集英社の全集「戦争×文学」については、本ブログで今までに何度かふれてきました。
今月(2012年6月)の第13冊目の配本は、第1巻「朝鮮戦争」。今までは、各巻に朝鮮・韓国関係の作品が収録されていたら、それにかぎり紹介してきました。
ところが今回は丸ごと朝鮮・韓国関係なので、全部読破しなくては、ということでタイヘンです。既読作品は冒頭の金石範「鴉の死」と松本清張「黒地の絵」だけ。他は未読どころか、初めて知った作品ばかりだし・・・。
ところでこの全集、購読し始めてから気がついたのですが、各巻に口絵として関連の絵画や写真が掲載されていて、これがとても貴重なものなのです。この部分だけを画集としてまとめ、解説をつけて刊行すると大変意義のあるものとなるのではないでしょうか。
とくに戦争画。20年ほど前までは「軍国主義の宣伝画」は一般人が見ることさえ困難な状況だったのですが・・・。
私ヌルボ、以前NHKの戦争画についての番組で藤田嗣治の「サイパン島同胞臣節を全うす」を見て驚いたのが戦争画に関心をもつようになったきっかけ。その後、古書で購入した「太平洋戦争名画集」(ノーベル書房)で、主だった作品は知ることができましたが・・・。(司修「戦争と美術」(岩波新書)が出たのが1992年か。ということは20年以上も前のこと!?)
※「サイパン島~」をご存知ない方は、→コチラのブログ記事で「アッツ島玉砕」とともにご覧ください。もちろん画像検索でもいいですけど。しかし、こんな絵が戦意高揚につながるとは到底思えないですね。
「戦争×文学」の既刊の巻の口絵からいくつかあげてみると・・・
○第8巻「アジア太平洋戦争」
・宮本三郎「飢渇」(1943)・・・「山下・パーシバル両司令官会見図」(1942)で有名な画家が、悲惨な状況を描いているんですね。→コチラ参照。
・鶴田吾郎「神兵パレンバンに降下す(1942)・・・上記「太平洋戦争名画集」所収。
・大貝彌太郎「飛行兵立像」(1944)・・・無言館にある。傷みが激しいが、それにより訴えるものがある。→コチラ参照。
○第15巻「戦時下の青春」
・手塚治虫「新・聊斎志異 女郎蜘蛛」・・・幅広く資料を集めてます。「「戦争漫画」傑作選」(祥伝社新書)だか「手塚治虫の描いた戦争」(朝日文庫)に載ってるのかな?(どちらも未読)
・松本竣介「立てる像」・・・これは私ヌルボ、現物を見ました。神奈川県立近代美術館(鎌倉)所蔵。地元ってことで・・・。→コチラ参照。
○第13巻「死者たちの語り」
・小早川秋聲「国之楯」(1944)・・・これも印象に残る絵ですね。(→コチラの記事参照。) 天覧を拒絶されたというエピソードがあるそうです。いつだったか、「芸術新潮」にも大きく乗っていました。ちょうど今、所蔵館の鳥取県・日南町美術館で「小早川秋聲展」(5月12日(土)~7月15日(土)。詳細は→コチラ。近ければ行くのになー、うーむ・・・。
※<日南町美術館の日々>というブログの記事を読むと、小早川秋聲の作品発掘にはいろんなドラマがあったそうです。
○第19巻「ヒロシマ・ナガサキ」
・アンディ・ウォーホル「原子爆弾」
・イヴ・クライン「ヒロシマ(人体測定79)」・・・丸木位里・俊の絵の他に、こうした作品も入れています。
その他、第20巻「オキナワ 終わらぬ戦争」で今世紀の作品を3点載せているのは、やはり題意に即した選定ということでしょう。
※戦争画について詳述した論考は→コチラ。
だんだんと本論に近づいていきます。ここで第1巻「朝鮮戦争」の口絵を見てみると、以前から知っていたのが1枚の写真と1枚の絵。
前者は、朝鮮戦争を撮った作品で1951年ピューリッツアー賞を受賞したAP通信社のカメラマン・マックス・デスフォー(1913~)の「平壌 大同江鉄橋」(1950)です。(下の画像)
