加藤清正の本当の子孫
そうなんですよ!
加藤清正の本当の子孫が現れたのですよ。
僕は3月19日に次の記事を書きました。
■ 『日本人はどこからやってきたの?』
この記事の中で次のように
加藤清正のことを書いていたんです。
デンマンは加藤清正の子孫か?
仮に僕が、「400年前の僕の祖先は加藤清正です」と言ったら、あなたは信じますか?
僕の知る限りでは、それは事実ではないようです。
僕の家には、家系図は伝わっていませんから。
しかし、誰が一体、確信を持って、僕が、加藤清正の子孫ではないと言いきることができるでしょうか?
僕の体の中には、400年という年月の間に加藤清正の子孫の血が、一滴か二滴ぐらいは混じっているかもしれません。
上の記述で延べていることは、言ってみれば、そのような程度のことです。
それを、すでに見てきたように、くどくどと言っているわけです。
もちろん、それが、『古事記』、『日本書紀』、『続日本紀』の編集に携わってきた藤原氏の狙いです。
「ここまで書けば、もう大丈夫だろう。
我われが日本古来から連綿と続いている氏族であると認めてくれるだろう。
そろそろ本当のことを書いても、我われが、百済からやってきたとは、もう誰も思うまい」
そういう作為が感じ取れます。
伊賀都臣、神功皇后の御世に、百済に使いして、その土地で現地の女と結ばれて、子供を作った。
その子供たちがやがて成長して、日本にやってきた。
その者たちがやがて中臣栗原連と名乗るようになったと、さらりと述べています。
注意して読まないと、読み飛ばしてしまいそうな箇所です。
しかし、この意味は非常に重要だと僕は思います。
『藤原氏の祖先は朝鮮半島からやってきた』より
“加藤清正の本当の子孫”と名乗り出たのは菊地さんと言う方なんですよ。
菊地さんは、すぐ上のリンク先の『藤原氏の祖先は朝鮮半島からやってきた』と言うページを読んで、その中のフォームメールを使って僕に次のようなコメントを書いてくれたのです。
Subj: Bravenet Form Processor
Date: 26/03/2007 7:22:41 PM Pacific Daylight Time
From: servicemail@bravenet.com
To: barclay1720@aol.com
MESSAGE SENT THROUGH YOUR WEBSITE
This form was submitted: Mar 26 2007 / 19:21:50
userid = barclay1720
FreeCity = oldhist-nakatomi-good
Your_Name = 菊地○○
Your_Email_Address = corgi@○○○○○.freecom.ne.jp
Comments:
加藤様。実は私は加藤清正の本当の子孫です。
正確には、忠広公の次男新八(富山藩士)の子孫で、
数代前に菊地家へ養子に来ていますが、
流れている血は加藤家、清正の子孫です。
良かったらこの件でディスカッションをさせて頂きたいと考えています。
僕の記事には、ヴァイアグラ馬鹿を除けば、めったにコメントがつかないのですよ。
ところが、ここ2週間ほどは、極めて珍しいことに、メッチャやたらにコメントが続いているのです。
本当にうれしい限りです!
飛び上がりたいほどうれしいですよ。
さっそく僕は次のような返信を書きました。
Subj: 菊池さん、コメントありがとう。出来ればブログのコメント欄でやり取りしたいですね。どうですか?
Date: 26/03/2007 10:01:40 PM Pacific Daylight Time
From: barclay1720@aol.com
To: corgi@○○○○○.freecom.ne.jp
菊池さん、コメントありがとう。
出来ればブログのコメント欄でやり取りしたいですね。
どうですか?
