デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

あなたは日本人ではありません。PART 1

2007-03-23 16:30:35 | 日本史


あなたは日本人ではありません。



うへへへへ。。。
デンマンですよ。

僕があなたに向かって“あなたは日本人ではありません!”と言ったら、
恐らく、あなたはムカつくでしょうね。

何を言ってんだよ!

人生の半分以上を海外で放浪したオマエよりも、

オイラの方がよっぽど日本人なんだよ!


このようにあなたは僕に向かってホザクに違いないのです。
うしししし。。。
図星でしょう?

もちろん、あなたは日本人ですよ。
そうじゃないと言うつもりなど、僕にはありません。
でも、中にはジューンさんのように外国人でも日本語が達者な人も居るのです。
だから、ジューンさんのようなカナダ人がこの記事を読んでいることも充分に考えられます。

いづれにしても、日本人の定義となると、大変に難しい。
おそらく、絶対にこれだ、という定義はないでしょう。
たとえば、僕の場合、両親は共に日本で生まれて日本で育ちました。
僕の知る限り、僕の家系には、日本人以外の血は混じっていません。
しかし家系といっても、たどれるのは、せいぜい幕末までです。

子供の頃、仏壇のなかに首を突っ込んで一つ一つ位牌を手にとって、没年を確かめたことがあります。
もちろん、しかられました。その時、安政何年というのを見た覚えがあります。

しかし誰が一体、僕の体の中に、古代韓国人の血が混ざってないと断定することができるでしょう?
おそらく、僕のこれまでの話を読んでくれていたなら、先ず間違いなく入っているだろうと思うのが自然です。

この話は次の記事から続いています。
関心があったら読んでみてください。
『日本人はどこからやってきたの? (2007年3月19日)』

むしろ、95パーセントが渡来人の血で、残りの5パーセントがアイヌ系の原日本人の血だと僕は結論付けています。
しかし、だからといって、僕のことを、渡来系の日本人だと言う人は居ません。



前にも書きましたが、僕の先祖は、加藤清正だと言ったところで、まともに信ずる人は居ないでしょう。
あまりにも古すぎて、血筋をたどるのは、先ず無理です。
家系図があったとしても、先ずそんなものは当てになりません。
日本では、全く血縁のない人でも、養子になって、家系図に載ることがありますから。
しかも、もっとひどいのになると、家系図を偽造したり、買ったりしましたから。

しかし、加藤清正は、1562年生まれです。
我われが、問題にしている日本古代から比べれば、まだ最近だといえるでしょう。
それでも古いと感じるのですから、呉人が日本へ呉服をもたらした200年代というのは、気の遠くなるような古い時代です。



しかし、呉という国は、上の地図に書き込んだように、その寿命は、せいぜい50年です。
日本の長い歴史の中では、ほんの一瞬というような短い間なのに、呉人たちは、日本の文化に大きな影響を残しているわけです。
そのことは前にも書いたように、漢字の読みの呉音というかたちで、日本語の中に消しがたい足跡を残しています。
しかも、呉人のことをすっかり忘れ去っても、『呉服』という言葉をいまだに使っているように、『呉』は日本語にすっかり定着しています。

これとちょうど同じように、その当時の呉人の血は、間違いなく我われの体の中に、流れているわけです。
50年と言えば、一人の人間の一生の長さです。
一人の呉人がやってきたぐらいでは、これほどの影響はないでしょう。
ということは、国が滅んだ後に、相当数の呉人が日本へやってきたはずです。
一体、幾人の呉人がやってくると、これほどの影響が日本に残るのか?
ちょっと考えてみてください。

聖徳太子が生まれるのは、この呉の国が滅んでから、約300年後です。
しかし、見逃してならないのは、この300年というのは、大陸はもちろん、朝鮮半島も、日本も含めて、激動の時代でした。
中国では、下の年表に示すように、西晋、東晋を経て南北朝時代に入ります。



隋が中国を統一するまでに、なんと、11王朝が起こっては滅びます。
しかも平穏に王朝が交代するというようなことはありません。
必ず戦乱がつき物です。
すると、当然のことながら難民が出ます。
これは何も、古代にかぎったことではありません。
ベトナムからの難民騒ぎを覚えているでしょうか?



