今午後6時半。1時間30分前から芥川賞の選考会議が始まっています。
この記事も同時進行で作成中です。
今回の候補作は今村夏子「あひる」・高橋弘希「短冊流し」・崔実「ジニのパズル」・村田沙耶香「コンビニ人間」・山崎ナオコーラ「美しい距離」の5作品。
この中で私ヌルボが読んだのは崔実(チェ・シル)という在日3世の女性が書いた「ジニのパズル」だけなので、受賞作予想については何も言えません。
ただ、作者が在日ということと、群像新人賞の選評で「超新人(ドラゴン)の出現!」と!マーク付きで大絶賛の辻原登をはじめ5人が満場一致で受賞作に決まったとのことで、発行の少し後「群像6月号」掲載のこの作品を読んでみました。(候補作中これだけが7月初めに単行本化されてるということは、それだけ話題性があり注目度が高いということか?)
私ヌルボの感想等は後回しにすることにして、2ちゃんねるの<芥川賞・直木賞 文学賞受賞作予想スレ16>(→コチラ)を見てみると「芥川賞取りそうな順で言うと ナオコーラ>村田沙耶香>崔実 の順かね?」といった感じ。本命とはいえないまでも、有力候補なのだそうです。
強く推す声もあります。
「ジニのパズル」に作者の井戸の深さを感じる。又吉に授賞なら崔実は文句なしだろう。作品の完成度よりも作者の才能を第一の物差しにするべき。(村上龍が受賞したように)「ジニのパズル」は翻訳すれば世界に通用する。芥川賞をやりそこねたら、村上春樹や吉本ばななに授賞しそこねたのと同じことになってしまう。」とか。
また、<芥川賞・直木賞 文学賞受賞作予想スレ15>(→コチラ)の「確かに題材勝ちで、このようなテーマを持ってこられると、今の日本人は太刀打ちできないジニw」というカキコミには、以前ある在日韓国人(朝鮮人?)に友人(日本人)が「在日の人生には物語があってうらやましい」と語ったという内容の記事をよんだことをなんとなく思い出しました。これはかなり前からの芥川賞だけではない日本の近年の純文学のあり方の問題かも。私ヌルボ、きのう宋基淑「光州の五月」という小説をイッキ読みしましたが、こういう社会的なテーマ(光州事件とその後)を扱った純文学は近年の(・・・って、この30~40年?)日本ではホントに少ないからなー・・・。
そこいくと、なるほど「ジニのパズル」は<社会的な問題>もたしかに含まれてはいます。主人公のジニは在日の女の子で、日本人が通う小学校で差別を受け、中学からは朝鮮学校に通うが・・・、という設定。しかし、差別とか民族学校のことはあくまでも素材。崔実さん自身も「朝日新聞」のインタビュー(→コチラ)で語っているように、差別や暴力への憤りや悲しみが色濃くにじむ物語になったが「何かを社会に訴えるために書いたわけじゃない」とのこと。たしかにそのとおり・・・。むしろ在日としてのアイデンティティ(←ベンリ&安易な言葉)といった内面的な問題に取り組んでいます。その点は同じ在日の高校生を描いた金城一紀「GO」(2000年)とは対照的。「GO」の方は直木賞受賞作だけあって明確なエンタ。主人公杉原はケンカも強いし恋愛もあったりして楽しめます。彼女に在日であることを打ち明けられないといった悩みも描かれていますが・・・。(読書に楽しさを求める方には「ジニ~」よりゼッタイこちらがオススメ。) 翌2001年にさっそく映画化された(窪塚洋介&柴咲コウ主演)のもむべなるかな、です。
※「GO」の方は小・中学が民族学校で高校から一般の日本の私学。「GO」も「ジニのパズル」も、主人公の小学校~高校の経歴は作者とおおよそダブっています。(参照→金城一紀ロングインタビュー)
さて、この「ジニのパズル」の受賞を明らかに望んでいないのが朝鮮学校と朝鮮総聯でしょう。
「GO」の杉原少年のような痛快な(?)暴力とは全然違うものの、ジニが朝鮮学校でしでかしたことも、もしかしたらそれ以上に「過激」なことです。それは、その学校社会の中での黙契(「約束事」)を打ち破る行為。具体的には、最高尊厳の御真影を毀損し、その虚構に対し抗議すること・・・というと、およそ見当がつきますよね。
この「事件」の結果学校にはいられなくなってアメリカへ・・・。で、この作品はそのアメリカの場面から始まっています。(∴最初はわかりにくい。)
・・・私ヌルボ、ちょっと考えたのは、もしこれが受賞して(しなくても)映画化でもされたら「そのシーン」はどう撮るのか?ということ。
昔はすごかった(?)朝鮮総聯の威光も今は見る影もないからどう撮ってもOK?
