Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

伊万里 染付東屋山水文小皿

2020年07月30日 10時17分43秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 染付東屋山水文小皿」の紹介です。

 この小皿は、昭和52年に手に入れたものですが、何故か4枚です(-_-;) 多分、数が5枚になると、五客揃いとなり、値段も高くなるので、半端な数の4枚だけあったもののすべてを買ったからでしょう。

 当時、正式な(?)古伊万里は元禄・享保以前のものとされ、それ以後のものは幕末物とされて相手にされず、値段も安く出回っていました。

 当時の私は、古伊万里コレクターとしては駆け出しで、とても、とても、正式な(?)古伊万里である、いわゆる筋物の古伊万里などは買えなかったものですから、このような幕末物を買ってきては、古伊万里の勉強をしていたわけですね。

 そんなことで、本来なら、このような物を、わざわざこのブログで紹介するのはおこがましいのですが、当時、どのようなものが市場に出回っていたのかを知るうえでは、多少は参考になるのかなと考え、紹介することとした次第です。

 この小皿は、今でも、よく、骨董雑誌などに登場しますし、現に、骨董市などにも登場してきますね。

 この小皿は、当時は幕末物と言われていたわけですが、正に、その名の通り、幕末に近い頃に作られたものと思われます。1820~1860年代頃にかけて作られたものと思われます。

 また、当時、かなりの人気があったとみえ、長年にわたって数多く作られたのでしょうね。今でも骨董市などに登場するくらいですから、、、。

 今回、ここに紹介するに際し、我が家には、4枚しかないことに気付きましたので、今度、もう1枚買ってきて5枚とし、是非、五客組にしようと思います(^-^;

 

表面

 

 

裏面

 

 

表面(4枚の代表)

 

 

裏面(4枚の代表)

 

 

製作年代: 江戸時代後期(1820~1860年代)

サ イ ズ : 口径;10.1cm  高台径;5.9cm

 

 


 

追記(令和2年8月5日)

 久しぶりに、「伊万里 志田窯の染付皿 ー江戸後・末期の作風をみるー」(小木一良・横粂 均・青木克巳著 里文出版 平成6年10月25日発行)を読み返しました。

 そこには、志田窯の製品には次のような特徴があることをが書かれていました。

① 染付の発色効果を上げるため、素地に白化粧(エンゴベー)を施している場合が多いこと。

② 主文様のみを絵画調に大胆に描き、主文様の他に他の文様を添えない場合が多いこと。

 

 その特徴に照らし合わせますと、この小皿には上記の①と②の特徴が見られますので、志田窯の製品であるように思われます。


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
padaさんへ (Dr.K)
2020-07-31 12:45:32
どうも、これは、志田窯のようですね。
江波焼とされてきたものも、ほとんど、それは、志田焼だったと言われるようになってきましたね。
padaさんの所には、砥部焼がありましたね。昔は、伊万里のほうが砥部焼よりも高かったように記憶していますが、今では、砥部焼のほうが高いのではないでしょうか、、、。

最近では、皆さん、勉強していて、骨董屋のおやじさんの言うことなど、あまり信用しなくなりましたね。
若い人は、ネットなどでも勉強できますものね。

「志田窯の染付皿」という本を、また読み返してみようと思っています。
勉強しないと、若い人から、骨董屋のおやじさんのように思われてしまいますから、、、(笑)。
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Unknown (pada)
2020-07-31 11:10:15
なるほど志田ですか!
愛媛の此方では、地元との砥部焼がありますが、数から行きますと肥前の焼き物が多い様に思います。その昔は江波焼きなんて言われていた事もあったと思います。昔は適当で骨董屋のおやじさんの感覚次第でした。
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遅生さんへ (Dr.K)
2020-07-30 19:43:00
私は、膾皿と手塩皿の区分の仕方を知らないんですが、私のこれまでの認識からしますと、膾皿はもっと大きいものと思ていました。これは、手塩皿に属するのではないかと思っているんです(-_-;)

志田窯というのが、世に知られるようになったのは、「志田窯の染付皿」(小木一郎、横粂均、青木克己著 里分出版 平成6年刊)という本が出てからですね。
そのような窯の存在は、それまでは一般には知られていませんでした。
それまでは、志田窯のものは伊万里の中に埋没していましたね。
ですから、この小皿を買った時点でも、伊万里と信じて疑いませんでした。

ところで、肥前磁器に非常に明るい森川天さんから、先ほど、これは志田窯のものですとのコメントをいただいたところです。
私は、以前、この「志田窯の染付皿」というのを読んで、志田製品には、白化粧がけがされているのが特徴であるということが書いてあったように記憶していたものですから、さきほど、また、ちょっと、この「志田窯の染付皿」という本を覗いてみましたら、白化粧がけをしていないものもあるようなんですね。
それで、これは、志田窯のものなのかもしれないとは思い直したところです。

もっとも、私個人としては、肥前地域一帯で作られた磁器を「伊万里」と総称していますので、これが有田製なのか志田製なのかは問題にはなりませんが、、、。

そうそう、ホント、この小皿は、遅生さんが先日紹介しました「絵瀬戸夕景帰帆図中皿」に似ていますね。このような光景は、日本の原風景なんでしょうね。あちこちで、特に真似するわけでもなく、同じような光景が描かれたんでしょうね。

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Dr.Kさんへ (遅生)
2020-07-30 16:09:53
これも、いわゆる膾皿の範疇に入るのでしょうか。高台が蛇の目になっていないのは志田窯だからでしょうか、などなどのこまごました事は、どうでもよいですよね(^^;
何より、この絵付け、先日私が紹介した、絵瀬戸の定番皿に雰囲気がよく似ています。日本の原風景なのですね。
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不あがりさんへ (Dr.K)
2020-07-30 15:46:59
森川天さんが、志田窯と教えてくれましたね。
でも、消費地では、この手のものをず~っと伊万里として扱ってきましたね。最近ですよね。志田窯などと言われるようになったのは。本が出てからです。

この手の皿は、多く出回っているんです。それで、私は、会津本郷焼とは思いませんでした。会津本郷焼なら珍品になりますものね。私の決め手は、数が多いか少ないかでした(笑)。
幕末近くなりますと、あちこちで磁器を焼くようになりますから、その判定が難しくなりますね。
そんなことも原因で、私は、江戸後期の伊万里はそれほど好きになれないんです(-_-;)
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Unknown (不あがり)
2020-07-30 15:20:00
Dr.K様へ
私は、初め見た時、ああ、会津本郷だなと実は思いました。縁に鉄釉で、素朴な絵柄で、そう思った訳ですが。森川天様が、志田ですねと仰った時には驚きました。志田は分かっているつもりでしたが。まだまだだなと改めて感じたものであります。勉強になりました。有難うございます。
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