暮れの12月26日、偶然見た写真に、大きな衝撃を受けました。場所は国立ハンセン病資料館です。板のような物を顔にくっつけるようにして持っている男性を背後から撮った写真です。「舌読」というその題の文字を見てはじめて、彼が何をしているところかわかりました。
ハンセン病資料館に行ったのは初めてです。「北條民雄展をやっているから行かないか」という友人の誘いに乗ったのは、「いのちの初夜」で知られる北條民雄が朝鮮生まれであり、私ヌルボと同じ徳島県出身ということが記憶の片隅にあったからです。
※高山文彦「火花 北條民雄の生涯」によると、彼は1914年9月22日京城府漢江通十一番地で生まれた。父は陸軍経理部の一等計手だった。しかし母が翌1915年7月に急性肺炎で死亡し、民雄は3つ上の異母兄とともに現・阿南市の母方の祖父母の家に預けられた。
当日、友人の運転する車は資料館正面入口ではなく敷地が隣接する多磨全生園の入口の方から入ってしまいましたが、園内の佇まいを見ると、鎖された共同体といったかつての相貌が今も窺えるようでした。
目当ての北條民雄展は、私ヌルボの思っていたものと違って、彼自身についての展示というよりも彼が全生園にいた1934~37年当時の園についての展示で、あらためて展示のタイトルを見るとたしかに「癩院記録―北條民雄が書いた絶対隔離下の療養所」となっていました。まあ、これはこれでためにはなりましたが・・・。
むしろこの資料館では、常設展示がなかなか充実していると思いました。その多様な展示内容は、資料館のサイト(→コチラ)でおおよそわかります。
海外のハンセン病の現況も展示されていて、韓国については、以前読んだ李清俊の小説「あなたたちの天国」の舞台となった韓国のハンセン病療養所・小鹿島更生園(現国立小鹿島病院)のことや、定着村事業のこと等の展示物がありました。
※李清俊「あなたたちの天国」については、本ブログの過去記事で少しふれました。(→コチラ。)
※定着村とは、ハンセン病快復者が自立した生活を目指して、集団である土地に入植し、農業や畜産で生計を立てていこうとするもの。1960年代から各地に作られていった。(ハンセン病については<モグネット>というすごいサイトがあって、そこに韓国のハンセン病の歴史と現状等についても詳細に記されています。(→コチラ。)
さて、冒頭に書いた「舌読」ですが、これは目が見えない上、指の感覚を失ったり、指自体がなくなった人が、点字を舌で舐めて読むことです。
それにしても、読むこと、生きることへの意志のなんと強靭なことか・・・。
その後調べてみて、舌読ができる人は何人もいることを知りました。
たとえば、多磨全生園の自治会長として、らい予防法の廃絶運動に早くから取り組んだ松本馨さん。
彼自身の書いた舌読の記録は→コチラで読むことができます。
半年くらい練習したもののダメだったが「最後に、舌の裏に発見した。舌先は麻痺しているが、奥になるほど知覚は鮮明である」とあります。
そして、群馬県の栗生楽泉園で終戦直後から長く暮らしている金夏日(キム・ハイル)さん。
彼については、徐京植東京経済大教授が「ディアスポラ紀行」(岩波新書.2005年)の最後に近い所で書いています。→コチラのブログ記事に、その部分が全文引用されています。
※→コチラの韓国ブログに、同じ部分のハングル版があります。
この金夏日さんは1926年韓国の慶尚北道(南道?)の農家に生まれ、39年に先に渡日した父を訪ねて母や姉たちと日本に来ましたが、その2年後(41年)にハンセン病を発病、多磨全生園に入りました。一時退園しましたが、終戦後病状が悪化し、46年に栗生楽泉園に入りました。
彼が失明したのが1949年。そして52年に点字の舌読を始めます。
彼の著書「点字とともに」(皓星社.2003年)によると、「指に麻痺がきていて、点字を読むことができない」と(群馬県盲人会の)高橋多氏に訴えると、高橋氏が「指がだめなら唇で、唇がだめなら舌先で点字を読み取る稽古をしたらどうか」と言って「私たちを励ましてくれた」とあります。(これを「励まし」と取れるのか~、とヌルボ。)
そして翌日から笹川佐之さん、浅井あいさんと3人で舌読の稽古に取り組みます。「二ヵ月かかってやっと五十音が読めるように」なり、3人はほぼ同時に舌読を習得。その間の「血の滲むような」努力は次のとおりです。(座談会の記録)
「・・・じっとやっていると肩はこるし、目は真っ赤に充血するし、涙はぽろぽろ出るし、唾液は出るし、すぐに紙がべたべたになってしまい、・・・そのうちに、角が立ってきて穴があくんだね。それでもこうやっていると(舌を出して首を振るしぐさをする)濡れてぬらぬらしてくる。いつものように、唾だろう、と思ってまだやっていると、晴眼者が見て、わあ、おい血が出たぞと言われてね。舌の先から血がでているんだね。・・・」