日本人のアナタ(って、ヌルボも日本人ですが)にお聞きしますが、映画の中で「国民統合の象徴」の写真が毀損されるシーンはありえますか? 戦前・戦中ならもちろんダメですよね。では現代では? 外国の国王や元首だったら?
いずれにしろ、この小説について今朝鮮学校の側(&支援者)がコメントすることがあるとしたら、「遺憾な内容を含んでおり、これに関連して学校や生徒たちに対する非難や差別があってはならない」といったあたりでしょうか。
もっと強気なら(受賞した場合)「このような作品を受賞作とすることに強く抗議する」と言いたいところでしょうが・・・。(弱気なら「これは個人的な作品であり異議を唱えるものないが・・・」。)
ヌルボは北朝鮮政府や朝鮮総聯については総体的に批判している立場ですが、ヘイトスピーチはもちろん反対。しかしこの作品はヘイトに結びつく要素はないのでは?と思います。
それよりも、日頃思うのは、在日の現況についてあまりよく知られていないのでは?ということ。
たとえば、在日の何割くらいが韓国語を話せるか?とか、在日の多くは韓国(朝鮮)・日本にどれだけ愛着を持っているか?とか、在日の何割くらいが「差別を受けている」という認識をもっているか等々。一言で言えば、「一言では言えない」ということなんですけどね。(笑) 韓国・朝鮮人の血を引く人たちにも国籍は朝鮮(←「北朝鮮」ではない)・韓国・日本とさまざまだし、また国籍や民族に自身のアイデンティティを置いている人もいれば「関係ない」と思っている人もいるし・・・。
したがって、限られた小説や映画に登場している在日韓国・朝鮮人だけで在日全体を判断しないことです。
この記事の見出しで「在日の現況とアイデンティティ」などと書きましたが、そこまで書くと長くなりすぎるし、「ジニのパズル」とはどんどん離れてしまうので、それらはまた別記事に回すことにし、ここまでで一区切りつけることにします。
あっこの記事を仕上げる前に<芥川賞に村田沙耶香氏の「コンビニ人間」>というニュースが!
むむっ、遅れをとってしまったか!
(まあ朝鮮学校関係者はホッとしてる、かな?)
[2016年12月14日の追記]
在日作家の作品ではありませんが、やはり在日のアイデンティティを扱った小説に藤代泉「ボーダー&レス」があります。日本人の側から、日本人としての問題意識を掘り下げている点が注目される作品です。2009年第46回文藝賞受賞作で、同年の第142回芥川龍之介賞候補作です。
この記事も同時進行で作成中です。
今回の候補作は今村夏子「あひる」・高橋弘希「短冊流し」・崔実「ジニのパズル」・村田沙耶香「コンビニ人間」・山崎ナオコーラ「美しい距離」の5作品。
この中で私ヌルボが読んだのは崔実(チェ・シル)という在日3世の女性が書いた「ジニのパズル」だけなので、受賞作予想については何も言えません。
ただ、作者が在日ということと、群像新人賞の選評で「超新人(ドラゴン)の出現!」と!マーク付きで大絶賛の辻原登をはじめ5人が満場一致で受賞作に決まったとのことで、発行の少し後「群像6月号」掲載のこの作品を読んでみました。(候補作中これだけが7月初めに単行本化されてるということは、それだけ話題性があり注目度が高いということか?)
私ヌルボの感想等は後回しにすることにして、2ちゃんねるの<芥川賞・直木賞 文学賞受賞作予想スレ16>(→コチラ)を見てみると「芥川賞取りそうな順で言うと ナオコーラ>村田沙耶香>崔実 の順かね?」といった感じ。本命とはいえないまでも、有力候補なのだそうです。
強く推す声もあります。
「ジニのパズル」に作者の井戸の深さを感じる。又吉に授賞なら崔実は文句なしだろう。作品の完成度よりも作者の才能を第一の物差しにするべき。(村上龍が受賞したように)「ジニのパズル」は翻訳すれば世界に通用する。芥川賞をやりそこねたら、村上春樹や吉本ばななに授賞しそこねたのと同じことになってしまう。」とか。
また、<芥川賞・直木賞 文学賞受賞作予想スレ15>(→コチラ)の「確かに題材勝ちで、このようなテーマを持ってこられると、今の日本人は太刀打ちできないジニw」というカキコミには、以前ある在日韓国人(朝鮮人?)に友人(日本人)が「在日の人生には物語があってうらやましい」と語ったという内容の記事をよんだことをなんとなく思い出しました。これはかなり前からの芥川賞だけではない日本の近年の純文学のあり方の問題かも。私ヌルボ、きのう宋基淑「光州の五月」という小説をイッキ読みしましたが、こういう社会的なテーマ(光州事件とその後)を扱った純文学は近年の(・・・って、この30~40年?)日本ではホントに少ないからなー・・・。
