ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

大阪八百八橋を巡った 4

2015年01月29日 21時15分26秒 | ウォーキング

淀屋橋の北詰西、
大阪市役所の道を挟んだ正面には、



ちょっと変わった郵便ポストと



こんな石碑が立っています。



「駅逓司大阪郵便役所跡」

まあいわば現在の中央郵便局的な施設だったんでしょう。

ここに郵便役所を建てたのは明治4年。
その時最初の三日間でポストに預けられた郵便物は
53通だったそうです。
歴史を感じさせますねえ。

ちなみに東京―大阪間の郵便物が届くのは、
当時で約75時間くらいだったといわれています。

土佐堀川の右岸には中之島緑道が設けられています。



そのころからぼちぼち帰宅する
ビジネスマンの姿も見られました。



少し陽は長くなったとはいえ、
まだまだ陽の落ちるのは早いものです。

あたりが暗くなり始め
ビルに灯りが灯り始めました。

この日はストロボを持っていなかったので
暗くなってくると撮影がしんどくなってきます。
先を急ぎましょう。

全長約400mの中之島緑道沿いには
こんなのや、



こんな現代彫刻が



10体ほど置かれてありました。

その緑道の終点、
フェスティバルホールの前に架かるのが、



歩行者専用の

錦橋



ここには、大阪の橋に関する
錦絵のタイルが飾られています。





大阪の橋の博物橋と言ったところでしょうか。

そして次が肥後橋です。



そうです。もうわかりますよね。
その昔、川沿いには
ずらっと各藩の蔵屋敷が建っていました。

この橋の北詰にあったのが
肥後熊本藩の蔵屋敷
なのでこの名前になっています。



ああ、車もライトをつけ始めました。



カメラのISOを1600にあげて、
最後にどうしても撮っておきたいスポットがあります。

さらに土佐堀川を歩いて、
筑前黒田藩の蔵屋敷があった

筑前橋を渡り、



大阪市立科学館の横を抜け、



堂島川の田蓑橋を渡ったところにある



「蛸(たこ)の松」です。



久留米藩と広島藩の蔵屋敷の間にあった松は、
その枝振りが見事で
「蛸の松」と呼ばれていたそうです。

それがこれ。



とりわけ月の夕べや雪の朝には
それはそれは見事だったと絶賛されていたそうです。

もともとは堂島川の左岸にあったものが
こちらに移されてきたのですが、
残念ながら枯死したそうで、
今は二代目の松が植わっています。

しかし二代目とはいえ、
今植わっている松も
当時の錦絵にある松と



よく似た枝振りに見えます。

きっと似た松を探して関係者が
奔走したのではないでしょうか。

そうしてこの堂島川の、
福島浜緑道
(今はネーミングライツで「レッド&ブルーストリート」と言われている)



の入り口に蛸の松を記念して植えられた松
というわけですが、
なんと初代の蛸の松の切り株は
今も大阪教育大に保存されているんだそうです。

さあ、これで見たかったところは全部歩きました。

もうすっかり陽も落ち、
ストロボなしのカメラの撮影ももう限界です。

そこから大阪駅に向かい、
最後に撮影したのが
「北新地」の入り口でした。



写真はありませんが
そこから大阪駅を通り抜け
グランフロントにある好日山荘に向かいました。

目的は先日の熊野古道歩きの時に
強風で不便をしたマップケースの購入です。

幾つかある中から選んだのがこれ。



クルクルと丸めてリュックの肩紐に付けるタイプです。

これだと携行はとても楽そうです。
ただ時間の記入などの記録はできません。
まあそれはカメラの時計を
きちんと合わせておくことで、
後で確認できることですから良しとしておきましょう。



次回から使ってみましょう。

そのお店で友達と落ち合って、
凄い人新年会の会場へ向かいました。

参加者は、ツワモノぞろいの人達ばかりで



とても楽しい時間を過ごし、
歩行とあわせて一日たっぷり楽しんで
帰宅の途についたdoironなのでした。

このシリーズ終わり。