Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

伊万里 染付 菊文中皿

2020年08月23日 12時22分49秒 | 古伊万里

 連日の紹介で恐縮ですが、今回は、「伊万里 染付 菊文中皿」の紹介です。

 以前、今では既に止めてしまっている拙ホームページの「古伊万里への誘い」でも古伊万里を紹介はしていましたが、そこで紹介した古伊万里は、私にとっては比較的に優品に属するものでした。

 これまでのところ、当ブログでも、コレクションの中から適度にピックアップして紹介してきましたが、これからは、私のコレクションの殆んどを紹介しようと趣旨を変更したところです。

 そうしますと、今では断捨離してもいいようなものもコレクションの中には入っていますので、それらを含めますと、かなりの数にのぼります。

 でも、今では断捨離してもいいようなものでも、せっかく、何かの縁で我がコレクションの中に入ってきてくれたものたちですから、これからも、断捨離せず、コレクションの中に留めようと思っています。

 そうなりますと、私に残された時間を考えますと、どんどん紹介していかないと私のコレクションの全貌を紹介することが出来ません(-_-;)

 ということで、連日の紹介に至っているわけです。

 これからは、「なんだ、こんな物!」と思われる物が続々と登場するかと思いますが、どうぞ、少々の時間、お付き合いください。

 

 

伊万里 染付 菊文中皿 

表面

 

 伊万里の場合、このように、菊なら菊だけを描く場合は少ないようです。

 主題が一つでない場合が多いんですね。これは、菊だけを描いていますから、比較的に珍しいと言えるかと思います。

 もっとも、右下の方に、波のように盛り上がっているものが描かれていますが、これは、多分、流水を表わしているのではないかと思います。そうなりますと、「菊花流水文」となるわけで、厳密には菊だけを描いたことにはならないわけですが、まっ、目をつぶれる範囲のことではないかと思っています(-_-;)

 残念ながら、口縁に3個所のソゲがあります(5時の方向、8時の方向、11時の方向)。

 その部分は、私が、昔、接着剤で応急的に補修しました。

 でも、下手ですね(><) この皿が泣いています(><)

 今では、共直しのための良い材料が売られています。綺麗に補修し直せば、この皿の格も上がることでしょう(^-^;

 

 

裏面

 

 

製作年代: 江戸時代後期

サ イ ズ : 口径;20.4cm  高台径;12.3cm


伊万里 染付 文字蝙蝠(?)文台鉢

2020年08月22日 14時03分41秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 染付 文字蝙蝠(?)文台鉢」の紹介です。

 最近、古伊万里の紹介の頻度が高くなってきていますが、これまでのように、出し惜しみをして、月に1~2点を紹介していたのでは、これまでのコレクションの多くを紹介し終わらないうちに、あの世に逝くような気がしてきたからです(-_-;) 焦りを感じてきたのかもしれません(^^;

 ということで、これからも、古伊万里紹介の頻度が高くなるかと思います。ただ、下手な鉄砲数撃ちや当たるではないですが、片っ端から集めていれば名品に当たるかもしれないというような態度で集めたものですから、これから紹介する古伊万里の全てが自慢できるようなものではありません(-_-;) 「こんなもの、わざわざ紹介してくれなくてもいいのに。目が腐るよ、、、」という物も多いかと思いますが、「世の中には、こんな物を集めて喜んでいる者もいるんだ~」とご了承いただき、ざっと目を通していただければ幸いです。

 

 この「伊万里 染付 文字蝙蝠(?)文台鉢」も、昭和54年に買ってきたものですから、やはり、今から41年前に買ってきたものです。

 ご覧の通り、これまた、全面、疵だらけです(><) 前回紹介した「伊万里 色絵 花籠文花瓶」よりも酷い状態です(><)

 破片の集合体のような状態ですが、それを焼継ぎで修理したり、鎹(かすがい)止めで修理しています。その修理された後の外観は酷いもので、外観などかまうものか、とにかく使えるようになっていればいいではないかという態度の修理です(><)

 ところで、鎹止め修理といいますと、東京国立博物館所蔵で重要文化財に指定されている龍泉窯青磁の銘「馬蝗絆(ばこうはん)」茶碗が有名ですよね。

 私は、この「伊万里 染付 文字蝙蝠(?)文台鉢」を見たとき、真っ先に、この東京国立博物館所蔵の「馬蝗絆」茶碗を思い浮かべました(^-^;

 

「馬蝗絆」茶碗(東京国立博物館所蔵)

(この画像は、ネットから借用)

 

 

 そして、また、こうも考えました。

 「名品とは、必ずしも、無疵完品とは限らないんだ!」と、、、。

 これまでは、無疵完品の古伊万里の収集を目指してきましたが、必ずしも無疵である必要はないんだ、と思うようになったわけです。ある意味、「開眼」です!

