1週間ほど前、韓国のニュースをチェックしていたら、「4月15日、チョー・ヨンピルが小鹿島(소록도.ソロクト)でコンサートを開いた」という記事が新聞各紙やTV等で大きく取り上げられていました。
ポイントは、あのチョー・ヨンピルが、あの小鹿島でコンサートをやるとは! ・・・という二重のオドロキなんですね。
チョー・ヨンピルの方は、いうまでもなく「歌王(가왕.カワン)」と異名をとる韓国の国民歌手。1990年代にテレビ出演をしないと宣言して以来コンサートに専念しています。
※たまたま去る4月16日(土)20:30~22:00、私ヌルボは見てませんが、NHK-BSプレミアムの「谷村新司のショータイム」で、彼がゲスト出演。TVに出るのは約20年ぶりだそうで、これも注目すべきニュース→参考ブログ
私ヌルボ、チョー・ヨンピル自伝の続き(彼自身の愛唱曲等)を書こうと思ってまだ書いてないことを思い出しました。
さて、もう1つの小鹿島の方はご存知の方は少ないのではないでしょうか? 全羅南道のというと、日本の植民地時代の1917年、朝鮮総督府によって小鹿島慈恵医院(1934年小鹿島更生園と改称)が設けられて以来、強制的に集められたハンセン病患者たちが一般社会から隔離されて生活してきた島で、患者数はピーク時に(1940年)には6137人(!)にも上り、当時世界最大の療養所でした。
2001年日本でハンセン病補償法が成立した後、小鹿島入所者が日本に対し補償法請求をしたのが2003年。ヌルボはその頃韓国の月刊誌「マル(말.言葉)」の記事で小鹿島のことを知りました。(韓国人留学生はこの島のことを知らなかったですね。(日本人の多くもハンセン病患者の施設の所在地等よく知らないのと同じ(?)。)
そして、これまた偶然。ヌルボがこの小鹿島を舞台にした小説を2週間ほど前に読み終えたところだったんですよ。名作映画「風の丘を越えて~西便制」の原作者・李清俊の「あなたたちの天国」(みすず書房)という作品です。ハンセン病施設の戦前からの歴史を踏まえた、患者たちの楽園をめざす1960年代の院長と、職員や患者たちとの間の複雑なせめぎあいを描いた、なんとも重たい小説で、本ブログで内容をどう紹介し、感想をどう書こうか、と考えていたところです。
ま、良く書けているなあという他サイトのブック・ガイドをとりあえず紹介して今回はお茶を濁しておきますかねー。それと、この本で知ったこの療養所のオドロキの歴史を2つ(コレとコレ)をウィキで見ていただくことにして・・・。(あ、2つ目は書かれてなかったか。)
・・・ということで、今回もヌルボの懸案となってる2つの記事は今回もネグレクト。
新聞記事とMBCテレビのニュースを紹介しておきます。
※「朝鮮日報」の記事(日本語版)は→コチラのブログ参照。
昨年来た時はフィルハーモニア交響楽団と一緒で、彼は2曲歌っただけ。また来ますと言った約束を今回果たしたわけです。
観客も一緒に歌い、また20人ほどがステージの前に出て踊ったり、チョー・ヨンピルは全員とスキンシップしたり・・・。
※「京郷新聞」の記事(→コチラ)によると、彼が歌った曲は次の通り。
「おかっぱ頭」で始まり、「私の名前は雲」「ろうそくの灯」と続く。リクエストに応えて「虚空」「釜山港へ帰れ」「その冬の喫茶店」「恨五百年」「窓の外の女」「夢」「友よ」。
ナットクの選曲です。
下はその公演の動画。画面が小さいですが、右下をクリックすると全画面に拡大されます。(元に戻す場合も同じところ。)
「やっぱり国民歌手です」とアナウンサー。客席から「待ってましたよ(キダリョッソヨ)!」の声が。ヌルボの好きな「赤とんぼ」も歌ってますね。
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