【1950年12月4日撮影。10月25日中国人民義勇軍が参戦。勢力を挽回した中朝連合軍が平壌に迫った時に、橋の骨組みを伝って南に逃げる人々。】
私ヌルボ、この写真は、2010年4月24日の記事でも書きましたが、横浜の日本新聞博物館でやっていた「「朝鮮戦争から60年 戦場の記録」という写真展で見ました。その記事で「北朝鮮深く進攻した米軍が、中国人民義勇軍の参戦により後退する際、大同江の橋を破壊しましたが、その橋の骨組みにしがみついて、まさにアリの群れのように逃れようとする平壌市民。その写真は1951年のピュリツァー賞を受賞したそうです」とコメントした写真がそれです。
※やはり同じ写真展を見た在日の方が、ご自身のホームページ「鳳@bongのpage」で関連記事と写真を載せていらっしゃいます。子ども時代に韓国・全羅北道裡里(今は益山)でなんと(!)米軍機による爆撃を受けて気を失ったとか・・・。
上の写真は、2010年6~8月、ソウル市の芸術の殿堂で開催されたピューリッツァー賞写真展に招待されたデスフォー氏(96歳!)。
「撮影した時、見ると誰も橋から落ちていない。そこに人々の強靭な意志を感じた」と語ったとのことです。(参照記事→コチラ。)
さて、この「朝鮮戦争」の口絵7枚中の最後がこの「平壌 大同江鉄橋」なのですが、最初の口絵1というのが公州大学校教授のキム・ジョンホンという人の「雑草と6.25の記憶(잡초와 6.25의 기억)」(2003)という作品です。これは上記の「平壌 大同江鉄橋」の写真を元に、6枚のパネルと2枚の絵を組み合わせたもので、→コチラのサイトで見ることができます。写真の上に描かれた緑の若葉に希望を托しているのか・・・。
この本の巻末の解説(木下長宏)を読むと、口絵の最初と最後のページに同じ場面を素材とした写真と芸術作品を配置したことで、朝鮮戦争がいまもまだ「休戦中」であることを示しているようです。
これらの他にも、イ・スオク(李壽億.이수억)の「廃墟のソウル」(1953)(→コチラ)等の韓国画家の作品もあり、いろいろ新たな知識を得ることができました。
しかし、全巻の口絵の選定を木下長宏先生が担当しているのかどうかはわかりませんが、たいしたものだなあと思います。新しい巻が出るごとに、口絵を見るのも楽しみになってきました。
さて実は、この本の口絵中「以前から知っていた」もう1枚の絵について書くのがこの記事の目的でした。
ところが例によって前書きがどんどん長くなってしまったので、結局その「本論」は次の記事にします。
予告編として、その絵のタイトルだけ紹介しておきます。下の絵ですが、どれくらい知られいるのでしょうか?
あのピカソが書いた「朝鮮の虐殺」です。
今月(2012年6月)の第13冊目の配本は、第1巻「朝鮮戦争」。今までは、各巻に朝鮮・韓国関係の作品が収録されていたら、それにかぎり紹介してきました。
ところが今回は丸ごと朝鮮・韓国関係なので、全部読破しなくては、ということでタイヘンです。既読作品は冒頭の金石範「鴉の死」と松本清張「黒地の絵」だけ。他は未読どころか、初めて知った作品ばかりだし・・・。
ところでこの全集、購読し始めてから気がついたのですが、各巻に口絵として関連の絵画や写真が掲載されていて、これがとても貴重なものなのです。この部分だけを画集としてまとめ、解説をつけて刊行すると大変意義のあるものとなるのではないでしょうか。
とくに戦争画。20年ほど前までは「軍国主義の宣伝画」は一般人が見ることさえ困難な状況だったのですが・・・。
私ヌルボ、以前NHKの戦争画についての番組で藤田嗣治の「サイパン島同胞臣節を全うす」を見て驚いたのが戦争画に関心をもつようになったきっかけ。その後、古書で購入した「太平洋戦争名画集」(ノーベル書房)で、主だった作品は知ることができましたが・・・。(司修「戦争と美術」(岩波新書)が出たのが1992年か。ということは20年以上も前のこと!?)
