Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

染錦 花文四つ割文 鶴首瓶

2021年04月03日 17時53分28秒 | 古伊万里

 今回は、「染錦 花文四つ割文 鶴首瓶」の紹介です。

 これは、平成5年に(今から28年前に)買ってきたものです。

 

 胴部分に四つの窓枠を切り、それぞれの窓枠内に「牡丹?」と「菊」を交互に描いています。

 

 

「牡丹?」を描いた面

 

 

「菊」を描いた面

 

 

「牡丹?」と「菊」の間の面

 

 

肩部に描かれた瓔珞文部分の拡大

 

 

底面

 

生 産  地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 口径;1.9cm  胴径;11.3cm  高さ;24.5cm  底径;6.9cm

 

 

 この鶴首瓶につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところですが、ここで、再度その紹介文を引用し、ここでのこの鶴首瓶の紹介に代えさせていただきます。

 

 

    ================================

        <古伊万里への誘い>

      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

*古伊万里ギャラリー132 古伊万里様式染錦花文四つ割文鶴首瓶  (平成21年4月1日登載)

  華やかである。華麗である。

 でも、華麗さの中にも落ち着きがある。単なるキンキラキンではない華がある。

 金襴手も、江戸後期のものになると派手さだけが目に付き、薄べったらないやらしささえ感じるが、これにはそれがない。

 これは、ヨーロッパに輸出され、最近日本に戻ってきたものと思われるが、かの地においては、おそらく貴族の館に飾られ、貴族の館を華やかにする一助を果たしたことであろう。

 文様等については、ヨーロッパの人々、オランダ東インド会社の人々等の注文・意向も入っているのであろうが、首の辺りの瓔珞文などには東洋の面影も強く現れており、和洋渾然一体となっていることをみてとれる。

 ヨーロッパの貴族の館においては、あたかも、東洋の貴婦人の如くに立ち居振る舞っていたのではないだろうか。

 

江戸時代中期     高さ:24.5cm
(胴を四つの窓に割り、窓の中に2種類の花を交互に描いている。)

 

 

     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

*古伊万里バカ日誌67 古伊万里との対話(花文の鶴首瓶) (平成21年3月筆) 

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  つ る (古伊万里様式染錦花文四つ割文鶴首瓶)

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 今日の対話は4月である。4月といえば、まずは「桜」ということなので、主人は、何か、「桜」文の古伊万里で良さそうなものはないものかと押入れ内を物色したようであるが、適当な物が見当たらなかったようである。
 「まっ、花が描いてあれば4月にはふさわしいだろう・・・・・」ということで、花文の鶴首瓶を引っ張り出してきて対話をはじめた。

 


 

主人: ずいぶんと暖かくなった。やはり春はいいな~。

つる: そうですね。春はいいですね。待遠しかったですね。何かしら、力がみなぎってくる感じがしますものね!

主人: そうだね。春は万物の生命を吹き返らす作用を持っているものね。我が家のチャチャ(主人が飼っているペットのフェレット)も、最近、一時体調を崩し、そのままあの世に逝くのかなと思ったが、春の到来とともに今ではすっかり元気を取り戻し、活発に動きまわっているよ。
 そうそう、「春は万物の生命を吹き返らす」といえば、最近では、こんな、強い思い出があるんだ。というのも、私の母の名前は「つる」と言ったんだが、お前を見ていて、「鶴首」→「鶴」→「つる」と連想し、「母」を思い出し、「母」にまつわる話を思い出したわけだ。
 母は平成17年の8月に検査のためということで元気に入院したんだが、その後、だんだん、だんだん、容体が悪くなり、とうとう退院できなくなってしまったんだ。結局は平成18年の1月にそのままその病院で亡くなったわけだが、その約5か月の間での思い出話なんだよ。
 母は、入院時点で88歳だったんだが、それまでは、元気だったこともあり、「百歳まで頑張るんだ!」ということが口癖だった。ところが、入院して元気をなくすようになってからは、「90までは頑張るんだ!」と目標を下げるようになった。それも、だんだんと弱るに従い、苦しくもなってきて、12月頃からは、「早くあの世に逝きたい!」と言い出すようになった。でも、いくらか体調を持ち直してくると、「少し良くなると、また欲が出てくるんだよね! 春までは頑張りたいな~! 春は、いっぱいお花が咲いて綺麗だもの! 白いお花や赤いお花が沢山咲くもの! それを見てからあの世に逝きたい!」と言うようになった。でも結局は春を待たず、1月に亡くなってしまった。春まで頑張れれば満で89歳になったから、数えでは90歳になるので、目標に達したんだけどね・・・・・。
 このように、「春」という響きそのものに、万物をよみがえらせる力というか、活力をよみがえらせる力というか、そんなものがあるよね。