そこいくと、なるほど「ジニのパズル」は<社会的な問題>もたしかに含まれてはいます。主人公のジニは在日の女の子で、日本人が通う小学校で差別を受け、中学からは朝鮮学校に通うが・・・、という設定。しかし、差別とか民族学校のことはあくまでも素材。崔実さん自身も「朝日新聞」のインタビュー(→コチラ)で語っているように、差別や暴力への憤りや悲しみが色濃くにじむ物語になったが「何かを社会に訴えるために書いたわけじゃない」とのこと。たしかにそのとおり・・・。むしろ在日としてのアイデンティティ(←ベンリ&安易な言葉)といった内面的な問題に取り組んでいます。その点は同じ在日の高校生を描いた金城一紀「GO」(2000年)とは対照的。「GO」の方は直木賞受賞作だけあって明確なエンタ。主人公杉原はケンカも強いし恋愛もあったりして楽しめます。彼女に在日であることを打ち明けられないといった悩みも描かれていますが・・・。(読書に楽しさを求める方には「ジニ~」よりゼッタイこちらがオススメ。) 翌2001年にさっそく映画化された(窪塚洋介&柴咲コウ主演)のもむべなるかな、です。
※「GO」の方は小・中学が民族学校で高校から一般の日本の私学。「GO」も「ジニのパズル」も、主人公の小学校~高校の経歴は作者とおおよそダブっています。(参照→金城一紀ロングインタビュー)
さて、この「ジニのパズル」の受賞を明らかに望んでいないのが朝鮮学校と朝鮮総聯でしょう。
「GO」の杉原少年のような痛快な(?)暴力とは全然違うものの、ジニが朝鮮学校でしでかしたことも、もしかしたらそれ以上に「過激」なことです。それは、その学校社会の中での黙契(「約束事」)を打ち破る行為。具体的には、最高尊厳の御真影を毀損し、その虚構に対し抗議すること・・・というと、およそ見当がつきますよね。
この「事件」の結果学校にはいられなくなってアメリカへ・・・。で、この作品はそのアメリカの場面から始まっています。(∴最初はわかりにくい。)
・・・私ヌルボ、ちょっと考えたのは、もしこれが受賞して(しなくても)映画化でもされたら「そのシーン」はどう撮るのか?ということ。
昔はすごかった(?)朝鮮総聯の威光も今は見る影もないからどう撮ってもOK?
日本人のアナタ(って、ヌルボも日本人ですが)にお聞きしますが、映画の中で「国民統合の象徴」の写真が毀損されるシーンはありえますか? 戦前・戦中ならもちろんダメですよね。では現代では? 外国の国王や元首だったら?
いずれにしろ、この小説について今朝鮮学校の側(&支援者)がコメントすることがあるとしたら、「遺憾な内容を含んでおり、これに関連して学校や生徒たちに対する非難や差別があってはならない」といったあたりでしょうか。
もっと強気なら(受賞した場合)「このような作品を受賞作とすることに強く抗議する」と言いたいところでしょうが・・・。(弱気なら「これは個人的な作品であり異議を唱えるものないが・・・」。)
ヌルボは北朝鮮政府や朝鮮総聯については総体的に批判している立場ですが、ヘイトスピーチはもちろん反対。しかしこの作品はヘイトに結びつく要素はないのでは?と思います。
それよりも、日頃思うのは、在日の現況についてあまりよく知られていないのでは?ということ。
たとえば、在日の何割くらいが韓国語を話せるか?とか、在日の多くは韓国(朝鮮)・日本にどれだけ愛着を持っているか?とか、在日の何割くらいが「差別を受けている」という認識をもっているか等々。一言で言えば、「一言では言えない」ということなんですけどね。(笑) 韓国・朝鮮人の血を引く人たちにも国籍は朝鮮(←「北朝鮮」ではない)・韓国・日本とさまざまだし、また国籍や民族に自身のアイデンティティを置いている人もいれば「関係ない」と思っている人もいるし・・・。
したがって、限られた小説や映画に登場している在日韓国・朝鮮人だけで在日全体を判断しないことです。
この記事の見出しで「在日の現況とアイデンティティ」などと書きましたが、そこまで書くと長くなりすぎるし、「ジニのパズル」とはどんどん離れてしまうので、それらはまた別記事に回すことにし、ここまでで一区切りつけることにします。
あっこの記事を仕上げる前に<芥川賞に村田沙耶香氏の「コンビニ人間」>というニュースが!
むむっ、遅れをとってしまったか!
(まあ朝鮮学校関係者はホッとしてる、かな?)
[2016年12月14日の追記]
在日作家の作品ではありませんが、やはり在日のアイデンティティを扱った小説に藤代泉「ボーダー&レス」があります。日本人の側から、日本人としての問題意識を掘り下げている点が注目される作品です。2009年第46回文藝賞受賞作で、同年の第142回芥川龍之介賞候補作です。
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