ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 強風の中を 2

2015年01月19日 21時47分50秒 | ウォーキング

歩いた日は、その地域の市会議員選挙の前日でした。

各地に看板が建っています。

おっと、このことは書いてはいけないのかな?
だって看板にはこんな掲示もついてました。



わかった。これ以上ふれないようにしましょう。

と、その時遠くから強風に乗って
選挙カーの声が聞こえてきました。

「ただいま候補者自らが歩いて挨拶に伺っております」とな。

ふむふむ、候補者も熊野古道歩きですか。
近づいてきて挨拶したら、
まるで手も握らんばかりに近寄ってきました。

「世の中をぉ~変えたい一心でぇ~」
ではなくて
「前回は涙を飲みましたが、
フットワークの軽いOOをよろしくお願いします」だって。

う~ん、どう見てもフットワーク重そうやんけ
と心の中で突っ込んでしまいました。

でもまあ頑張って市会議員になって
熊野古道の整備をよろしくお願いしますわ。

さて今回最初の見所である

「清姫の腰掛け岩」

に到着です。



その岩を見ると、丸いくぼみがあって



そこに水がたまっておりました。
「おのれ安珍め」という清姫の
怨念が石をへこませたのでしょうか。

ここからことわざが生まれました。

「石の上にも怨念」

はい、次行きましょう。

そこから少し歩くとこんな美容院がありました。



資料の案内地図には
「ヘアーサロン」と書かれてありましたが、
これは間違いでしたね。

正しくは「ペアーサロン」です。



意図はよくわかりませんが、
二人以上でご来店くださいってことですかね。

などとぶつぶつ言いながら進みます。

やがて次の王子である
「津井王子」の案内も現れはじめました。



その先で道はめずらしく三本に分岐しています。



ぱっと見た目は右端が街道っぽいのですが、
ここは真ん中の道が正解です。

確かに道はこんな風に街道風です。



墓地には大きなビャクシンも植わっています。
津波の時のお助けビャクシンかもしれません。



楠井川を渡る「濱側橋」の手前にあるのが、



小さな庚申堂。



庚申信仰は、民間信仰が複雑多岐な形で広まったもので、
地域ごとに意味合いが異なります。
ここでは、地域の特性を考えると
海の方を向いて立っていることから、
海上の安全を祈っているものかもしれません。
彫られているのは千手観音でした。



このあたりで海辺に出ると



風が一層強くなってきました。
しかし喜ばしいことに追風です。
身体が本当に押されるように
前に前にと進むほどでした。

そうそう、まだまだこのあたりには
ビニールハウスがたくさんあります。

その中を覗いてみると、
風もなく暖かくて春のようで、
まるで別世界。
雨が降ってきてもここで恰好の雨宿りが出来そうです。
温室の中は快適コンディション。
しかも花に囲まれて雨宿りなんて
とても風流やおませんか。

中に植えられているのはスターチスが多かったですね。



道端の小さな地蔵にも、
色とりどりのスターチスが備えられていました。





このあたりの道はその先で国道42号と合流し、

ここからしばらくは、
車に注意となります。





その合流点にあるのが、

「宮子姫生誕の地」の碑です。



あの道成寺草創のきっかけとなった姫ですね。
御坊市の宣伝が始まったということは
そろそろ御坊市の境界が近づいてきた
ということでしょう。

その予想通りに
熊野古道も次は印南町に入っていきます。



このあたりにはヤシの木が
たくさん植わっています。

これは、ヤシの花。



茶色のフサフサの中に
怪しげな赤い花?実?が見えています。
こんな短く刈り込まれたヤシが
道端にたくさん植わっています。

それらを眺めながら国道沿いをしばらく行きますと、
資料の案内通りに
前方に大きなフェニックスが見えてきました。



ん?ヤシの木とフェニックスはどう違うのでしょうか。

さっそく調べてみました。

ヤシというのはヤシ科の植物の総称だそうです。
そのヤシの中でも、
日本では一般に
「カナリーヤシ」という植物を
フェニックスと呼んでいるそうです。

ということは、こんな形をしている植物は
「ヤシ」と呼んでいれば間違いないわけですね。

道はフェニックスのところから、
再び国道を離れていきます。
このあたりで歩き始めて1時間が経過しました。

続く