今回は、「染付 陽刻 鳳凰文 輪花形小皿」の紹介です。
これも、昭和61年に買ったものです。
これは、ちょっと華やかさに欠けますから、一般受けしませんね(~_~;) 通(つう)好みというところでしょうか。
表面
中央部左部分の拡大
雲が陽刻され、更に、その背景には幾何学文様の地文が陽刻されています。
中央部右部分の拡大
雲が陽刻され、更に、その背景には幾何学文様の地文が陽刻されています。
右上部分の拡大
雲が陽刻され、更に、その背景には幾何学文様の地文が陽刻されています。
左下部分の拡大
雲が陽刻され、更に、その背景には幾何学文様の地文が陽刻されています。
側面
かなりの歪みが見られます。
裏面
高台内の銘款部分の拡大
「大明成化」が「大明成他」に、「年製」が「年数」のように読めます。
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代前期
サ イ ズ: 口径;14.7×15.2cm(歪みがあるため) 底径;7.7cm
なお、この小皿につきましても、今では止めてしまっている拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介していますので、それを、次に、再度引用することで、この小皿の紹介に代えさせていただきます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー106 古九谷様式染付陽刻鳳凰文輪花形小皿(平成19年2月1日登載)
実に精巧、丁寧な作りの小皿である。
表面の陽刻は、細かい部分までくっきりとしている。雲とその背景には幾何学文様が陽刻されている。現代では、こんなに細かくシャープにくっきりとした陽刻文を出せるのだろうか?
見た感じでは、薄作りで軽そうに思えるが、手取りは見た目よりは少々重い。高台付近が厚く、口縁に近くなるに従って薄く作られているからである。焼成時の歪みを少なくするためにそのような造形にしているのだろうけれど、それでも、実際にはかなり歪んでしまっている。
もっとも、精巧に、丁寧に作られてはいるけれども、そこには完璧を目指した精巧さがない。不完全さも宿しており、余裕さえも感じ、窮屈さを覚えない。
染付の描線も伸びやかだ。相当に手慣れているのだろうが、キッチリと寸分も違わずに描かれているよりは親しみを感じるのではないだろうか。
高台内の銘もしかりである。「大明成化」と書くべきところを「大明成他」と書いているし、「年製」は「年数」のように読める。文字など知らない陶工が、文様の意味で描いているからだろう。でも、非常に手慣れているので、ちゃんとした意味を有する文字に見えるし、親しみさえ覚えるから不思議である。
江戸時代前期 口径:14.7~15.2cm(相当に歪んでいるので、若干楕円状である。)
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*古伊万里バカ日誌45 古伊万里との対話(鳳凰文の小皿)(平成19年1月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
陽 子 (古九谷様式陽刻鳳凰文輪花形小皿)
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・・・・・プロローグ・・・・・
主人は、暮れに交通事故をおこしてしまった。ただ、軽い物損事故で済んだのは不幸中の幸いだった。でも、これまで何十年と運転していて初めての事故だったので相当にショックを受け、大晦日には神社でお祓いを受けたところである。しかし、それだけでは安心できないのか、翌日の元旦にも神社でお祓いを受けてきたようである。
ところが、最近、自宅の車庫で、買ったばかりのスタットレスタイヤの1本がパンクしているのを発見し、再度ショックを受けたようである。前日、釘のような物を踏んでしまい、そこから空気が漏れ、朝までにペチャンコになってしまったものであるが、パンクも、これまた何十年と運転していての初めての経験だったので、ショックも大きかったようである。
「鰯の頭にも信心」とか・・・・・。最近、神頼みの心境になってきている主人は、我が家に鳳凰文の小皿があることを思い出し、その鳳凰文の小皿に災厄よけをお願いしてみようと思いたち、さっそく押入から引っ張り出してきて対話を始めた。対話を始めたといっても、前述のように動機不純でのサモシイ下心からの対話のスタートである。はたして円滑に話は進むのだろうか・・・・・?
主人:いや~暫く。お前は、何時見ても素晴らしいね。特にその造形は見事だ。(ミエミエのお世辞たっぷりで、薄気味悪いほどである。何か魂胆があることはバレバレだ!)