つる: そうですね。だから皆さん春を待ちわびるんでしょうね。

主人: その点、お前にはいっぱいお花が描いてあって、春爛漫を感じさせるね。多くの方に活力を与えてきたことだろうよ。
 思えば、お前は、はるか昔、昔のこと、江戸時代は元禄の頃、オランダ船に乗せられ、長崎を出発した。何か月も何か月も波に揺られ、はるか、はるか遠くのヨーロッパまで運ばれた。そして、かの地の貴族の館に飾られ、東洋の貴婦人よろしく華やかに振る舞い、多くの方々に、長期にわたって、明るさ、暖かさ、そして活力を与え続けてきた。
 そして、かの地での役目を終え、何百年かぶりかで生れ祖国に戻り、今また、今度は、祖国において、多くの方々に、明るさ、暖かさ、そして活力を与え続けてきている。
 ところで、お前のようなものは、俗に、「里帰り品」というんだが、私はお前を平成5年に買っているから、たぶん、その頃に里帰りし、その頃から、祖国の皆さんに活力を与え続けているのだろうね。

つる: そうですか。私は少しは皆さんのために役立っているんですか。

主人: うん。大いに役立っているよ。
 栗田美術館の故栗田館長さんは、大好きな古伊万里たちを千年は生きさせたいという思いで現在の美術館を作ったらしい。まず、建設の場所については、「足利学校」に思いを致し、足利の地なら千年は地震等にも耐えられるだろうということで、生れ故郷でもある足利の地を選んだらしい。また、建物も、千年の風雪に耐えられるようにと、わざわざ有田の地の山林を買い、そこから採掘した陶石で外壁材を焼き、それを使用して建築してあるとか。
 私にはそれほどの力はないので、お前をあと千年も長生きさせてやるというようなことは出来ないが、いつまでも長生きしてほしい。今は亡き母のぶんも、またチャチャのぶんも、更には私のぶんも長生きしてほしい。そして、多くの人々に生きる喜びと活力を与え続けてほしい。

つる: はい。わかりました。頑張ります。


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Dr.kさんへ (酒田の人)
2021-04-03 20:50:45
実に立派な中期の鶴首瓶ですね!
先日の角徳利と同じ様に、華やかでありながら落ち着いた趣があります。
ウチにはこの手の袋物が全くと言っていいほどありませんので
このような中期の優品はずっと憧れを抱いております。
こういった品は、大名や豪商の道具だったんでしょうね。
返信する
酒田の人さんへ (Dr.K)
2021-04-03 21:26:13
この鶴首瓶は、先日の角徳利と同じように、落ち着いた華やかさがありますよね。
よくある金襴手とはちょっと違うかなと思わせるところがありますよね。
これらも、里帰り伊万里かなと思ってはいるんですが、国内向けでもあったのでしょうかね。
その辺は、これから勉強していこうと思っています。
返信する
Dr.Kさんへ (遅生)
2021-04-03 21:33:13
これまた優品ですね。
やはり里帰りですか。そういえば、窓の切り方も含め、全体にうっすらとエキゾチズムが匂います(^.^)

ヨーロッパ貴族の邸宅に飾られていたつるさんも、日本の古伊万里愛好者のもとに安住の場を得たのですね(^.^)
返信する
遅生さんへ (Dr.K)
2021-04-03 21:43:34
お褒めいただきありがとうございます(^-^*)
やはり、里帰りかなと思っているんですが、、、。

「つる」は私の母の名前なものですから、私のところに来てくれたのかもしれません(^-^*)
今は、親子で一緒に暮らしているわけですが、何時まで一緒にいられるかですね、、。
人間のほうは寿命が早いですから、間もなく別れることになりますものね。それを思うと、ちょっと、寂しくなります(~_~;)
返信する

コメントを投稿