Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

伊万里 染付 花唐草文大台鉢

2020年08月18日 16時55分39秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 染付 花唐草文大台鉢」の紹介です。

 この大台鉢は、前回に紹介した「伊万里 色絵鶴・唐獅子牡丹文大皿」と同じく、昭和54年に買ってきたものですから、これも、今からですと、41年前に買ってきたことになります。

 前回の「伊万里 色絵鶴・唐獅子牡丹文大皿」の紹介のところでも書きましたが、私が、古伊万里第1号の「伊万里 染付 草花文油壷」を買ったのが昭和49年ですから、その時点からは、やはり、5年が経過したわけですね。

 この頃になりますと、私も、だいぶ、古伊万里が見えるようになってきたようで、無疵のちゃんとした古伊万里を買う自信がついてきたようです。

 そんな時に出会ったのがこの大台鉢でした。

 もっとも、時代的には、当時は、正式な「古伊万里」とは認められてはいませんでしたが、大きさもあり、作りも丁寧で、なかなか市場には登場しないような伊万里でしたので、正式な「古伊万里」と同等に扱われてはいました。

 何度も言うようで恐縮ですが、今でこそ、江戸時代あればすべて正式な「古伊万里」とされていますけれど、当時は、元禄・享保以前の伊万里のみを正式な「古伊万里」と言い、その後の伊万里は、十把ひとからげで「幕末物」と言われていたんです。ですから、当然、この大台鉢も「幕末物」ですよね。

 前置きはこのくらいにして、次に、その「伊万里 染付 花唐草文大台鉢」の写真を紹介します。

 

木製の飾り台に乗せたところ

 

 

木製の飾り台から降ろしたところ

 

 

立面

 

 

見込み面

 

 

側面

 

 

底面

 

 

底面に描かれた銘:碧王玲玩

 

<解説>

 思わず、「おみごと!」と言いたくなるような一品です。その堂々たる大きさ! その広い見込み一面に描かれた花唐草の迫力! 一瞬、息を呑みます!

 しかも、裏面も縄を積み上げていったように作られ、器の表のみならず裏も手を抜くようなことをしていません。表も裏も、それぞれに十分に鑑賞に耐えられるように作られています。

 時代的には、それほど古いものではないですが、その大きさ、その迫力、その手を抜かない真剣な仕事ぶりには感動さえ覚えます。

 もともとは何のために作られたものなのかは知らないですが、ミカンでも入れようものなら何キロも入ってしまい、我が家のような少人数の家庭での日常使用には、とても耐えられないでしょう(-_-;) 

 

 

製作年代: 江戸時代後期

サ イ ズ : 口径;30.5cm  高さ;17.5cm  台底径;14.2cm

 

 


 

追記(令和2年8月19日)

 この大台鉢を紹介してから、遅生さんより、

>「碧王玲玩」の銘、初めて見ました。何やら謂れがありそうで、謎めいていますね。

とのコメントが寄せられました。

 私としては、この「碧王玲玩」の銘に関しましては、以前、本か何かで見たような気がしてはいたんですが、調べるのが面倒になり、何の調査もせずに紹介してしまったわけです(-_-;)

 でも、それでも、少々無責任かなと思い直し、手持ちの資料で調べてみることにしました。

 その結果、次のようなことが分かりましたので、追記することにしました。

 使用した手持ちの資料は、佐賀県立九州陶磁文化館発行の「柴田コレクションⅣ」(以下、「柴コレⅣ」と略称)です。

 

 

 

 その「柴コレⅣ」のP.274には、「17世紀末から19世紀中葉の銘款」の例として、次のようなものが載っていました。

 

 

「柴コレⅣ」のの例

 

 

 この大台鉢に描かれている銘款は、上の例に似ています。左側の2文字は同じですね。

 私は、この大台鉢に描かれた銘款を「碧王玲玩」と読んでしまいましたが、正しくは、左側の2文字は、「玲玩」ではなく、「珍玩」だったようです(-_-;)

 

 また、「柴コレⅣ」のについては、

の「球珞珍玩」も、清朝磁器に「球琳珍玩」のように類似の銘款があることから、その影響と考えられる。美しい玉を珍玩する意であろう。の銘の描き方は柔らかな筆で丁寧に書いており、表の唐草文様の筆致(図録P.59の図81)と対応していることが分かる。  (柴コレⅣ:P.272) 」

と解説されていました。

 なお、上の解説文の中に出てくる「図録P.59の図81」というものは、次のようなものです。

 

図81の表面

染付岩草花牡丹唐草文輪花皿(1710~1740年代 口径20.4  高さ3.0  底径12.9)

 

 

 

図81の裏面

 

 

 また、「柴コレⅣ」のについては、

の「?友珍玩」は第一字が不明であり、他の3点(図録P.64の図93、図94、図録P.137の図257)もそれぞれ書体が異なっており、どれが正字か判断しがたい。  (柴コレⅣ: P.278) 」

と解説されています。

 なお、上の解説文に出てくる図は、次のようなものです。

 

図96(裏面の第一文字が不明な鉢)の表面

染付菊唐草文鉢(1690~1740年代    口径16.0   高さ9.2 底径6.6)

 

 

図96(裏面の第一文字が不明な鉢)の裏面

 

 

図93の表面

染付菊唐草文 小猪口(1690~1740年代    口径6.7   高さ3.8   底径2.7)

 

 

図93の裏面

 

 

図94の表面

染付菊唐草文輪花小鉢(1690~1740年代 口径10.8   高さ5.7   底径4.9)

 

 

図94の裏面

 

 

図257の表面

染付唐子紗綾形文皿(1760~1790年代    口径19.0    高さ3.3    底径10.6)

 

 

図257の裏面

 

 

 以上のことから判断しますと、この大台鉢の銘款は、清朝磁器の銘款の影響を受けたもので、「碧王玲玩」ではなく、「碧玉珍玩」と書かれているものと思われます。その意味するところは、美しい玉を珍玩するというところでしょうか。

 なお、上記から分かりますように、図81が1710~1740年代、図96が1690~1740年代、図93が1690~1740年代 、図94が1690~1740年代、図257が1760~1790年代に作られているわけで、その製作年代の範囲は1690年代から1790年代にわたります。従って、この銘款も長期間にわたって使われていたことが分かります。