今回は、波佐見焼のコーヒーマグを紹介します。
波佐見焼のコーヒーマグそのものは特に珍しいものではないんですが、このコーヒーマグは、海外に輸出するために稲藁(いなわら)で梱包されたものが、なんらかの事情で、海外に輸出されることなく、そのままの状態で国内に残ったところに珍しさがあります。
江戸時代に、磁器が、どのように梱包されて輸出されていったのかを知ることのできる、貴重な資料ではないかと思っています。
ところで、波佐見焼ですが、その始まりは、遠く、豊臣秀吉の朝鮮出兵にまで遡ります。
この出兵の際、九州各地の大名達は朝鮮半島から多くの陶工を連れ帰りました。大村藩も多くの陶工を連れ帰り、国許で焼き物を焼かせます。それが波佐見焼の始まりです。
その後も、ず~と、波佐見焼は焼き続けられてきたのですが、「波佐見焼」という名称は、全国的には知名度が低いように思われます。それは、江戸時代には、当時の積出港の名を取って「伊万里焼」と称され、明治時代以降は、積出駅の有田の名を取って「有田焼」と称されてきたためです。そのため、「「伊万里焼」・「有田焼」の中には、多くの「波佐見焼」が含まれています。
そのような事情もふまえ、私は、肥前地域一帯で作られた磁器を総称して「伊万里」としています。従いまして、タイトルも、「波佐見焼 色絵コーヒーマグ」ではなく、「伊万里 色絵コーヒーマグ」としていますことをご理解ください。
なお、江戸時代の終わり頃から明治、大正時代にかけ、波佐見では、海外輸出用の酒や醤油を入れる瓶が量産されています。一般に「コンプラ瓶」と言われています。
ところで、それが、何故、「コンプラ瓶」と言われるようになったかですが、それは、仲買(なかがい)を意味する「コンプラドール(Comprador)」というポルトガル語に由来する長崎出島の商人~コンプラ仲間~が取り扱っていたことから、そのように呼ばれるようになったとのことです。
今回紹介しますコーヒーマグは、ちょうど、「コンプラ瓶」の筒状の部分を半分に切って底を付け、それに把手を付けたような形状のものです。
前置きが長くなりました。それでは、いよいよ、そのコーヒーマグを紹介いたします。
量産品ですから、作りは雑ですね。把手の取り付けなど、捻じ曲がっています(-_-;)
ただ、雑器ではありますが、口縁部と腰部に染付の圏線を施して本焼し、しかる後に色絵を施しています(次の1個のみのコーヒーマグからは、染付圏線が薄く、はっきりとは見てとれないと思いますが、稲藁で梱包された3個のコーヒーマグのほうからは比較的にはっきりと見てとれます)。雑器ですが、少しは手間をかけているようです。
把手を右にした面
口径:8.4cm 高さ:7.4cm 高台径:6.2cm
製作年代:江戸時代末
把手を後ろにした面
把手を左にした面
見込み面
底面
把手取り付け面(1)
把手の取り付けは、かなり捻じ曲がっています(-_-;)
把手取り付け面(2)
把手取り付け面(1)の画像では、把手がノッペリとし、象の鼻のように見えてしまいますので、このコーヒーマグの名誉のために、少し角度を変えた写真を追加します(笑)。把手の真ん中辺りが凹んでいるところがお分かりでしょうか。写真ではなかなか実際の姿をお伝え出来ないんですが、雑器の割には、結構、気を使っていて、武骨一辺倒ではなく、繊細なところがあるんです(^-^;
次が、海外に輸出するために稲藁(いなわら)で梱包されたのに、なんらかの事情で、海外に輸出されることなく、そのままの状態で国内に残ってしまったコーヒーマグの写真です。
色絵の部分が比較的に多く見える面(3個内臓)
把手が上の面(3個内臓)
把手が下の面(3個内臓)
カップの上側から見た側面(3個内臓)
カップの下側から見た側面(3個内臓)
波佐見焼のコーヒーマグの紹介は以上の通りですが、このコーヒーマグにつきましては、以前にも、既に閉鎖してしまっている拙ホームページの「古伊万里への誘い」でも紹介しているところです。
そこで、再度、「古伊万里への誘い」で紹介した部分を次に紹介したいと思います。
<古伊万里随想27 美術品における美術的価値と資料的価値>
(平成15年7月1日登載)
最近、幕末輸出用の波佐見焼のコーヒーマグを購入しました。その購入の経緯にちょっと面白いものがありましたのでお知らせしたく、筆をとってしまった(キーボードを叩いてしまった?)しだいです。このサイトにご訪問の方々にとりましては、「なんだ、そんな幕末物の話なんか聞きたくもない!」とのお気持ももっともではございますが、つまらない話の中にも、時には「値千金」のことがあるかもしれませんよ! ちょっとだけ、読んでみてくださいね!!