陽子:ありがとうございます。見え見えのお世辞でも、褒められると嬉しいものですね。悪い気はしないものですね。
主人:まあ、そう、あからさまに嫌味を言いなさんな! 半ば本当のことだと思うよ。
お前は、実に丁寧に作られている。真ん中あたりに雲が陽刻してあって、その背景には幾何学文様の地文が、これまた陽刻してある。型にかぶせて、裏側から押して陽刻にしたんだろうかね。
そのまんまの「白磁」でも充分かと思われるが、更に染付で鳳凰と雲を描いて華を添えているところがいい。また、その描き方も実に手慣れているし、背景の陽刻とマッチしていて効果的だ。染付も描きすぎてないのがいいね。あっさり描いてあって、背景の陽刻と併せて一体とした表現になっている。実に陽刻を上手に利用しているね。
陽子:陽刻になっているお皿は結構多いんでしょう。
主人:そうね。結構あるね。
私見だけど、時代が下がるに従って、おおまかな陽刻が多いように思うね。古い物は実に丁寧に細部にわたった陽刻になっていると思う。江戸時代の前期頃に作られたお前のような物は、当時の国内の富裕層の需要を満たすために作られた物だろうから、高級品だったのだろうし、随分と力を入れて作っているね。食器というよりは工芸品といった感じだ。
陽子:そんなに手間・暇かけて作っても採算が合ったのでしょうか?
主人:採算は合ったんだろうね。当時は、それだけに貴重品であったろうし、高価だったんだろうね。今の大量生産・大量消費の時代での食器のイメージからは考えられないよ。もっとも、今だって、高級食器は高いよね。盛期にはそんな物ばかりを作っていたと考えればいいのかな。
当時は、輸出用にも良い物を作っていた。それだけ儲かったんだろう。街全体が活気に満ちあふれ、皆んなが、内面からの燃え立つような情熱で製陶に従事していたであろうさまが、ありありと思い浮かんでくるね。
陽子:良い物が作るそばからどんどん売れていけば、益々良い物を作るようになるでしょうし、街に活気も出、景気も良くなってくるんでしょうね。
主人:そうだね。景気も悪くなってくると、なんとなく社会全体が沈滞してしまって、暗くなってしまうものね。最近、我が国では景気が良くなったと発表されているけれど、田舎にいると実感しないな~。それに、我が家では、暮れに交通事故をおこしたり、極く最近では新品のタイヤがパンクしたりで、ここのところ御難続きだから、暗い気持でいっぱいなんだ。
そこでお願いなんだが、お前は鳳凰なんだろう。鳳凰は瑞鳥なんだから、災いを持ち去ったり、幸せを運んで来たりすることが出来るんだろう。我が家から災いを持ち去っていって、我が家に幸運を運んでくることなどいとも簡単なことだろうから、それをお願いしたいんだよ。
陽子:はい。今日は過分なるお褒めのお言葉をいただきましたので、努力してみます・・・・・。
主人:頼むよ! ネ!!
(物の本には、鳳凰は、徳の高い王者による平安な治世が行われる時とか、優れた知性を持つ人が生まれた時に姿を現わす瑞鳥と書かれている。従って、鳳凰に、災厄よけとか幸運招来をお願いしても、ご利益があるのかどうか疑問である。 「溺れる者藁をも掴む」とか「鰯の頭にも信心」のたぐいではないのかとの声あり。)
この時代にもう陽刻があったのですね。ということは、絵違いの品もあるはずですが、見たことがありません。ダブル陽刻も凝っているので、ひょっとすると、この染付皿が唯一?
鳳凰もそうですか。ずっと以前に紹介した白澤(アマビエと同じく病退治)のような瑞獣も、徳のある治世に現れるそうですから、今の世では絶望的ですね(^^;
でも、古いだけで、ちょと、物足りないところがありますね(^-^*)
その後、このような物はないかと気にかけて見ているんですが、これに似たようなものを見かけたことがありません。
あまり例のない皿のようですね。
寛文・延宝の頃の皿の縁にも陽刻がよく施されていますが、それよりも緻密な陽刻ですものね。
しかも、ダブル陽刻ですものね。
かなり珍しいのかもしれません。
鳳凰も白澤も、徳のある治世に現れるんですか! ホント、今の世では絶望的ですね(~_~;)
高台部分が厚く成形されていることからして、初期伊万里の範疇に入る品なのは確かですが
このような作例があることに驚かされます。
初期伊万里の後期(前期藍九谷というか)の品では地紋として描かれる文様が陽刻されているとは!
まさに稀品としか言いようがありません。
成形も見事ですし、絵も初期というよりは藍九谷の上手のような絵付けです
極めて類品の少ない貴重な品、まさに眼福です。
古いですから、残存数も少ないのでしょうけれど、作るのに手間がかかったわりには人気が無くて売れなかったためにあまり作られないで終わってしまったのか、残存数が極端に少ないですね。
貴重なものを拾うことが出来、よかったなと思っています(^-^*)