Kan Kimura (on DL) @kankimura 8月1日 韓国語のWikipediaに「일본군 위안부 피해자 목록(日本軍慰安婦被害者目録)」なる項目が出来てる。自分の知る限り、元慰安婦の方やその家族の中には自らの名前の公表を望まない人も多いはずだけど、こんなことをやっていいのだろうか。ちょっと驚く。 |
ソウル・南山北麓の<歴史記憶エリア>にある統監官邸跡地や中央情報部の遺構等とともに、その地に昨夏(8月29日)に除幕式が行われた<慰安婦記憶の場(일본군 위안부 기억의 터)>については、私ヌルボ、4月に記事を書きました。(→コチラ。)
その末尾で、当初予定していた記事の本論は「別立ての記事にします」と書きましたが、結局そのままになっていました。
そのことをたまたま8月1日愛読している木村幹神戸大教授のツイート(上掲)を見て思い出し、この際きっちり書いておこうとPCに向かったというわけです。
木村教授が問題にしている韓国ウィキペディアは→コチラです。
元慰安婦の人たちの名前がズラッと記されています。韓国の73人だけでなく、台湾3人、朝鮮民主主義人民共和国1人、日本1人、中国9人、フィリピン4人の、計91人の名前です。
※北朝鮮のことを「북한(北韓)」ではなく「조선민주주의인민공화국(朝鮮民主主義人民共和国)」と表記していて、韓国のサイトとしては特異な印象を受けましたが、「한국 전쟁(韓国戦争)」(=朝鮮戦争)等他の項目の説明文にも見られ、少なくとも韓国ウィキペディアでは<タブー>にはなっていないようです。
木村幹教授は、このような形での名前の公表に驚き、疑問を呈していらっしゃいますが、私ヌルボも数ヵ月前同様の元慰安婦の実名公表をめぐる韓国誌の記事を読んで驚きました。それは総合誌「新東亜」の2017年01月号の“당신 엄마가 위안부라면 이름 남기고 싶겠나(あなたのお母さんが慰安婦であれば、名前を残したいだろうか)”と題されたイ・ヘミン記者による記事で、上記のブログ記事を書く動機になりました。※→コチラで読むことができます。(韓国語)
そのとりあえず、その「新東亜」の記事内容を略述します。
・(2016年)11月12日、あるウォーキングツアーに参加した市民たちから「<日本軍慰安婦の記憶の場>の石碑に慰安婦ハルモニ247人の名前が刻まれている。当事者と家族が2次被害を受けないか心配だ」との通報と取材要請を受けて取材を始めた。
・慰安婦被害者や家族は<記憶の場>に名前が刻印されたことについて立場表明をしていない。2つその理由を挙げることができる。
①記憶の場に名前が刻まれた事実自体を知らない。
②知っていたとしても、自分たちの存在が現れることをはばかって声を出さない。
・直接取材した慰安婦被害者家族=男性(義母が元慰安婦)の場合。
「私は間接的な被害者だが、家内は慰安婦の「ウィ(慰)」と聞いただけでも度を失ってインタビューができない」と述べ、石碑に名前を刻んだことに対して強く反発し、さらに次のように語った。「独立運動をしたことでもないのに、誰がそこに名前を刻んだことを喜びますか。政治家や市民団体が政治的に利用しようとしているのです。常識的に考えてみてください。あなたのお母さんが慰安婦で、石碑にその名前が刻まれたらうれしいですか。これは遺家族を2度も3度も殺すことです。家内は少し後にこの事実を知って大きな衝撃を受けて、私にインタビューを受けないように言ってましたよ。私たちのことが明らかになるかもしれないからです。世間が慰安婦を忘れてくれればいいです。」
・遺家族の批判に対して、ソウル市の関係者は「市は行政的な支援をして敷地を提供しただけ」として<記憶の場>の推進過程については責任を推進委に丸投げし、その推進委の実務者は「問題ない」という立場で、「今も販売されている被害者証言集に記録された実名と匿名のまま石碑に刻んだ」とのこと。また「石碑にハルモニたちの名前を書く部分は挺対協、ナヌムの家と合意し、そこにおられない方の分は仮名処理した。全体のリストは挺対協から受け取った」と明らかにした。しかし、挺対協は「該当関係者たちが出張、休暇などで席を外した状態で、前後関係を確認するのはむずかしい」と語った。