それは、最近のことです・・・・・。
なんだ、「最近、購入した。・・・・・」とあるんだから最近にきまっているんじゃないか。くだらん。
ま、ま、そう性急におっしゃらずに、少々おつきあいください。
最近、幕末輸出用の波佐見焼のコーヒーマグを1個購入したんです。それは、どうということもない物でして、幕末の頃には、こんな物も輸出され、外貨獲得に一役買っていたんだなーという物でした。でも、その古美術店からはここのところ暫く買ってないし、そろそろお付き合いに買わなければならないなーという気持と、このコーヒーマグは資料的にはなかなか価値があるんだろうなーという気持が相乗作用をおこして購入することになったんです。
ここまではよくある話でして、ここまでだったら本当につまらない話なんですが、その先が面白いんですよ。
その4~5日後のこと。先の古美術店から電話があったんです。
「先日のコーヒーマグと同じ物が3個入荷しました。今度は、その3個は稲藁に包まれて梱包されたままの状態になっています。」
この連絡にはまいりました。何かの事情で、輸出される状態のまま、結局は輸出されることなく残っていたのです。なんと貴重なことでしょう。なんと驚くべきことでしょう。なんと素晴らしいことでしょう。第一級の資料です。こんなものを見逃す手はありません。
私はもう、我を忘れて、「他には売らないでください。今度の日曜に引取りに伺います。」と、電話口でワメイテイタのです。
日曜日に引取りに伺った時のこと。先方は完全に私の足元を見、「先日のバラのままのコーヒーマグとこの稲藁に梱包されたコーヒーマグをセットにすれば、こんな貴重なことはないですよ!」と、いかにも勝誇ったかのごとき言い分で、思い切った値段の提示です。こっちとしては、セットにした資料的価値の高さに惚れ込んでいますので、先方の言いなりになる他ありません。それで、先方の言い値で引取ってきたのです。
思えば古美術店の店主の手口もお見事でした。コーヒーマグは、たぶん、最初から、セットで古美術店にあったのでしょう。それを、最初はバラのものを1個売り、後で稲藁で梱包された3個を高く売ることによって高利を得ることに成功したのです。客の趣味・嗜好のみならず、その性格さえも十分に把握しての商売で、商人の鑑みたいなものではないですか。昨今、商品が売れない等とお嘆きの商人の皆さん、この古美術店の店主の爪の垢でも煎じて飲んでみては?