サイゴン(現ホーチミン市)が無血陥落(1975年4月30日)してベトナム戦争は終わりました。
しかし、その後の迫害を恐れる者、よりよい生活や自由を求める者などが小船に乗って次々とべトナムをあとにします。
いわゆる「ボートピープル」と呼ばれる大量の難民の出現です。

漂流中を漁船や貨物船、タンカーなどに救助された難民が、1977年5月28日の37人を皮切りに、日本へもやってきました。1989年以降はベトナム難民を装った中国人の偽装難民も出現し、同年9月には、鹿児島に回航した149人もの“難民”を収容する施設がなく、神戸に再回航するというような事態も発生しました。

現代においても、このような事態が出現するわけですから、古代において、しかも、もっと身近な、中国沿岸、あるいは朝鮮半島からの、たび重なる難民の数は、相当なものだったことが容易に想像されます。280年に呉が滅んでから、663年に百済が滅びるまでの間は、おそらく、日本史上で最も渡来人が数多く日本へやってきた時期だったでしょう。

したがって、この時期に藤原鎌足が父親の御食子(みけこ)と共に、百済からやって来たとしても、まったく不思議ではありません。むしろ、その方が、話はスッキリします。



この写真の大きな人物が鎌足です。
右に座っているお坊さんは長男の定慧(じょうえ)です。
左に座っているのが次男の藤原不比等です。

藤原鎌足が百済からやってきたという

確証があるの?


残念ながら、確証はありません。しかし、それに近い状況証拠のようなものならあります。このことはすでに述べましたが、重要なことなのでここにまた改めて書きます。『続日本紀』の光仁天皇の天応元年(781)7月の項に、次のような記事があります。

「右京の人正六位上栗原勝子公言す。子等が先祖伊賀都臣(いかつのおみ)は、是中臣の遠祖、天御中主命20世の孫,意美佐夜麻(おみさやま)の子なり。伊賀都臣、神功皇后の御世に、百済に使いして、彼の土の女を娶りて,二男を生み、名づけて本大臣、小大臣といふ。はるかに本系を尋ねて聖朝に帰す。時に美濃国不破郡栗原の地を賜ひて以て居らしむ。その後、居に因って、氏を命じて、遂に栗原勝の姓を負へり。伏して乞らくは、中臣栗原連を蒙り賜はむと。是に於いて子公等男女十八人請に依って、改めて之を賜ふ」

ここに中臣栗原連の先祖として中臣伊賀都臣が顔を出します。そして、その人を説明して言います。この伊賀都臣(いかつのおみ)は、中臣の遠祖にあたる天御中主命20世の孫,意美佐夜麻(おみさやま)の子であると。要するに、神代の天御中主命を持ち出してきて、ここに、中臣氏が、古来から、日本に土着した氏族であることを印象付けています。

しかし、すでに述べたように、古事記において、中臣氏が、いかに古い氏族であるか、しかも天皇家と並ぶほど古い家系であるか、と言う事を、それとなく述べています。でも、具体的にどのようなことをしたかと言うことは、書いてありません。書きたくてもかけなかったと言うのが真相でしょう。変なことを書くと嘘がばれますから。それでも、そこ、ここで、それとなく、小出しに、日本古来の氏族であることを述べています。ほとんど、くどいくらいに繰り返されています。20世と言うと、一世代が20年とすると400年、30年とすれば、600年です。仮に僕が、「400年前の僕の祖先は加藤清正です」と言ったら、あなたは信じますか?多分怪しんでかかるでしょう。しかし、誰が一体、確信を持って、僕が、加藤清正の子孫ではないと言いきることができるでしょうか?僕の体の中には、400年という年月の間に加藤清正の子孫の血が、一滴か二敵ぐらいは混じっているかもしれません。

上の記述で延べていることは、言ってみれば、そのような程度のことです。それを、わざわざ、書いているわけです。もちろん、それが、『古事記』、『日本書紀』、『続日本紀』の編集に携わってきた藤原氏の狙いです。「ここまで書けば、もう大丈夫だろう。我われが日本古来から連綿と続いている氏族であると認めてくれるだろう。そろそろ本当のことを書いても、我われが、百済からやってきたとは、もう誰も思うまい」 そういう作為が感じ取れます。