・取材の結果、証言集には匿名で収録された元慰安婦の名が<記憶の場>の石碑には実名で刻まれているものもあることがわかった。
・上述とは別の直接取材した慰安婦被害者家族に訊ねると・・・。
「証言集に名前を記録することと石碑に名を残すことは別個の問題だ。<記憶の場>が造られるという話も、名前を刻むという話も聞いていない」と言い、手続きの問題点を指摘した。
「市民団体を悪く言うわけではないが、慰安婦問題は何人かの人が主導している。生存しているハルモニたち、遺家族たちの意見が同一ではないのに1つの声として出てくる。この件は生存者と遺家族の意思を訊いて進めなければならなかった。」
・ナム・サング北東アジア歴史財団研究委員は沖縄の平和の礎の事例を例に挙げた。「平和の礎推進委は戦争で死亡した軍人・民間人の名前を刻むため新聞広告を出し、遺族に直接会って同意を得た上で石碑に名前を刻んだ。追慕公園を推進した人たちは、被害者たちと市民とが出会う<輪>を作るために被害者の名前を記したのだろうが、被害事実を明らかにしたくない方もいるだろうから、この問題は慎重にアプローチする必要がある」と述べた。
・石碑には「被害者ハルモニ247人」とあるが、政府(女性家族部)は、2016年12月7日現在登録されている被害者を238人(国内外の生存者39人、死者199人)としている。残りの9人はすべての国外の死者ということなのだろうか。
・・・以上ですが、上記のように私ヌルボも最初驚くとともに、この「新東亜」の記事のように(わりとフツーの)日本人と同じような見方をする韓国人たちもいることを知りました。
そして、このような形での実名公表を推進してきた人たちの考え方を推定してみました。
まずは、「強制的に慰安婦にさせられた私に何の恥ずべきところがあろうか?」と言ってむしろ堂々と実名を名乗る(一部の)慰安婦被害者がいます。そして、蔑視感情がある中であえて名乗りをあげた彼女たちを支援する人たちにとって、彼女たちの名はむしろ称えるべきものなのかもしれません。(「英雄化・聖女化」というと叱られそう、かな?) また「歴史の生き証人」としての真実性の証左といった意味もあるのでしょう。
※なお、この「新東亜」の記事にある<記憶の場>の石碑の名前部分の写真では文字が読めないように処理されていますが、あるブログ記事では247人の名が明瞭に読み取れる(!)写真が載せられています。上述のような元慰安婦に対する見方の違いとともに、個人情報に対する日韓の認識、「感度」の違いといったものもありそうです。(ヌルボ個人としては、韓国は鈍感すぎで日本は敏感すぎ。)
※実名公表に反対する元慰安婦の遺家族の間にも、また「慰安婦は、基本的に売春婦である」という見方に対し「それは慰安婦ハルモニを侮辱するものだ!」と憤る支援者たちの間にも、売春婦という「職業」のみならず、その存在自体に対する忌避感情(差別意識)が垣間見られるような気がします。(慰安婦問題に関する日本側の言説の中にも見受けられる。) この問題についてはいずれ別記事で。
この「新東亜」の記事の反響はその後目にしていません。もしかして、実名公表に反発を感じている家族たちは、「世間が慰安婦を忘れてくれればいい」とただじっと息をひそめたままなのでしょうか?
ところで、冒頭に記した韓国ウィキペディアの「日本軍慰安婦被害者目録」には韓国人の名は73人です。なぜ238人(または247人)ではないのか、よくわかりません。その項目の最終編集日は2016年11月13日。「新東亜」の取材との前後関係は不明ですが、それと関係があるのかどうか?