金夏日さんについて驚くべきことは、日本語点字の舌読習得後、さらにハングル点字を習い始めたことです。彼が日本に来たのは12、3歳の頃ですが、それまで学校に通っていなかったためハングルを知らず、点字以前にまずハングルの勉強から始めたとか・・・。そんな苦労を重ねて朝鮮語の聖書も読めるようになったとは、すごいと言うしかありません。
金夏日さんは失明した49年から短歌を学び始め、これまでに歌集を5冊刊行しています。横浜市立図書館に第四歌集「機を織る音」と第五歌集「一族の墓」があったので読んでみました。長く「アララギ」とともに歩んできた歌人らしく、自身の生活(いろんな病気のこと等)や韓国・朝鮮関係のニュースにふれて思ったこと等が詠まれています。また、彼が家族愛に恵まれていたこと(今も韓国の親族との暖かい交流がある)もわかります。
2003年に「朝日新聞」の記事になったことも詠まれていましたが、これは縮刷版を探しても見つかりませんでした。
05年には韓国の故郷への墓参に毎日新聞の萩尾信也記者が同行しています。(その記事は明日読まなければ・・・。) 2006年には「週刊朝日」にも舌読の大きな写真が載ったそうです。
湯船の中われを抱きいれ背を洗い頭も洗いてくれたり記者が
お墓にも墓のめぐりにも自生せる紫桔梗いま盛りなり
上掲の「ディアスポラ紀行」では、次の二首を紹介していますが、この選択はいかにも徐京植教授だなあと思わざるをえませんね。
指紋押す指の無ければ外国人登録証にわが指紋なし
点訳のわが朝鮮の民族史今日も舌先のほてるまで読みぬ
たまたま声をかけられて国立ハンセン病資料館に行ったのがきっかけで「ハンセン病文学全集」(皓星社.全10巻)というすごい全集があることを知り、また森田進「詩とハンセン病」(土曜美術社)等を読んだりして、ハンセン病と在日(に限らないが)韓国・朝鮮人との深い関わりについていろいろ知ることとなりました。
たぶん、あと1回続きを書きます。
[韓国とハンセン病関連記事]
→ <2005年毎日新聞・萩尾信也記者が連載記事「人の証し」で金夏日さんの軌跡を記す>
→ <ハングル点字のしくみを見て思ったこと>
→ <韓国の「ピョンシンチュム(病身舞)」のこと等>
→ <韓国のタルチュム(仮面舞)とハンセン病者のこと>
→ <ハンセン病と韓国文学①>
→ <ハンセン病と韓国文学② 高銀・韓何雲・徐廷柱・・・、韓国の著名詩人とハンセン病のこと>
ハンセン病資料館に行ったのは初めてです。「北條民雄展をやっているから行かないか」という友人の誘いに乗ったのは、「いのちの初夜」で知られる北條民雄が朝鮮生まれであり、私ヌルボと同じ徳島県出身ということが記憶の片隅にあったからです。
※高山文彦「火花 北條民雄の生涯」によると、彼は1914年9月22日京城府漢江通十一番地で生まれた。父は陸軍経理部の一等計手だった。しかし母が翌1915年7月に急性肺炎で死亡し、民雄は3つ上の異母兄とともに現・阿南市の母方の祖父母の家に預けられた。
当日、友人の運転する車は資料館正面入口ではなく敷地が隣接する多磨全生園の入口の方から入ってしまいましたが、園内の佇まいを見ると、鎖された共同体といったかつての相貌が今も窺えるようでした。
目当ての北條民雄展は、私ヌルボの思っていたものと違って、彼自身についての展示というよりも彼が全生園にいた1934~37年当時の園についての展示で、あらためて展示のタイトルを見るとたしかに「癩院記録―北條民雄が書いた絶対隔離下の療養所」となっていました。まあ、これはこれでためにはなりましたが・・・。
むしろこの資料館では、常設展示がなかなか充実していると思いました。その多様な展示内容は、資料館のサイト(→コチラ)でおおよそわかります。
海外のハンセン病の現況も展示されていて、韓国については、以前読んだ李清俊の小説「あなたたちの天国」の舞台となった韓国のハンセン病療養所・小鹿島更生園(現国立小鹿島病院)のことや、定着村事業のこと等の展示物がありました。
※李清俊「あなたたちの天国」については、本ブログの過去記事で少しふれました。(→コチラ。)
※定着村とは、ハンセン病快復者が自立した生活を目指して、集団である土地に入植し、農業や畜産で生計を立てていこうとするもの。1960年代から各地に作られていった。(ハンセン病については<モグネット>というすごいサイトがあって、そこに韓国のハンセン病の歴史と現状等についても詳細に記されています。(→コチラ。)
さて、冒頭に書いた「舌読」ですが、これは目が見えない上、指の感覚を失ったり、指自体がなくなった人が、点字を舌で舐めて読むことです。
それにしても、読むこと、生きることへの意志のなんと強靭なことか・・・。
その後調べてみて、舌読ができる人は何人もいることを知りました。
たとえば、多磨全生園の自治会長として、らい予防法の廃絶運動に早くから取り組んだ松本馨さん。