伊賀都臣、神功皇后の御世に、百済に使いして、その土地で現地の女と結ばれて、子供を作った。その子供たちがやがて成長して、日本にやってきた。その者たちがやがて中臣栗原連と名乗るようになったと。さらりと述べています。注意して読まないと、読み飛ばしてしまいそうな箇所です。しかし、この意味は非常に重要だと僕は思います。なぜか?それは、編集に携わった藤原氏が、彼らの祖先、藤原鎌足あるいは、彼の父、御食子(みけこ)が百済からやってきたということを、それとなく示唆しているからです。

中臣氏は古くからいた渡来人であったでしょう。しかし、藤原氏が中臣氏と同じように古い渡来人であったとはとても考えにくい。一番可能性があるのは、この当時、日本へ渡来して婚姻に因って、中臣氏の中へ入っていったということです。それを、日本書紀では、あたかも、自分たちが中臣氏と同じ程度に古い氏族であるように書こうとしている意図が読み取れます。

しかし結局は藤原氏という形で中臣氏とは袖を分かちます。いったんは中臣氏の中に溶け込もうとしましたが、もともと、仏教の影響を受けてきましたから、古来の中臣氏とは水が合いません。しかも、仏教を取り込まないことには政権を保てません。そのことは、蘇我氏を見ていて、鎌足は十分知っていたはずです。

いろいろなことをでっち上げて、『教え』を書いたつもりでも、よく読めば、その中に、真実の破片が見えてきます。『古事記』、『日本書紀』、『続日本紀』という書物は、もちろん、史実も書いてあります。しかし、藤原氏の都合のよいように、かなりの事実がゆがめられて伝えられています。ここのところを注意して読む必要があるのではないかと思います。

藤原鎌足は「六韜(りくとう)」を愛読していた。

この六韜は、周の太公望の撰とされているので、かなり古いものと考えられます。しかし、現存するものは、それに仮託して3世紀以降に作られた偽作であるという説もあります。また三略(さんりゃく)と呼ばれる兵書があり、これは3巻からなる兵書です。これも周の太公望の撰で、黄石公(こうせきこう)が土橋の上で漢の張良に授けたと伝えられています。しかし、これとても、後世の偽撰書だとする学者が居ます。日本には遣唐使上毛野真備が初めて伝えたということになっており、「六韜」と併称して、「六韜三略」と呼ばれることが、よくあります。 

「三略」が「六韜」と併称して、「六韜三略」と呼ばれること、また、「三略」が日本へは、遣唐使上毛野真備によって初めて伝えられた、ということを考え合わせれば、「六韜」がそれほど早い時期に日本へ紹介されたとは思えない。遣唐使が始まったのは、舒明天皇2年(630)ですから、藤原鎌足の生まれた年を614年とすれば、日本へ紹介されたのが遅すぎるのではないか?むしろ、鎌足が百済にいる頃から愛読していたと考えたほうが、筋が通ります。

漢字については、すでに触れましたが、漢音、呉音という読み方があることから、藤原鎌足の時代には、漢字がすでに日本人の中に入り込んでいたでしょう、しかし、この当時はまだ学校というものがありません。では、日本人はどのようにして漢字を習得していったのか?先ず間違いなく、渡来人や帰化人から習ったでしょう。それから、遣隋使、あるいは遣唐使として中国へ行って勉強してきた人から、個人的に習得しているはずです。

したがって、どういうことが言えるかといえば、日本人の中で漢字を知っている者はそう多くはない。せいぜい大和朝廷に役人として雇われている者、しかも、文書にかかわる仕事をしている者に限られていたでしょう。すると、数はかなり限られてきます。渡来人や帰化人の数ほど多くはないはずです。むしろ、日本人に漢字を習わせて、役職に就けるよりも、渡来人や帰化人に日本語を習わせて、役職に就けるほうが、手間、暇がかからなくて、話は簡単です。いずれにしても、外国からやってきた人たちは、日本語を勉強しないと生活してゆけないわけですから。

藤原鎌足が生きていた時代というのは、このような状態だったわけです。しかも、「六韜(りくとう)」という書物が、日本へ紹介されていたとしても、まだ日が浅い。渡来人や帰化人のすべてが「六韜(りくとう)」を知っていたとはかぎりません。このような時に、藤原鎌足は「六韜(りくとう)」を愛読していたわけですから、彼が百済からやってきた人だと考えたほうが筋が通ります。鎌足が日本で生まれたとするならば、彼の父親、御食子(みけこ)を百済から渡ってきた人と考えないと、藤原鎌足が「六韜(りくとう)」を愛読することができた、とは到底考えにくい。



日本で一番古い書は?

