今回は、「伊万里 染付柳文そば猪口」の紹介です。
このそば猪口は、昭和54年に、地方都市のちゃんとした古美術店から買ってきたもので、当時8,000円でした。今よりも高かったような気がします(-_-;)
というのも、このそば猪口の口縁には大きなソゲがあったからです。例によって、疵物だったわけですね。そんな疵があるのに8,000円というのは、今思うと高かったように思うんです。
当時、元禄・享保くらいまでの伊万里を「古伊万里」と言い、その後のものは幕末物と言われて相手にされなかったわけですが、それでも、元禄・享保からは外れても、それに近いものは高かったわけですね。
このそば猪口も、元禄・享保とまではいかなくとも、それに近い江戸中期の終わり頃の「宝暦」くらいはあるであろうとして売られていました。
私も、そんなところだろうなと思い、参考資料とする意味も込めて買ってきたわけです。
ところで、世の中には、そば猪口をコレクションの中心とする「そば猪口コレクター」なる方々がいるんですよね。また、そのような「そば猪口コレクター」が中心となって、そば猪口に関する研究も飛躍的に進んできたようです。
私は、「そば猪口コレクター」でもないので、特に、そば猪口に関心はないんですが、江戸期のそば猪口も古伊万里の一種ではありますから、時々は、そば猪口にも関心は寄せてはいるんです。
最近、「そば猪口コレクター」の大家でもある越前屋平太さんのブログを読んでいましたら、このような広東形のそば猪口は、中国の清朝磁器の影響を受けて、江戸後期の天明期頃から作られるようになったと書かれていました。
私は、このそば猪口を買った時点では、江戸中期の終わり頃の「宝暦」くらいの作であろうと思って買ったわけですが、現実には、それよりも遅い、江戸も後期に属する「天明」くらいの作ということになるようです。
それを知って、ますます、高く買い過ぎたな~という感を強くしたところではありますが、考えてみたら、古伊万里は、今よりも当時の方が高かったということだったんですね。
また、前置きが長くなりました。次に、その、「伊万里 染付柳文そば猪口」を紹介いたします。
正面
形は、広東形と言われるものです。
正面の反対面
口縁の右側に大きなソゲの修復痕が見えます。
接着剤などを使用して修復しましたので、今では変色してしまいました(><)
見込み面
底面
製作年代: 江戸時代後期(天明期)
サ イ ズ : 口径;8.0cm 高台径;4.5cm 高さ;6.0cm