日本時間で今日(27日、カナダはまだ26日です)の記事は書いてしまったので、
29日に菊地さんのコメントを基に記事を書きたいと思います。
次のブログのコメント欄で、できれば、やり取りしたいですね。
http://barclay.fruitblog.net/
ここならコメントの字数制限がありません。
書きやすいし読みやすいですよ。
まずはお礼かたがた用件のみで失礼いたします。
では。。。
加藤清正と言う人物はなんとなく怖い形相の人物として描かれています。
加藤清正のトラ退治!と言う事で、僕は小学生の頃から知っていました。
虎を退治するほどの人だから、やはり怖い形相をしているのだと思われたのでしょうね。
このようなわけで、加藤清正は武勇の人と思われがちなようです。
僕も、加藤清正の虎退治の話を聞くと少年の冒険心を書きたてられました。
“男のロマン”を感じさせる人ですよね。
しかし、実像はかなり違っていたようです。
例えば、次のような話が伝えられています。
清正が熊本へ赴任した当初、そこは四本の河川が年中氾濫を起こし、水害が深刻であった。
藩主となった清正は、この水害を除くための大々的な治水工事に取り組んだ。
専門家を動員し、暴れ川の鎮圧にあたった。
このとき、清正は莫大な人手をまかなうため、男女の別なく動員したという。
しまも、きちんと給金を払い、必要以上の労役を課すことなく、農事に割く時間を確保した。
そう言う訳で、領民たちもよくこれに協力したという。
つまり、暴れ武者と言うイメージが強い加藤清正は、実際には卓越した行政手腕の持ち主だった。
更にこういう話も伝わっています。
平時でも、常に腰に米三升と味噌、銀銭300文を入れていた。
ある時、親友の福島正則が「それでは腰が重いだろうが。。。」と述べると、
「わしだって軽くしたい。だが、わしがこうしていれば、家臣も見習い、常に戦時の備えを怠らないだろう」と答えたという。
菊地さんのコメントの中に出てくる忠広と言う人は2代目です。
加藤 忠広(かとう ただひろ)
江戸時代前期の大名。
肥後熊本藩の第2代藩主。
慶長6年(1601年)、加藤清正の次男として生まれる。
兄の忠正が早世したため、世子となる。
慶長16年(1611年)、父の清正が死去したために熊本藩主を継いだ。
若年であったため、藤堂高虎が後見人を務めたと言われている。
しかし父と違って統率力に欠けたため、家臣団を完全に掌握することができず、牛方馬方騒動など重臣の対立が発生し、政治は混乱したと言われている。
寛永10年(1633年)、嫡男・光広の諸大名の名前と花押を記した謀反の連判状を作り家臣をからかうという過ぎた座興を契機として将軍・徳川家光によって改易された。
これには諸説があり、一説では忠広が家臣団を統率できなかったためとも、法度違反のためとも言われている。
また、一方では駿河大納言事件に連座したためとも言われている。
近年では加藤氏が豊臣氏恩顧の有力大名、しかも豊臣一門であったために幕府に警戒され、理由をつけられて取り潰されたという説が有力である。
改易までに要した時間は清正の死、大坂の陣から数えて20年近くにもなり、幕府が加藤家の武力と人脈を警戒していた証拠と言えよう。
その後は出羽丸岡に1万石の所領を与えられ、そこで余生を送った。
承応2年(1653年)に出羽丸岡にて死去。享年53。
子孫は5000石相当の大庄屋として存続し、明治年間に屋敷へ明治天皇が行幸する栄誉に浴している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
熊本藩主として2代までしか続かなかったのは、やはり江戸幕府が加藤清正を警戒していたためだと僕は思いますね。
清正は築城にも優れた才能を持っていた。
しかも、上のエピソードに見るように行政手腕もある。
更に、常に“事あることに備えていた。”
要するに、常に戦時の備えを怠らなかった。
これでは、江戸幕府の重臣から警戒されてしまうのも無理が無いですよね。
難癖つけて、江戸幕府が加藤家を改易してしまったというのが真相だと僕も考えています。
江戸幕府の安泰を図るには加藤一族は目の上の“たんこぶ”だったに違いないのです。
菊地さんから加藤一族に伝わる珍しいエピソードが聞けると面白いのですが。。。
では。。。
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ィ~ハァ~♪~!
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このオニイちゃんは、どうして喜んでいるのでしょうか?
もちろん、きれいな看護婦さんが来てくれたからですよね。
この絵を見て、いろいろと面白いことを書いた人たちが居ます。
あなたはどんな事を言いたいですか?
他の人が書いたコメントを読みたいと思いませんか?
次のリンクをクリックしてくださいね。
■ 『こういうのって、どう?面白いでしょう?何か一言いってよ』
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■ 『国際化・グローバル化とはあなたにとってどのようなものですか?』
■ 『日本 ☆ 日本人 ☆ 日本社会 ☆ 比較文化論』
■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』
おほほほほほ。。。。
また、出てまいりましたわぁ。
ネットには、面白い人がたくさん
居ますわよねぇ~。
えっけん君だとか太田将宏老人のように
ムカついたまま返信を書かないようにしてくださいね。
みっともないコメントになるだけですからね。
本人は、なかなか自分の愚かな事に気づかないんですよね。
でもね、少しは可愛げがありますわ。
でも、可愛げが全くないのが
DEMPA55という人物です。
ネットのゴキブリのような人物です。
誰からも嫌われ相手にされていません。
あなたも、DEMPA55に
気をつけてくださいましね。
2ちゃんねるを覗くと、
確かに、DEMPA55のような
ゴキブリがウヨウヨしていますわよね。
ほ~♪~んとにヤラしいところで
ござ~♪~ますわぁ~。
んも~~
どうか、あのようなヤラしいところには
近づかないでくださいましね。
2ちゃんねるに行くのだったら、
あたくしがモデレーターをやっている
『ビーバーランド XOOPS 3世』を見てくださいね。
オツムの体操になるフォーラムが
たくさんありますわよ。
おほほほほほ。。。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。