いずれにしろ、たとえ「称揚すべき名前」と関係者・関係組織が考えたとしても、本人・遺家族の同意は絶対不可欠でしょう。・・・と、例によって毒にも薬にもならない感想で締めの言葉にしておきます。
人権問題になりますよね。
ウィキペディアも何を考えているのやら・・・(`ε´)
みんなのブログからきました。
どうも声の大きい人たちの、公認の(?)正論のみがまかり通っちゃっているようですね。彼らにしてみれば、立派な人たちの名前を公表することはむしろ正しいことだという認識なのでしょうか?
しかし、それ以外の声があることは日本のメディアでももっと報じた方がいいのではと思います。
やはり「無許可で実名」はマズいというのは、日本のワクを越えた常識ですよね。
韓国の「左翼」は、左翼にしては人権感覚がどうなっているのかギモンです。
70年以上も前の人権問題よりも、中国ではまさに今脱北女性が多数人身売買され、「性奴隷」状態に置かれたりもしています。ソチラを問題化する方がずっと急務だと思うのに・・・。
木村幹教授のツイッターはいろいろ有益な情報が得られるのでよく見ています。(自分はツイッターはやってませんが。)
必ずしもその所論のすべてに賛同というわけではもちろんないですけど。
また、少なくとも彼自身「自分は政治的主張をしているりではなく学問的分析をしているので、政治的判断をするのは政治家・国民」というのは正直なところだと思います。ただ、それもまた「ひとつの政治的立場」ではあるでしょうが・・・。
ところで、サトぽんさんは慰安婦被害者の人たちの実名問題についてはどうお思いですか?(いつも人物評価等の「結論」をまず下すところから始まった後、なぜそうなのか等々の説明がよくわからないので・・・。(無理して書くには及びません。)
『実名問題』って、よくもこれだけ情報がない段階
で、支援団体や韓国の悪口を言えるもんだと思いますね。実態があるのは義理の息子の話だけでしょ。
産経やポストの記事かと思いましたがね。
メディアについても、「朝日」から「産経」までそれぞれに読むに値する記事(&記者)もあればダメな記事(&記者)もある、というのが私の見方です。
私が「新東亜」の記事を紹介したのは、韓国にもこういう人たちがいて、またそれを問題視するメディアがある、ということは、私自身知らなかったし、多くの日本人も知らないだろうと思ったからです。
それをどう受け止めるかは人それぞれ。「産経やポストの記事かと思いましたがね」と思う人がいるだろうということも想定内ですし、とくに反論はしません。
もし支援団体等が「新東亜」の記事を「悪口」と受けとめるのなら、きちんと反論すべきだと思います。
私が逆に知りたいのは、記事の中で出てくる被害者女性の義理の息子という人がどういう人かと言うことですね。記事からは、彼が実際に女性のことをどう考えていたのか。距離をおいていたのか、そもそも名乗りを上げることに反対していたのではないかとすら思いますね。なにがあっても義理の母が『慰安婦』であったとは知られたくないようです。
このような態度が、実の娘が大ショックを受けたという明らかな日本軍の戦争犯罪である『慰安所制度』の隠蔽に長らく貢献したということでしょう。私が最初に思ったのはむしろそこです。『あの婆さんたちは単なる元売春婦』というのは、年配の韓国人男性には珍しくないそうですしね。
もちろん、私は、この男性を朴裕河の言うように、『売春婦』差別者だとは思いませんが、まずは当人の意思が最大限尊重されるべきだとは考えますね。仮名が実名に変わったことなど、支援団体が明らかにすべきことはあるでしょうが、証言集では仮名であった人が実名を公表した例もあります。
だいたい、支援団体の証言集に証言を寄せた方を、実名か当時の仮名で刻んだわけだけで、当人の意思は尊重されているわけです。彼女たちの勇気ある証言がなければ、日本軍の未曾有の戦争犯罪は明るみにでることがなかった。また、支援団体が彼女らを『英雄化、聖女化』しているとはも全く思いません。証言集をろくに読んだことのない人が考えそうな話です。
韓国のマスコミの『慰安婦』報道が日本より歪んでいると考えたことは私はありませんね。毎日新聞なんかヒドイもんです。