現在、日本で一番古い書は、古事記ということになっています。古事記が編纂されたのは和銅5年(712)、日本書紀は養老4年(720)です。鎌足が亡くなったのが669年ですから、もうこの時代は、彼の息子の不比等【659(斉明5)~720(養老4)】の時代です。

712年に成立と書かれている場合が多いのですが、実際には、天武天皇の時代(680年代前半)から書き始められています。天武天皇は壬申の乱の後、諸氏に伝承される「帝紀(テイキ)」(天皇家の皇統譜)と「旧辞(クジ)」(古代の説話)をまとめて後世に残そうとしました。もちろん、これには、理由があって、天武帝が自分の王朝の正当性をこの史書に盛り込もうとしたわけです。当然一人ではできませんから、強力な手助けが居る。それが不比等だというわけです。

しかし、僕は、これは全く話が逆だと見ています。つまり、天智天皇の右腕であった鎌足が、天武天皇に取り入るには、それ相応の実力(利用価値)を示さなければなりません。そこで、鎌足の出自がものを言います。つまり、百済出身であるということが、ここで役に立つわけです。しかも、彼が「六韜(りくとう)」を愛読していたということを忘れるわけにはゆきません。というのは、ここでも、彼は六韜の教えを実践しているからです。

日本史の時間に、僕は、こんな風に教わりました。

「天武天皇は壬申の乱の後、歴史をまとめ、後世に残そうとした。それで、稗田 阿礼(ヒエダノアレ)にそれを誦み習わせた。しかし、それだけで終わっていた。その後、持統・文武両天皇を経て、元明天皇の時代に、太安万侶(オホノ ヤスマロ)に命が下った。安万侶はそれにより阿礼の誦習した事柄を編集して古事記を作成した。そして712年に元明天皇に献上した」     

ここで忘れてはならないことがあります。藤原不比等の以前の名前は、史(ふひと)なのです。不比等は、これ以外にも百済流の名前を持っていたはずです。いずれにしても、この史(ふひと)という名前は、普通の名ではなく、むしろ彼の若い頃の役職名を表すものだったでしょう。つまり歴史編纂に携わっている者という意味です。日本史の先生はこんな風に説明したものです。

その頃の日本人はまだ字を書ける人が少なかった。したがって、この稗田阿礼(ヒエダノアレ)も、いろいろな人から、日本の歴史に関する話を聞いて記憶した。元明天皇の時代になって、やっと自由自在に字を書ける日本人が現れた。そこで、太安万侶(オホノ ヤスマロ)に命じて稗田阿礼が暗誦していた事柄を筆記させた。

その時は、なるほどと思いながら先生の話を聞いていたわけですが、考えてみると、こんな馬鹿げた話はない。先ず不比等が字を書けなかったということはありえません。上のように説明されれば、古事記が日本最古の書だということがよーく分かるわけです。しかし、先ほども書いたとおり、渡来人や帰化人がたくさん日本に居るわけですから、字を書ける人が少なかったなどとはいえません。現存の書のうちでは古事記が最古といえども、それ以前に書物がなかったかといえば、決してそうではない。つまり、渡来人や帰化人や一部の日本人が書いた書物が、結構たくさん存在したのです。諸氏に伝承される「帝紀(テイキ)」(天皇家の皇統譜)と「旧辞(クジ)」(古代の説話) ということで、いかにも言い伝えで、書かれたものでないような書き方をしていますが、実際には書かれたものがほとんどだったでしょう。



すでに、継体天皇のところで述べましたが、日本海沿岸には、上の地図に示すように、たくさんの難民が朝鮮半島から流れ着いて、出雲王朝をはじめとして、継体天皇がいた、現在の福井県や、また新潟県、秋田県のあたりまで、地方王朝がたくさんあったはずです。難民、つまり、渡来人は、こうした王朝に仕えて、歴史書編纂にも加わっていたはずです。

古事記より古い書物がどうして残っていないの?

