ヨハン・ブラームスと
クララ・シューマンと
セクハラ
ヨハン・ブラームス
(1833-1897)
この写真の人物がブラームスですけれど、僕はこの人はもっと昔の人だと思っていたんですよ。
つまり、ワーグナーやシューマンよりもずっと以前の人。。。モーツアルトの時代に活躍していた人だと思い込んでいたんです。
クララ・シューマン
でも、ブラームスがシューマン夫人であるクララに思慕していたという事を知ってから、
ブラームスがシューマンやワーグナーと同時代の人であることが分かった次第です。
僕は多少クラシックを知っていますが、
この程度のことなんですよね。
前奏曲集
ー私はアマチュアであるー
作品 1の2
著者: 太田将宏
初版: 1989年7月
改定: 2006年5月
この著者の太田さんとは僕が20年前にトロントに滞在していた時に知り合ったのですが、
僕のクラシックの知識と比較するならば、太田さんはアマチュアどころではなく、
その辺の音楽の先生よりも博識なクラシック研究家だと言う事ができると思います。
太田さんは自分の事を“私はアマチュアである”と言っていますが、
かなり謙遜しているのではないか?
謙遜でないのなら、恐らくクラシックの奥深さを極めているのでしょうね。
どんな分野でもそうですが、窮(きわ)めれば窮めるほど奥は深いものです。
自分を“専門家”だとか“玄人”だとか、何の臆面もなく言える人を僕は信用しないんですよ。
うへへへへ。。。
太田さんがアマチュアであるならば、僕は間違いなく“ずぶの素人”です。
実際、大田さんの本を手にとって、クラシックの知識の乏しい僕は
クラシックの本を読んでいると言うよりも、
エッセー集、人生の書として読んでいます。
その様に割り切って読む時、太田さんのクラシックの本は
僕にとって実に面白い“人生の書”として読み応えのあるものです。
そう言う訳で、これから書く事もクラシックに直接関係あることではありません。
あなたがガッカリしないように、あらかじめその旨を言っておきます。
でも、面白い事を書くつもりですから、読み続けてくださいね。
実は太田さんがブラームスの章の追記でセクハラについて触れていたので、この記事を書く気になったのですよ。
最近の日本ではセクハラは話題としては下火ですが、
一頃は日本でもずいぶんと話題になったようですよね。
僕もネットでこの事についてずいぶんとやりあったものですが、今日はその時の事を書きたいと思います。
追記(コーダ) :
特に、日本人、特に、女性と若者は良いと悪い(良くない)、と、好きと嫌い(好きでない)を混同しやすい人が多い、と私は思う。はなはだしいのは、良いと悪い、と、新しいと古い、を混ぜっ返する、いや、区別できない輩もいないわけではない。
自分の好き嫌いに拘らず、それはそれとして良い、と認めねばならない物(者)や事柄がある、と認識する客観性に欠けているのである。いや、それ以前に、自分の印象とは異なる可能性を思考する想像力すらも無いのかも知れない。
セクハラ(Sexual Harassment)が問題になっている、いや、話題になっているのは、ここカナダも日本も同様であるが、少し違うところもある。
ある日本の女性弁護士の言うのに、性的嫌がらせとは、女性が不快に感じることすべてだ、という発言があった。こうした、法律を扱うことを職業とする者の、このような主観的な言い草に、疑問を持ったのは私だけではあるまい。
まず、彼女の“プロ意識”を私は疑う。
この程度の知性では、推定無罪などの概念は理解の外であろう。
我々市民は、弁護士を必要になった状況で、彼、又は彼女の“プロ意識”を期待して金の支払いをするのである。
次に、それでは、クララ・シューマンのような意識過剰の女性を我々男性としては、どのように扱えば良いのであろうか。
この弁護士の、このような知的怠慢は、カナダでは、まず受け入れられない。いや、このような発言は、聞かれる事もないであろう。私は、日本に住んでいる男性に同情している。
もう一つ。
すべて良いものを好きにならなければならない、ということは、確かに言えるか、言えないか、私は知らない。
しかし、自分自身に関することでは、間違えることも権利、人権のひとつである、という点を理解できないで踏越える人のしつこさは、何とかならないか。
こういう人も、カナダでは少ない。
『ブラームス Johannes Brahms』より
これは太田さんがブラームスについて書いた章の最後に付け足しとして書いたものです。
ブラームスについて僕は中学校の音楽の時間に習ったし、
彼の作った曲をいくつか聴いているはずですが、
今、どれ一つとして思い出すことが出来ないんですよね。
それ程ブラームスについての記憶は希薄です。
そう言う訳で、太田さんが本文で書いた事よりも追記で書いた事の方に僕の関心は注がれてしまったわけです。
太田さんは次のように指摘していました。
特に、日本人、特に、女性と若者は良いと悪い(良くない)、と
好きと嫌い(好きでない)を混同しやすい人が多い、と私は思う。
はなはだしいのは、良いと悪い、と、新しいと古い、を混ぜっ返する、
いや、区別できない輩もいないわけではない。
自分の好き嫌いに拘らず、それはそれとして良い、と認めねばならない物(者)や事柄がある、と認識する客観性に欠けているのである。
いや、それ以前に、自分の印象とは異なる可能性を
思考する想像力すらも無いのかも知れない。
この部分を読んで、確かにそのようなことがあったなぁ~
と僕は思い返したのですよ。
嫌ァ。下ネタぽぃのゎキライ
2005年 4月 13日 21:33
Name: すみれ
相手が嫌な気持ちになるようなコトゎ言わないて言うのゎ...
