ヨハン・ブラームスも
ビックリ!
無責任大国日本!
でもね、実際にブラームスがビックリしたわけではありません。
僕はこれまでにも“無責任大国日本”と題して、たくさんの記事を書いたんですよ。
日本、特に日本の政治家が“無責任”だと言うからには、その理由と根拠を明確にしなければいけないと思います。
ただ、お経を唱えるように“無責任大国日本”と言っていたら、反感を買うばかりですよね。
根拠も無く“無責任大国日本”と言っていたら、正に無責任です。
もし僕のこのタイトルに反感を持ったら、ぜひ次のリンクをクリックして僕の記事を読んでみてくださいね。
僕がなぜ“無責任大国日本”と言っているのか?
その理由を理解していただけると思います。
『GOOGLEで検索したデンマンが書いた“無責任大国日本”についての記事の数々』
『YAHOOで検索したデンマンが書いた“無責任大国日本”についての記事の数々』
YAHOO の検索結果を見ると、なんと 21,600 件の記事が引っかかりました。
種を明かせば、“無責任大国日本 デンマン”と言う2語を小窓に入れて検索したのです。
リストの最初に現れた記事はほとんどが僕の書いたものですが、
ヤン・デンマンさんの記事も引っかかっています。
つまり、すべての記事を僕が書いたのではありません。
念のため。。。
では、なんでブラームスを引き合いに出したのか?
ヨハン・ブラームス
(1833-1897)
実は、太田さんから次の本のコピーを受け取ったのです。
前奏曲集
ー私はアマチュアであるー
作品 1の2
著者: 太田将宏
初版: 1989年7月
改定: 2006年5月
この著者の太田さんとは僕が20年前にトロントに滞在していた時に知り合ったのですが、
僕のクラシックの知識と比較するならば、太田さんはアマチュアどころではなく、
その辺の音楽の先生よりも博識なクラシック研究家だと言う事ができると思います。
太田さんは自分の事を“私はアマチュアである”と言っていますが、
かなり謙遜しているのではないか?
謙遜でないのなら、恐らくクラシックの奥深さを極めているのでしょうね。
どんな分野でもそうですが、窮(きわ)めれば窮めるほど奥は深いものです。
自分を“専門家”だとか“玄人”だとか、何の臆面もなく言える人を僕は信用しないんですよ。
うへへへへ。。。
太田さんがアマチュアであるならば、僕は間違いなく“ずぶの素人”です。
実際、大田さんの本を手にとって、クラシックの知識の乏しい僕は
クラシックの本を読んでいると言うよりも、
エッセー集、人生の書として読んでいます。
その様に割り切って読む時、太田さんのクラシックの本は
僕にとって実に面白い“人生の書”として読み応えのあるものです。
そう言う訳で、これから書く事もクラシックに直接関係あることではありません。
あなたがガッカリしないように、あらかじめその旨を言っておきます。
この太田さんの本の中にブラームスを紹介するページがあるのですよ。
クラシック愛好家ならば本文に興味を覚えるのでしょうが、
僕のように、どちらかと言えばクラシックに門外漢の者には
太田さんがブラームスの章で余談として書いた文章に関心が注がれてしまうんですよね。(笑い)
大田さんは次の様に書いています。
追記(コーダ) :
。。。(前略)。。。
セクハラ(Sexual Harassment)が問題になっている、いや、話題になっているのは、ここカナダも日本も同様であるが、少し違うところもある。
ある日本の女性弁護士の言うのに、性的嫌がらせとは、女性が不快に感じることすべてだ、という発言があった。
こうした、法律を扱うことを職業とする者の、このような主観的な言い草に、疑問を持ったのは私だけではあるまい。
まず、彼女の“プロ意識”を私は疑う。
この程度の知性では、推定無罪などの概念は理解の外であろう。
我々市民は、弁護士を必要になった状況で、彼、又は彼女の“プロ意識”を期待して金の支払いをするのである。
。。。(中略)。。。
この弁護士の、このような知的怠慢は、カナダでは、まず受け入れられない。
いや、このような発言は、聞かれる事もないであろう。
私は、日本に住んでいる男性に同情している。
『ブラームス Johannes Brahms』より
この(女性弁護士)程度の知性では、
推定無罪などの概念は理解の外であろう。
この部分を読んで僕はすご~♪~く納得したんですよ。
何を納得したかと言うと、この女性弁護士も含めて日本の法曹界には無責任体質が未だに負の遺産として残っているという事です。
法曹
「曹」は、原告・被告の意。
裁判官・司法官・弁護士など、法律関係の事務・業務を取り扱う人。
三省堂 新明解国語辞典 より
法曹界とは、このような人たちが働いている世界ですよね。
太田さんが“推定無罪”と言っている事は
この世界では
“疑わしきは罰せず”
と言う裁判における大原則のことです。
この女性弁護士は、この大原則も理解できていないのではないか?