※「サイパン島~」をご存知ない方は、→コチラのブログ記事で「アッツ島玉砕」とともにご覧ください。もちろん画像検索でもいいですけど。しかし、こんな絵が戦意高揚につながるとは到底思えないですね。
「戦争×文学」の既刊の巻の口絵からいくつかあげてみると・・・
○第8巻「アジア太平洋戦争」
・宮本三郎「飢渇」(1943)・・・「山下・パーシバル両司令官会見図」(1942)で有名な画家が、悲惨な状況を描いているんですね。→コチラ参照。
・鶴田吾郎「神兵パレンバンに降下す(1942)・・・上記「太平洋戦争名画集」所収。
・大貝彌太郎「飛行兵立像」(1944)・・・無言館にある。傷みが激しいが、それにより訴えるものがある。→コチラ参照。
○第15巻「戦時下の青春」
・手塚治虫「新・聊斎志異 女郎蜘蛛」・・・幅広く資料を集めてます。「「戦争漫画」傑作選」(祥伝社新書)だか「手塚治虫の描いた戦争」(朝日文庫)に載ってるのかな?(どちらも未読)
・松本竣介「立てる像」・・・これは私ヌルボ、現物を見ました。神奈川県立近代美術館(鎌倉)所蔵。地元ってことで・・・。→コチラ参照。
○第13巻「死者たちの語り」
・小早川秋聲「国之楯」(1944)・・・これも印象に残る絵ですね。(→コチラの記事参照。) 天覧を拒絶されたというエピソードがあるそうです。いつだったか、「芸術新潮」にも大きく乗っていました。ちょうど今、所蔵館の鳥取県・日南町美術館で「小早川秋聲展」(5月12日(土)~7月15日(土)。詳細は→コチラ。近ければ行くのになー、うーむ・・・。
※<日南町美術館の日々>というブログの記事を読むと、小早川秋聲の作品発掘にはいろんなドラマがあったそうです。
○第19巻「ヒロシマ・ナガサキ」
・アンディ・ウォーホル「原子爆弾」
・イヴ・クライン「ヒロシマ(人体測定79)」・・・丸木位里・俊の絵の他に、こうした作品も入れています。
その他、第20巻「オキナワ 終わらぬ戦争」で今世紀の作品を3点載せているのは、やはり題意に即した選定ということでしょう。
※戦争画について詳述した論考は→コチラ。
だんだんと本論に近づいていきます。ここで第1巻「朝鮮戦争」の口絵を見てみると、以前から知っていたのが1枚の写真と1枚の絵。
前者は、朝鮮戦争を撮った作品で1951年ピューリッツアー賞を受賞したAP通信社のカメラマン・マックス・デスフォー(1913~)の「平壌 大同江鉄橋」(1950)です。(下の画像)
【1950年12月4日撮影。10月25日中国人民義勇軍が参戦。勢力を挽回した中朝連合軍が平壌に迫った時に、橋の骨組みを伝って南に逃げる人々。】
私ヌルボ、この写真は、2010年4月24日の記事でも書きましたが、横浜の日本新聞博物館でやっていた「「朝鮮戦争から60年 戦場の記録」という写真展で見ました。その記事で「北朝鮮深く進攻した米軍が、中国人民義勇軍の参戦により後退する際、大同江の橋を破壊しましたが、その橋の骨組みにしがみついて、まさにアリの群れのように逃れようとする平壌市民。その写真は1951年のピュリツァー賞を受賞したそうです」とコメントした写真がそれです。
※やはり同じ写真展を見た在日の方が、ご自身のホームページ「鳳@bongのpage」で関連記事と写真を載せていらっしゃいます。子ども時代に韓国・全羅北道裡里(今は益山)でなんと(!)米軍機による爆撃を受けて気を失ったとか・・・。
上の写真は、2010年6~8月、ソウル市の芸術の殿堂で開催されたピューリッツァー賞写真展に招待されたデスフォー氏(96歳!)。
「撮影した時、見ると誰も橋から落ちていない。そこに人々の強靭な意志を感じた」と語ったとのことです。(参照記事→コチラ。)
さて、この「朝鮮戦争」の口絵7枚中の最後がこの「平壌 大同江鉄橋」なのですが、最初の口絵1というのが公州大学校教授のキム・ジョンホンという人の「雑草と6.25の記憶(잡초와 6.25의 기억)」(2003)という作品です。これは上記の「平壌 大同江鉄橋」の写真を元に、6枚のパネルと2枚の絵を組み合わせたもので、→コチラのサイトで見ることができます。写真の上に描かれた緑の若葉に希望を托しているのか・・・。
この本の巻末の解説(木下長宏)を読むと、口絵の最初と最後のページに同じ場面を素材とした写真と芸術作品を配置したことで、朝鮮戦争がいまもまだ「休戦中」であることを示しているようです。
これらの他にも、イ・スオク(李壽億.이수억)の「廃墟のソウル」(1953)(→コチラ)等の韓国画家の作品もあり、いろいろ新たな知識を得ることができました。
しかし、全巻の口絵の選定を木下長宏先生が担当しているのかどうかはわかりませんが、たいしたものだなあと思います。新しい巻が出るごとに、口絵を見るのも楽しみになってきました。
さて実は、この本の口絵中「以前から知っていた」もう1枚の絵について書くのがこの記事の目的でした。
ところが例によって前書きがどんどん長くなってしまったので、結局その「本論」は次の記事にします。
予告編として、その絵のタイトルだけ紹介しておきます。下の絵ですが、どれくらい知られいるのでしょうか?
あのピカソが書いた「朝鮮の虐殺」です。
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