それは、歴史編纂の目的で、大和朝廷が、昔の地方王朝に伝わる歴史書をすべて集めさせたからです。その集めたものがどうなったかというと、すべて焼き捨ててしまったのです。 
詳しいことは、次のぺージで説明します。

■ 『古事記より古い書物がどうして残っていないの?』

実は、これまでのことは僕が『新しい日本古代史』のサイトに2003年7月17日に書いたことです。
次の記事がそれです。

■ 『今、日本に住んでいる人は日本人でないの?』

どうして同じ記事をまた書いたのか?
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あなたは日本人ではありません。PART 2

2007-03-23 16:28:51 | 日本史
この記事を読んでくれた“愚かなニセ清正君”が日本時間で3月22日の午後12時45分と午後1時に次のようなコメントを書いてくれたのですよ。



Subj: Bravenet Form Processor
Date: 21/03/2007 8:46:11 AM Pacific Daylight Time
From: servicemail@bravenet.com
To: barclay1720@aol.com


MESSAGE SENT THROUGH YOUR WEBSITE

This form was submitted: Mar 21 2007 / 08:45:39

userid = barclay1720
FreeCity = oldhist-rikutou2-superb
Your_Name = 加藤清正かもね・・・
Your_Email_Address = kanning@hotmil.co.jp



Comments:

すばらしい。
あなたの想像力と強引さは評価に値します。
しかし、古代の日本の有力氏族を渡来人だと、
日本人は超混血民族だといったら切がありませんよ。
あなたの理屈から言うと、日本人など一人もいないことになります。
それは、日本列島で人類が誕生したわけではないので、
日本に来たあるいはいる人間はすべて渡来人になってしまうからです。

僕たち渡来人、じゃなくて日本人が大切にしてきた民族意識を
破壊したい衝動はわかりませんが、
たまたまこのサイトに行き着いてしまったので、
普通の人ならあなたのような痛い人は見てみぬ振りをするところを、
同じ渡来人、じゃなくて日本人であり、さっき家の仏壇に頭を突っ込んだ結果、
渡来人、じゃなくて天下の秀吉に、
朝鮮に出兵と嘘をつき観光をしてかも知れない加藤清正の血が
一滴くらいは混っている可能性を否定出来なかった同じ渡来人、
じゃなくて日本人であるわたしがあなたにアドバイスをしてやりましょう。

それは、馬鹿に付ける薬はない、か引きこもりはよくないよ、です。
すいません。アドバイスになってませんかね。
ま、どーでもいいや。どーせお暇でしょうから、
僕の持論に反論できるならしてみてください。
モーソーはほどほどにね!

Thank you for using Bravenet Email Form Processing!




Subj: Bravenet Form Processor
Date: 21/03/2007 9:00:03 AM Pacific Daylight Time
From: servicemail@bravenet.com
To: barclay1720@aol.com


MESSAGE SENT THROUGH YOUR WEBSITE

This form was submitted: Mar 21 2007 / 08:59:07

userid = barclay1720
FreeCity = oldhist-banse-worst
Your_Name = 清正改
Your_Email_Address = kanning@hotmail.co.jp
Comments:



天皇陛下万歳と叫んで死んだ兵士たち謝罪をしてください。
本位不本意は別にして、天皇家は万世一系と信じて戦死したあんたや僕の先祖に失礼です。
謝罪をしてください。

Thank you for using Bravenet Email Form Processing!


この愚かなニセ清正君は、なぜ愚かなのか?
その事を説明するために書き始めたのです。

本文を編集し直すのに時間がかかって
愚かなニセ清正君に対する面白い批判文を書く時間のユトリがありません。

また、あさって詳しく説明する前に、一言で言ってどうしてこの愚かなニセ清正君が愚かなのか?
この清正君は、自分が愚かなことを全く気づいていないのです。
だから、上のような愚かなコメントを書いてしまうのですよ!

うへへへへ。。。



しかも、この愚かなニセ清正君のIPアドレスを調べて分かったことは、
この愚か者は2ちゃんねるからも締め出されるほどの嫌われ者なんですよ。

この事についてはあさって詳しく説明します。
とにかく、愚かなニセ清正君がコメントを書いてくれたので、
楽しい記事が2つ書けることだけは確かです。

そう言う訳で、愚かとはいえ
愚鈍なニセ清正君に感謝しています。
うしししし。。。

明後日を楽しみにしていてくださいね。
意外な面白い事実が分かります。
 
では。。。

藤原氏関連の記事


■ 『藤原鎌足と長男・定慧』

■ 『渡来人とアイヌ人の連合王国』

■ 『天智天皇は暗殺された』

■ 『聖徳太子の母親はペルシャ人だった?』




ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる記事



■ 『デンマンのブログを削除した管理人に対する公開抗議文とその面白い顛末』

『あなたが思う存分楽しめるデンマンのポータルサイト ビーバーランド XOOPS 3世』



このオニイちゃんは、どうして喜んでいるのでしょうか?
もちろん、きれいな看護婦さんが来てくれたからですよね。

この絵を見て、いろいろと面白いことを書いた人たちが居ます。
あなたはどんな事を言いたいですか?