太田さんは、そう感じているわけですよ。
僕も同感です。
しかし、僕が同感したとて、日本の法曹界の無責任体質を証明することにはなりません。
では、僕が“法曹界の無責任体質”と言っている根拠とは?
日本滞在中の11月26日の深夜に、僕は珍しく日本テレビでドキュメント番組を見たんですよ。
民放ではドキュメント番組しか見ません。他の番組は、ヤラセであったり、下らない番組が多いからです。
確か午前1時に始まったと思います。すでに日付が変わって27日でした。
その番組は次のようなタイトルでした。
■ NNNドキュメント’06
「裁きの重み、
名張毒ブドウ酒事件
の半世紀」
制作 中京テレビ放送
この番組の後半で斉藤幸夫さんが紹介されます。
この人は1955(昭和30)年の松山事件で4人を殺したとして逮捕され、死刑判決を受けたのです。
1960(昭和35)年に最高裁の上告審判決が上告棄却されて死刑が確定しました。
斉藤さんは無罪を主張していました。
第2次再審請求の結果1984(昭和59)年7月11日に無罪判決を得て斉藤さんは釈放されたのです。
逮捕されてから29年後のことでした。
逮捕された当時、24歳だった斉藤さんは53歳になっていました。
29年間も無実の罪で牢屋に入れられていたのです。
考えてみてください。29年間ですよ。
どうしてこのような事が起こってしまったのか?
凶器は三種類とする検視報告がありながら検察は、これを斉藤さんが自白したとする凶器一種類として証拠提出をしていたのです。
検察にはすべての証拠を提出する義務が無いのです。
つまり、検察に都合の良い証拠だけ提出することができる。
無実になるような証拠は絶対に出さないのです。
こういうところも前近代的な裁判ですよね。
被害者の血痕が付着していたとされた自宅の蒲団もねつ造でした。
つまり、検察は何が何でも犯人を仕立てたかった。
斉藤さんは、その検察官の出世のため、あるいは名誉欲のために被害にあったわけです。
斉藤さんは出所後、職業を転々としました。
刑務所に居る間は年金の掛け金を払えないため、晩年は年金もままならず、月に6万2千円の生活保護を得て細々と暮らしていました。
しかし、今年2006年7月、75歳でその孤独な人生を閉じました。
出所してから22年の余生でした。
なんと、刑務所に居た期間が斉藤さんの人生の中で最も長かったのです。
“疑わしきは罰せず”
現在の日本でも、これは裁判における大原則です。
しかし、戦後、我々は民主主義の世の中に住んでいることになっていますが、
欧米と比べる時、日本の裁判制度は前近代的です。
“疑わしきは罰せず”と言う裁判の大原則の恩恵を受けずに牢獄につながれている人が今でも居ます。
番組は、そのうちの一人の“被害者”を紹介しています。
奥西勝(おくにし・まさる)さんです。
現在80歳です。
今でも刑務所で服役中です。
奥西さんが関わったと言われている事件は1961年に起こりました。
三重県名張市葛尾の村落でした。
寄り合いで出されたブドウ酒が女性5人の命を奪ったのです。
たった十数戸の村の公民館で出されたブドウ酒に農薬が混入されていた。
それを口にした女性のうち5人が死亡、12人が重軽傷。
その5人の死亡者の中に奥西さんの妻と愛人が含まれていたのです。
奥西さんが「三角関係の清算目的」としてブドウ酒の中に農薬を入れたとして逮捕されたのです。
そして奥西さんの自白により、混入された農薬は日本化学製の「ニッカリンT」であることが判明。
しかし、その農薬の瓶が捨てられたとされる川から、その瓶は見つからず、凶器とされる物的証拠が見つからない。
農薬混入するために一升瓶のブドウ酒を歯でこじ開けたとされました。
一審は無罪。
二審で死刑となりました。
一審で無罪となったのは
“疑わしきは罰せず”
...と言う大原則に従ったからです。
自白、証拠共に“疑わしき”点があるとして無罪判決。