購入の経緯は以上のとおりですが、ここで一つ、私に疑問が生じたのです。「今回の買いものは安かったのだろうか? 高かったのだろうか?」と。
私は今まで、美術品を、とりわけ伊万里を、「美しいかどうか」、「美術的に価値があるかどうか」を基準にしてのみ購入してきたように思います。今回のように、「資料的に価値があるかどうか」を基準に購入したのは、恐らく初めてでしょう。ですから、今回の買いものが安かったのか、高かったのかわからないのです。世の中には、美術館のみならず博物館・資料館というものが存在します。ですから、美術品には、美術的価値のみならず、資料的な価値も存在することはわかるのですが、それではいったい、「美術的価値と資料的価値との間には相関関係があるのだろうか? 価値としてはどちらの方が高いのだろうか?」等の疑問が生じたのです。
「なんだ、結局は、そんなくだらないことだったのか! 時間つぶしをさせやがって!」と、ここまで読んでくれた方からおしかりを受けそうですが、最近の私にとりましては少々悩ましく、ない頭を痛めている問題なんです。
<古伊万里ギャラリー65 古伊万里様式色絵コーヒーマグ>
(平成15年7月1日登載)
このコーヒーマグは、普通は、波佐見焼ということになるのだと思う。
しかし、私は、初期伊万里様式、古九谷様式、柿右衛門様式、鍋島様式以外の肥前磁器を古伊万里様式に分類しているので、このコーヒーマグも「古伊万里様式色絵コーヒーマグ」とした。
ところで、このコーヒーマグには、「紳士の文房具」(板坂 元著 小学館刊 1994年10月1日初版第1刷発行)という本が付けられていた。その5~6ページには次のように書かれている。
「もっとも、私も人に誇りたいアンティークを少々もっている。その一つが、日本最古のコーヒーマグだ。この波佐見焼のコーヒーマグは長崎で手に入れた。波佐見の土だということがハッキリしていて、博物館などにも展示されている。手画きのデザインは五種類あって、稚拙ではあるが飽きが来ない。これでティーを飲むのが私の日々の楽しみの一つになっている。
長崎のグラバー庵の田中さんによると、古い民家を解体する時、中の調度をまるごと買ったら、三個ずつ梱包したまま屋根裏から出てきたのだという。私も梱包のままのものをサンプルとして一つ譲ってもらった。
醤油瓶の筒状の部分を半分に切って、底をつけ、それに把っ手をつけたものだということは、同じく波佐見産のコンプラ瓶と並べてみると、ハッキリ分かる。大きさも形も少しずつ違っていて、いかにも手作りという感じが残っている。日本最古というのは、その道の専門家の判定だそうだ。おそらく、長崎に来ていたヨーロッパのディーラーが注文して作らせ、それが何かの都合で輸出されないまま保蔵されていたのだと想像する。」
このコーヒーマグも長崎のグラバー庵の田中さんという人が見つけ出したものの内の一つなのだろうか。
江戸時代後期 高さ:7.4cm 口径:8.4cm
<参考>
「紳士の文房具」(板坂 元著)
「紳士の文房具」P.5 から抜粋
本に載っているのは、上下にぐるっと染付で線が引かれています。Dr.Kさんの秘蔵品、藁に包まれた品を見るとやはりありそうです、染付線が。このコーヒーカップも二度焼してるじゃないですか。藁の包みをとくかどうか悩ましいところですが、そっと取り出してみてください。そしてまた、そっと元へ戻す(^^;)
「資料は生かしてこそ価値が出る」故玩館迷言集より(笑)
波佐見や三河内は長崎県
伊万里 有田 は佐賀県。ですからどうしても波佐見焼などときくと親近感が。(笑)
素朴なマグカップですね。輸出されようとしていたのは間違い無いのですね。
江戸後期 日本人はマグカップなど必要としなかったでしょうから。
ホームページの部分 笑いがこみ上げてきましたよ。
最初ばら売りして 次にワラ梱包が入ったとすすめる。商売上手の骨董店主。
参りますよね。(笑)
本の写真で数個並べてある姿 素敵ですよね。
納豆みたいなワラ梱包はそのままにしておいたほうが価値があるような気がします。
素敵なお品をみせていただき有り難うございました。
骨董を長くやっていますと、だんだんと、疑り深くなってきますね。因果なものです(-_-;)
幕末の頃は、国内に磁器を移出する際も、稲藁で梱包したのではないかと思ったわけです。
この「紳士の文房具」の文章に、また、その文章の中の長崎のグラバー庵さんの言に影響され、それを鵜呑みにしていますが、国内への移出用のものだった可能性もありますよね。
まっ、輸出用だったと思った方がロマンがありますし、極く、順当な思考だとは思うんですが、、、。