他の人が書いたコメントを読みたいと思いませんか?
次のリンクをクリックしてくださいね。

■ 『こういうのって、どう?面白いでしょう?何か一言いってよ』

■ 『日本は軍国主義への道を歩んでいるのでしょうか?』

■ 『2ちゃんねるは世界のネットのために貢献できるか?』

■ 『日本のネットではありませんよ! 世界のネットです!』

■ 『日本の皇室はどうあるべきでしょうか?』

■ 『一体、日本は良くなるの?』

■ 『どうして、こうも犯罪が増えている?警察はホントに駄目になったの?』

■ 『日本のネットで迷惑を振りまいているウツケ者たち』

■ 『国際化・グローバル化とはあなたにとってどのようなものですか?』

■ 『日本 ☆ 日本人 ☆ 日本社会 ☆ 比較文化論』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』




おほほほほほ。。。。

また、出てまいりましたわぁ。

ネットには、面白い人がたくさん

居ますわよねぇ~。

えっけん君だとか太田将宏老人のように

ムカついたまま返信を書かないようにしてくださいね。

みっともないコメントになるだけですからね。

本人は、なかなか自分の愚かな事に気づかないんですよね。

でもね、少しは可愛げがありますわ。

でも、可愛げが全くないのが

DEMPA55という人物です。



ネットのゴキブリのような人物です。

誰からも嫌われ相手にされていません。

あなたも、DEMPA55に

気をつけてくださいましね。

2ちゃんねるを覗くと、

確かに、DEMPA55のような

ゴキブリがウヨウヨしていますわよね。

ほ~♪~んとにヤラしいところで

ござ~♪~ますわぁ~。

んも~~

どうか、あのようなヤラしいところには

近づかないでくださいましね。

2ちゃんねるに行くのだったら、

あたくしがモデレーターをやっている

『ビーバーランド XOOPS 3世』を見てくださいね。

オツムの体操になるフォーラムが

たくさんありますわよ。

おほほほほほ。。。

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





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あなたにとって映画って?

2007-03-23 16:26:56 | お笑い・ユーモア・娯楽・ゲーム・音楽




あなたにとって映画って?



こんにちは。。。
いつも笑いを忘れないジューンです。
ごきげんいかがですか?

最近映画を見ましたか?
あなたにとって思い出に残る映画って何ですか?



『風と共に去りぬ』
名作ですよね。。。

誰にも思い出の映画ってありますよね?
もちろん、あなたにだってあるでしょう?
最も感動を受けた映画って、何でした?

腹がよじれるほど笑って、涙が出てきてしまったことってあるでしょう?
あるいは、悲しい映画を見てサメザメと泣けてきたこともあったでしょう?

ええっ?わたしの場合ですか?

そうですねぇ~。。。
わたしは未だに少女趣味のところがあるのですよ。



子供の頃見たディズニーの『白雪姫』が忘れられない思い出のアニメです。
ところで、わたしがマスコットギャルをやっている『ビーバーランド XOOPS 3世』で、最も良く読まれているニュース記事が次のタイトルなのです。

『あなたにとって映画とは?』


トップニュースブロック

2007年3月23日午前8時現在

1) あなたにとって映画とは? (113)

2) あなただけに… (102)

3) 親愛なるヴァイアグラ馬鹿 (70)

4) 愛するボヴァリーちゃんが教えてくれた事 (67)

5) 愛と性の葛藤 (59)

6) 愛と性のはざまで… (50)

7) 母性回路とパンツにコカイン (45)

8) 愛と夢の2007年 (レンゲさんとの対話) (41)

9) セックスにとらわれていませんか? (38)

10) “愛とセックス”は大切なモノですわ (36)

『ビーバーランド XOOPS 3世』より


映画に興味を持っている人って、やっぱり多いのですよね。
この記事をここまで読んできたと言う事は、あなただって映画に関心があるのでしょう?



