヌルボ個人としては今の韓国人の歴史認識がそのまま投影されているように思われ、疑問を抱きました。
戦後の韓国の教育やメディア等の中で育った人たちの多くは、日清戦争頃から日本の統治期の朝鮮の人々のほとんどは日本の侵略に対して強い抵抗意識を持ち、一部の親日派に憤りを感じていたという歴史認識を持っているのでは、と思われますが、それがどこまで当時の実像といえるのか? まだ封建的な制度や意識が色濃く残存していた社会で、両班から最下層の被差別民まで同じような愛国心を持っていたとは思えない、ということです。
その後韓国サイトをいろいろネットサーフィンして関連記事を探してみました。まず見つけたのが上記の乙巳年説を唱えた忠北大チョ・ハンボム教授自身によるこの語についての記事(2009年9月)。(→コチラ。韓国語)
「‘을사년(乙巳年)’은 얼마나 비통한 한 해였을까(‘乙巳年’はどんなに悲痛な1年だったか)」という副題が付いています。読んでみると、「ウルシニョン」が「乙巳年(ウルサニョン)」に由来するという説がかなり広く広がっている」とあり、チョ教授がこの語源説を最初に唱えたものではなく、いわゆる民間語源説で、文献の裏付けがないためチョ教授自身疑念を持っていたそうですが、その後(先の記事でも書いたように)李海朝(イ・ヘジョ)が1908年発表した小説「鬢上雪」(빈상셜.ピンサンショル)中に<을사년시럽다>という言葉が「ひっそりと寂しい」と意味で用いられているのを見つけ、<을사년>が<을씨년>の語源であることを確信したそうです。
しかし、私ヌルボは依然としてナットクできず。「(3年前の)乙巳年のように寂しい」と明記されているわけじゃないし・・・。
次に、<영화낙서판(映画落書板)>という掲示板になぜか載っていた文学トンネ発行の夏目漱石「한눈팔기」を読んだ人の記事(→コチラ.韓国語)に、注目すべきコメントがありました。「한눈팔기」は直訳すると「よそ見」ですが、→1つ前の記事に書いたように「道草」の韓国版書名です。
その掲示板の文章の趣旨は、作品の中に「을씨년스럽다」という訳語が出てくるが、他の国ならともかく、日本文学でこの「乙巳年」由来の言葉を用いるのはいかがなものか?というもの。(※「道草」の「朝日新聞」連載は1915年6~9月で、まさに「乙巳年」の、「乙巳条約」締結の直前。)
この民間語源説が正しいとすれば「なるほど、たしかに」という意見ではあります。
ところが、これに対するコメントの中で興味深いリンクが2つ貼られていました。
1つ目は→<NEVER open百科>の어원생각(語源の考え)という人による2008年6月の記事。(→コチラ.韓国語)。
これによると、つまり(鳥肌が立つように)「ぞくぞく(する)」を意味する「으슬으슬(하다)」が語源で、これが
[으슬+년스럽다] → [을스년스럽다] → [을시년스럽다] → [을씨년스럽다]
のように変化したものだと説明しています。なかなか説得力ありそう、かな?
2つ目は<週刊東亜>の2009年2月の記事。(→コチラ.韓国語)。
19世紀の在野の文人・趙在三(チョ・ジェサム.1808~66)の著書「松南雑識(송남잡지)」は宇宙発生から隠語・俗語までを網羅した百科事典で、これがハングルに完訳(全13巻)されたという記事なのですが、そこで趙在三による語源説をいろいろ紹介しています。その中に을씨년스럽다もあって次のように説明されているということです。
「世間で乙巳年は<不吉だ、忌まわしい>と恐れられていて、到底楽しみがないことを을씨년스럽다という。」
・・・なあんだ、1905年よりず~っと以前にこの言葉があったということ!? とすると乙巳年に由来するといっても、それは1905年の乙巳年とは関係ないということか。
なお、これらとは別に、→(コチラ.韓国語)の2002年4月の記事でも、「乙巳年=1905年語源説」とともに、次のようなもう1つの乙巳年説を紹介しています。
いつの乙巳年なのかはわかりませんが、ある乙巳年に大洪水が起こったことがあったそうです。この大洪水で国は大きな被害を受け、人々が苦しんだといいます。
乙巳年(1905年)説以外の上記3つの記事は、どれもチョ・ハンボム教授の記事よりも前に書かれたものですが、教授はそれらを承知の上で自身の所説を書いたのかな?
을씨년스럽다という言葉の語源探索もさることながら、私ヌルボとしては「乙巳年(1905年)説」という民間語源説がいつ頃から広まったのか?という点についてもぜひ調べてほしいと思います。
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