彼自身の書いた舌読の記録は→コチラで読むことができます。
半年くらい練習したもののダメだったが「最後に、舌の裏に発見した。舌先は麻痺しているが、奥になるほど知覚は鮮明である」とあります。
そして、群馬県の栗生楽泉園で終戦直後から長く暮らしている金夏日(キム・ハイル)さん。
彼については、徐京植東京経済大教授が「ディアスポラ紀行」(岩波新書.2005年)の最後に近い所で書いています。→コチラのブログ記事に、その部分が全文引用されています。
※→コチラの韓国ブログに、同じ部分のハングル版があります。
この金夏日さんは1926年韓国の慶尚北道(南道?)の農家に生まれ、39年に先に渡日した父を訪ねて母や姉たちと日本に来ましたが、その2年後(41年)にハンセン病を発病、多磨全生園に入りました。一時退園しましたが、終戦後病状が悪化し、46年に栗生楽泉園に入りました。
彼が失明したのが1949年。そして52年に点字の舌読を始めます。
彼の著書「点字とともに」(皓星社.2003年)によると、「指に麻痺がきていて、点字を読むことができない」と(群馬県盲人会の)高橋多氏に訴えると、高橋氏が「指がだめなら唇で、唇がだめなら舌先で点字を読み取る稽古をしたらどうか」と言って「私たちを励ましてくれた」とあります。(これを「励まし」と取れるのか~、とヌルボ。)
そして翌日から笹川佐之さん、浅井あいさんと3人で舌読の稽古に取り組みます。「二ヵ月かかってやっと五十音が読めるように」なり、3人はほぼ同時に舌読を習得。その間の「血の滲むような」努力は次のとおりです。(座談会の記録)
「・・・じっとやっていると肩はこるし、目は真っ赤に充血するし、涙はぽろぽろ出るし、唾液は出るし、すぐに紙がべたべたになってしまい、・・・そのうちに、角が立ってきて穴があくんだね。それでもこうやっていると(舌を出して首を振るしぐさをする)濡れてぬらぬらしてくる。いつものように、唾だろう、と思ってまだやっていると、晴眼者が見て、わあ、おい血が出たぞと言われてね。舌の先から血がでているんだね。・・・」
金夏日さんについて驚くべきことは、日本語点字の舌読習得後、さらにハングル点字を習い始めたことです。彼が日本に来たのは12、3歳の頃ですが、それまで学校に通っていなかったためハングルを知らず、点字以前にまずハングルの勉強から始めたとか・・・。そんな苦労を重ねて朝鮮語の聖書も読めるようになったとは、すごいと言うしかありません。
金夏日さんは失明した49年から短歌を学び始め、これまでに歌集を5冊刊行しています。横浜市立図書館に第四歌集「機を織る音」と第五歌集「一族の墓」があったので読んでみました。長く「アララギ」とともに歩んできた歌人らしく、自身の生活(いろんな病気のこと等)や韓国・朝鮮関係のニュースにふれて思ったこと等が詠まれています。また、彼が家族愛に恵まれていたこと(今も韓国の親族との暖かい交流がある)もわかります。
2003年に「朝日新聞」の記事になったことも詠まれていましたが、これは縮刷版を探しても見つかりませんでした。
05年には韓国の故郷への墓参に毎日新聞の萩尾信也記者が同行しています。(その記事は明日読まなければ・・・。) 2006年には「週刊朝日」にも舌読の大きな写真が載ったそうです。
湯船の中われを抱きいれ背を洗い頭も洗いてくれたり記者が
お墓にも墓のめぐりにも自生せる紫桔梗いま盛りなり
上掲の「ディアスポラ紀行」では、次の二首を紹介していますが、この選択はいかにも徐京植教授だなあと思わざるをえませんね。
指紋押す指の無ければ外国人登録証にわが指紋なし
点訳のわが朝鮮の民族史今日も舌先のほてるまで読みぬ
たまたま声をかけられて国立ハンセン病資料館に行ったのがきっかけで「ハンセン病文学全集」(皓星社.全10巻)というすごい全集があることを知り、また森田進「詩とハンセン病」(土曜美術社)等を読んだりして、ハンセン病と在日(に限らないが)韓国・朝鮮人との深い関わりについていろいろ知ることとなりました。
たぶん、あと1回続きを書きます。
[韓国とハンセン病関連記事]
→ <2005年毎日新聞・萩尾信也記者が連載記事「人の証し」で金夏日さんの軌跡を記す>
→ <ハングル点字のしくみを見て思ったこと>
→ <韓国の「ピョンシンチュム(病身舞)」のこと等>
→ <韓国のタルチュム(仮面舞)とハンセン病者のこと>
→ <ハンセン病と韓国文学①>
→ <ハンセン病と韓国文学② 高銀・韓何雲・徐廷柱・・・、韓国の著名詩人とハンセン病のこと>
経済的には苦しくても、心優しい家族・親族との明るく楽しい日々は、人の生き方を教えられます。優しい姉のような職場の日本人女性への幼く淡い恋心は青春ものとしても心が打たれます。
ぜひ読んでいただきたい本です。
点字図書としては、点字図書館サピエに登録されています。点字で寄れる方は、そちらからダウンロードできます。