このコーヒーカップですが、やはり、これには染付線は存在しないと思います。つまり、二度焼はしていないと思います。
「紳士の文房具」P.5に載っているカップの口縁部と腰部に引かれている圏線は、染付線ではなく、青の色絵線だと思います。
だいたいにおいて、こんな雑器に二度手間をかけてはコストが上がってしまいますから、やらないですよね。
我が家のカップにも染付線はなく、代わりに青の色絵線が見られます。
「把手取り付け面」の画像にはっきり残っています。もっとも、これまた雑な絵付けで、一部にしか塗ってないですね(-_-;)腰部の青の色絵線など色が薄くて、塗ったのかどうか、或いは塗り忘れたのかどうかさえも明らかではありません(><)
一度、本焼きし、その後色絵を焼き付けていますから、二度は焼いていますよね。
本焼きをする際、染付線を引いてから本焼きをしていないという意味です(-_-;)
染付線を描かずに本焼きし、その後、口縁と腰部に青の色絵線を引いたり、色絵で花文様などを描いたりして色絵を焼き付けているという意味です(-_-;)
嬉しいです(^-^;
つや姫日記さんは、平戸出身、長崎県出身ですから、特に、波佐見焼と聞くと近親感を覚えるでしょうね(^-^;
↑ の遅生さんへのコメントにも書きましたが、「輸出されようとしていたのは間違い無い」かどうかとなりますと、確定的な証拠はありませんが、つや姫日記さんも言われていますように、「江戸後期 日本人はマグカップなど必要としなかったでしょうから」、輸出されようとしていたものに違いはないように思います。
ホント、「最初ばら売りして 次にワラ梱包が入ったとすすめる。商売上手の骨董店主」だったんですよ。
これには、弱点を突かれ、参りました(笑)。
後のほうが個数も多く、3個ですものね。しかも、資料的価値が高いですよときました。個数だけでなく、資料的価値も付加されていました。
結局、4個、プラス資料的価値が加わって、大変に高い買い物になりました(笑)。
今ではとても買えません(><)
藁梱包は、なるべく触らないで、そっとしておくつもりです。
今回、写真を撮るだけで、少し動かしても、なにしろ江戸時代の稲藁ですからね、ボロボロ落ちてきてしまうんです。
貴重な資料は、まるべく原形を保たせて残そうと思っています。
青の線、すこしドボッとした感じなので青色絵かなとも思ったのですが、染付の方に賭けてみたかったわけです(^.^)
藁包みのことですが、御先祖様が揃えた幕末~明治初の陶磁器の多くは藁に包まれていました(ゴミがでるのでほとんど捨てました(^^;)。藁は当時の移送に、広く使われていたみたいです。ただ、今回の品が国内向けとはとても思えません。藁梱包もしっかりとなされているので、やはり外国への移送と考えるのが妥当ではないでしょうか。
「骨董を生かすのはポジティブな想像力です」故玩館名言集より(^.^)
遅生さんのご指摘のとおり、口縁部と腰部に染付の圏線がありました。
バラのコーヒーマグにも色は薄いですが、染付の圏線がありました。
稲藁で梱包されているものには、染付圏線がはっきりとありました。
私は、こんな雑器にそんな手間をかけるはずがない、との先入観も手伝い、口縁部と腰部の青色の圏線は色絵によるものとばかり思っていました。
こんな雑器にも、案外手間をかけているんですね。江戸時代の職人さんは「良い仕事してますね」(^-^;
さっそく、その旨の文言を追加いたしました。
ありがとうごさいました(^-^;
ついでに、「取手取り付け面」の画像も、取手が像の鼻のようにノッペリと見えますので、このコーヒーマグの名誉のためにも、もう少し繊細な把手であることを伝えるために、「取手取り付け面」の画像を1枚追加しました。
デッドストックか何かだったんでしょうか?。
波佐見らしい雑器的な味わいを残しながら、デザイン性も重視されているようで
波佐見焼にとっての文明開化みたいな品かも知れませんね。
どの様な経緯で藁で梱包されたまま伝世したのかは不明ですが、奇跡的ですよね。
それに惚れ込んで、高く買ってしまいました(-_-;)
波佐見焼というと、「くらわんか茶碗」とか「コンプラ瓶」しか思い浮かびませんが、立派な青磁なども焼かれていたようですね。
これから、もう少し解明されてくるのかもしれませんね。
初期~中期に、あれだけの青磁を焼いていた波佐見ですから、くらわんかやコンプラで終わるのは寂しい限りでした。ただ、時代に少し遅れていたのが・・・自分を見るようであります(^^;)
今の波佐見焼、一味違う普段使いの器として人気が出てきているようです。