もちろん産経は論外です。
>このような態度が、実の娘が大ショックを受けたという明らかな日本軍の戦争犯罪である『慰安所制度』の隠蔽に長らく貢献したということでしょう。
>彼女たちの勇気ある証言がなければ、日本軍の未曾有の戦争犯罪は明るみにでることがなかった。
>まずは当人の意思が最大限尊重されるべきだとは考えますね。
・・・これらのご指摘は全面的に同感です。(「未曾有の」はチョット引っかかりますが、大量の無辜の生命にかかわる事例はあまりにも多いので・・・。)
永井和氏や、あるいは(「強制連行」の)外村大氏のような研究者の実証的な史実の追求の成果は日韓ともにもっと注目され尊重されるべきだと思います。
ただ、メディア、とくにTVは対立の図式を明確化するため「政治的」な主張が一般視聴者にも「わかりやすい」コメンテーターを出演させるのが常道なので、おのずと人選が固定化するわけで、それ以外の人たちは(永井倭氏に限らず)「無視」される、ということではないでしょうか。
>韓国のマスコミの『慰安婦』報道が日本より歪んでいる・・・
・・・これは私見では「どちらも歪んでいる」となります。だからこそ、メディア・リテラシーがとくに重要性を帯びてくるわけです。
私が以前書いた「「慰安所管理人の日記」をめぐる日韓の報道&読者の反応の無視できない大きな落差」も、そうした動機によるもので、韓国紙に対する一方的非難では全然ありません。4月の「慰安婦記憶の場」(の一部)も同様です。
私はブログ記事で(たぶん)「強い主張」はしたことがありません。それを旨として書いています。誤読は筆者の側にも責任の一端はあるでしょうが、読者の皆さんには慎重な読みを望みたいものです。
というわけで、今回のさとポンさんのレスについては正面切って反論しようという箇所はとくにありません。
(今後もこんな感じでお願いします(。(笑))
付記:さとポンさんが先の記事で「産経やポストの記事かと思った」のは「新東亜」の記事のことか私のこのブログ゛記事なのか不明確ですが、「実態があるのは義理の息子の話だけ」ではなく、最初の「ウォーキングツアー参加者(複数←本文を訂正しておきます)からの通報」や、それをうけて「新東亜の記者が取材し記事にした」ことも事実です。
慰安婦の70%は日本人でまだ存命の方もいらっしゃるはずです。慰安婦についての報道があるたびに、身をひそめられていると思うとお気の毒な限りです。
「挺身隊」という言葉を団体名に使い続けている点、「20万人」という専門家ならずとも信じがたい数字を少女像の説明等で用い続けている点をとっても、挺対協が史実をどれほど重視しているのか大いに疑問があります。
支援者の多くは純粋に元慰安婦の人たちを「正義と真実の生き証人」と見ているとは思いますが、やはり名乗り出た人以外の多くの人たちのことも考えつつ、自身で事実を追求していってほしいものです。(日本人も同じですけど。)
挺対協等の運動の中から部分的としてもベトナム戦争での韓国人兵士による戦争犯罪や、戦後の米軍慰安婦のこと等に関心が向けられ調査がすすめられたりしたのはいいことだとは思いますが、日本人慰安婦のことはどれだけ視野に入っているのかはよくわかりません。「彼女たちは本来の売春婦」とか「支配民族の女性」といって無視するとしたら問題ですね。
どうもこの元慰安婦の人たちをシンボル化して慰安婦問題を政治・外交の道具として利用する、いや利用しつづけるようなのはいかがなものでしょうか? 水野俊平さんは竹島問題等とともに慰安婦問題は「解決しない」と見ていますが、実は私も同意見です。そもそも韓国は、いや挺対協はどんな形で解決を求めているのか不明です。
この問題だけでなく、「独島」にしても「親日」にしても、韓国では「異論」を唱えることさえ許されないような雰囲気が漂っているのは、韓国内ではどのように意識されているのか(orいないのか)気になるところです。
[蛇足]
・・・と書くと、「日本はどうなんだ!」という声も飛んできそうです。韓国批判が即日本賛美につながるわけでもないのに。たしかに韓国の愛国主義者とよく似た顔つきの愛国者は日本にも大勢いるのは事実ですけどね。