その良く読まれている記事はデンマンさんが書いたものです。
『おもいでの夏』の事を書いています。
わたしもこの映画を見ましたが、デンマンさんほど感銘を受けませんでした。
やはり、女性の視点と男性の視点は違うのだと思います。



でも、ジェニファー・オニールが演じる人妻は女の目から見ても魅力のある人だと思えました。
15才の少年が恋をするのも分かる気がします。

デンマンさんは原作のペーパーバックをボロボロになるほど読んだと言う事ですが、
わたしはまだ読んだことがありません。


Return to Summer of '42



The man stood still, looking at the weather-beaten house, not really aware that the sea was over his ankles, and that his forty-five-dollar Gucci loafers were full of sand and salt water.

He was fifteen years old again. His name was Hermie, and he was desperately, fiercely in love. She was an older woman - twenty-two, at least - gentle and kind, beautiful beyond dreams. And she was married.

The house was her house, so well remembered that he could re-create it in his mind nail by nail. Dorothy. I love you. Dorothy.

Nothing from the first moment Hermie saw her, and no one who had ever happened to him since, had ever been as frightening and as confusing, had made him feel more sure, more insecure, more important, and less significant...




"SUMMER OF '42 - a novel that will be read and reread many times..."

--- Chicago Sun-Times




出典: DELL BOOK (ペーパーバック版) 第27版
    1976年9月印刷 Price $1.75 (1ドル75セント)


ペーパーバックの扉に書かれている上の紹介文を読んでも、ちょっと惹かれますよね。
映画とは、また違った味わいがあるのかも知れません。
わたしも時間があるときに、ぜひ読んで見たいと思っています。

ところで、あなたも映画を作ってみませんか?
世界の第2のスピルバーグを目指して。。。
あるいは、黒澤明監督をめざして。。。

もちろん、すぐに映画を作るなんて出来ませんよね。
片手間にビデオを撮るのとは訳が違います。

わたしも最近知ったのですが、日活の撮影所の中に映画学校があるのですよ。
聞いたことがありますか?
そうです。撮影の現場で映画を勉強することが出来るのですわ。
これほど映画を勉強するのに適した場所は無いですよね。

高校の勉強も大学の勉強も嫌いでも、
映画の勉強ならば、やる気が出てくるのではないですか?
興味があったら次のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。

『あなたの映画の夢を実現させてくれる撮影所の中の映画学校』

どのようにしたら入学できるのか?
楽しい資料がありますよ。
あなたもぜひゲットしてくださいね。

何事も1歩を踏み出す事が大切ですよ。
あなたの、この1つのクリックが、あなたのすばらしい未来を切り開いてくれるかも知れません。
じゃあ、頑張ってね。
Good Luck!



あなたも第1歩を踏み出してね。

あなたが絶対、

見たいと思っていた

面白くて実にためになるリンク



■ 『あなたのための オンライン・ショッピング ガイド』

■ 『英語のここが分からない、易しく教えて掲示板』



■ 『ブログに記事を書いてお小遣いをもらおう!』

■ 『なつかしの映画・TV番組(うら話)掲示板』

■ 『興味深い写真や絵がたくさん載っている世界の神話』

■ 『現在に通じる古代オリエント史の散歩道』



■ 『きれいになったと感じさせる下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『見て楽しい、読んで面白い 私版・対訳ことわざ辞典』

■ 『笑って楽しめる 私版・対訳 慣用句・熟語辞典』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』



■ 『あなたが思う存分楽しめるデンマンのポータルサイト ビーバーランド XOOPS 3世』

■ 『辞書にのってない英語スラング』

■ 『オンライン自動翻訳利用法』




おほほほほ。。。。

また現れて、

くどいようでござ~♪~ますけれど。。。

あたくしも平安の昔に戻って

懐かしい京都に行ってみたいので

ござ~♪~ますのよ。

京都の訛りが懐かしいわああああ~~

でもね、平安時代といっても

下々の生活は

決して平安ではなかったのでござ~♪~ますわよ。

ええっ?どうしてかって?

あなたは映画で『羅生門』を見た事があるでしょう?

あの門は次のようなみすぼらしいものなんですわよ。



でもね、あたしも含めた貴族の生活は

贅沢だったのですわよ。

どうして?

あなただって、そう思うでしょう?

それが知りたかったら、

ぜひ次のリンクをクリックして

じっくりと読んでみてね。

『平安時代は、決して平安ではなかった』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

ああああ~~~

初恋の人と会いたいわあああ~~!




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