なんて言うかァ...
ホントに思っても言っちゃいけないコトてヤッパあると思うのね、
欧米は...テ言っても言っちゃダメなコトはダメだって思うんだ。
相手が怒ったり呆れたりテ言うリアクションならイイケド、
中にはきっと傷つく人もいるからさ
『下ネタぽぃのゎキライ』より
このすみれちゃんというのは当時高校3年生だと思いました。
この文章を読むと、言っていることは分かります。
“ホントに思っても言っちゃいけないコトてヤッパあると思う”と言っています。
確かにそのようなことはあります。
しかし、その判断基準が好き嫌いであることに問題があるわけです。
太田さんの上の文章を読んで改めて僕はそう感じました。
すみれちゃんの文章をこの部分だけを取り出して読んだのでは、
一体セクハラとどう関係しているのか分からないと思います。
すぐ上のリンクをクリックすると
『ネットで愚か者を演じるのはどこまで許されるか?』と言うスレッドへ飛びます。
この文脈の中ですみれちゃんの投稿を読めばもっとよく理解できるはずです。
このすみれちゃんの投稿を読んで、二人の子持ちの40代の男が
“憤慨のあまり”僕を非難するような投稿を書いたのです。
この“よしださん”については12月1日の記事(『ヨハン・ブラームスとクララ・シューマンと可笑しな日本人』)で書きましたので、ここでは繰り返して述べません。
すぐ上のリンクをクリックして読んでみてください。
好き嫌いではなく根拠(事実)に基づいて書く
相手を批判する時とか、良い悪いを判断する時には、
好き嫌いではなく、根拠(事実)に基づいて書くべきだと僕は信じています。
早い話が、りんごの嫌いな人が居るとします。
この人が好き嫌いで判断したらどうなるのか?
嫌いなことが悪いことならば、
この人にとって“好きでりんごを食べる人”は悪い人になってしまう。
上で紹介したすみれちゃんは、正に好き嫌いで良い悪いを判断しています。
“嫌ァ。下ネタぽぃのゎキライ”
下ネタは嫌い。
だから、下ネタっぽいことを話すのは悪いことだ。
すみれちゃんは高校三年生の女の子でした。
だから、その様な事を言う気持ちは良く分かる。
でも、僕のこれまでの人生経験から言えますが、下ネタが嫌いな人よりも好きな人の方が圧倒的に多いんですよね。
男性なら当然のことですが、女性だって中年になれば下ネタが好きな女性はたくさん居ますよ。
10代の女性だって下ネタの好きな人は意外に多いものです。
正直に言わない人が多いだけです。(笑)
あるいは、意識的に嫌おうとしているけれど、無意識的に関心を持っている!(苦笑)
禁断の園でレンゲさんが
坂田さんと秘め事をして知った悦び
レンゲさんにも16才の頃は、こうして可憐な乙女だったんですよね。
まだ高校1年生の女学生だった頃、レンゲさんは、初めて秘め事を経験した。
愛のない家庭で育ったレンゲさんは、心のよりどころがなくて、当時近所に住んでいた坂田さん夫婦の家に時々遊びに行っていた。
坂田さんも、レンゲさんの家庭の事情を良く知っていて、何かとレンゲさんのことを思いやり可愛がっていた。レンゲさんは、いつしか坂田さんに淡い恋を感じるようになっていた。
坂田さんは良い人だけれど、競馬競輪にハマッていて、そのことで妻の幸子さんと別居するようになった。レンゲさんは、そんなある晩、幼な妻のように坂田さんのために夕ご飯を作ってあげた。坂田さんにも何か感じるものがあったのかも知れませんよね。その晩、レンゲさんは坂田さんの腕に抱かれてハラハラ。。。、ワクワク。。。ドキドキしながら桜の花びらを散らした。。。
『性と愛の渇き』より
このレンゲさんは高校1年生の時に処女の花びらを散らしたのだけれど、無理やり散らされたのではないのです。
愛する人に抱かれて身も心も一つになることを中学生の頃から期待していたと言います。
そう言う訳で、下ネタ的な事柄には中学生の頃から関心があったそうです。
レンゲさんは夢と期待を胸に秘めながら、“処女の花びら”を散らすことを想い描いていたそうです。
ところで、レンゲさんというのは実在のモデルが居ます。
そのモデルの女の子が僕に言った事です。
修学旅行の夜など下ネタの話で盛り上がってしまって、とても楽しかったと言っていたほどです。
レンゲさんは早熟な女の子でした。
だから、レンゲさんの話の輪に加わったのは一部の仲間だけだったそうです。
“ぶりっ子”は興味を示しながらも非難する眼差(まなざ)しでレンゲさんを遠くから睨(にら)んでいたそうです。
この事を僕が書いたら、すみれちゃんは“あたしがぶりっ子だなんて、んも~~”と気分を害していました。
うしししし。。。
(失礼いたしました。)