 それに、疵物でも、「もしもこれが無疵だったなら優品なんだがな~」と思えるものが市場には多く存在しますし、また、価格も安いんです。一石二鳥とはこのことですね(^-^; 

 この、「伊万里 染付 文字蝙蝠(?)文台鉢」に出会って以来、私は、特に、疵に囚われずに古伊万里を集めるようになったわけです。ですから、私のコレクションには疵物が多いんです。

 その意味では、私にとっては、私の収集の方針を変更させた意義深い台鉢でもあります。

 またまた、前置きが長くなりましたが、いよいよ、私のこれまでの古伊万里コレクションの方針を転換させ、私に、「古伊万里の収集は疵の有無に囚われない」ということを開眼させてくれた「伊万里 染付 文字蝙蝠(?)文台鉢」を、次に、紹介します。

 

 

立面

 

 

見込み面

真ん中には龍が、その周辺には文字(壽)が4字、蝙蝠(?)が4匹描かれています。

 

 

文字(壽)と蝙蝠(?)が描かれた部分の拡大画像

 

 

口縁部に残る鎹止め修理に使用した鎹(錆びた金蔵部分)

口縁部全周には4か所の鎹跡がありますが、1個所だけに鎹が残っています。

 

 

 

口縁部全周には4か所の鎹跡があるわけですが、1個所だけに鎹が残っていて、他の3か所は、上の画像にありますように、鎹は錆びて剥落し、その穴だけが残っています。

 

 

裏面(亀甲文と蝙蝠文が描かれています。)

見込み面からは、それほどに疵の酷さが分かりませんが、裏面で見ますと、その疵の酷さの状態が良く分かります(><)

割れた部分は焼継ぎで修理され、また、多くの鎹を使って鎹止めの修理がなされています(ただ、殆んどの鎹は錆びて剥落し、穴の中に金属だけが残っています)。

 

 

焼継ぎ修理の跡と鎹止め修理の跡(その1)

 

 

焼継ぎ修理の跡と鎹止め修理の跡(その2)

 

 

前所有者が彫ったと思われる屋号のような文字記号

 

 

台鉢の根元部分

花唐草のような文様が、手前側とその裏側に描かれています。

 

 

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 口径;23.5cm  高さ;7.8cm  底径;10.1cm

 

 


 

追記(令和2年8月23日)

 森川天さんから、裏面に彫られた文字記号は、「かぎ小」であろうということと、当時は、修理をした職人が、自分の屋号を記して残す習慣があったので、この台鉢を修理した職人が自分の屋号を記して残したのであろうというコメントが寄せられました。

 また、鎹留め修理をした職人は、自分の屋号を彫って残す場合が多いので、この台鉢の場合は、鎹留め職人が彫ったものだろうということです。

 なお、焼継ぎをした場合は、焼継ぎ職人は、硝子で自分の屋号を書いて残す習慣があったということです。

 森川天さん、いつもいつも、貴重なコメントをありがとうございます(^-^;


伊万里 色絵 花籠文花瓶

2020年08月21日 12時23分16秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 色絵 花籠文花瓶」の紹介です。

 この花瓶も昭和54年に買ったものですから、今から41年も前に買ったことになりますね。

 ご覧のように疵だらけです(><) 破片の集合体のような状態です(><)

 当時、江戸中期に近い古伊万里の無疵の色絵物となりますと、べらぼうに高かったんです(-_-;)

 それで、無疵の物などおいそれとは買えませんでしたから、そんな破片の集合体のような物を買ってきては勉強していたわけですね(-_-;) これで勉強し、いずれ無疵の物を手に入れてやるぞ! と、、、。

 具体的に、どのような状態の疵だったのかは、昔のことですから忘れてしまいましたが、疵だらけではありましたけれど、バラバラにはなっていなかったように思います。

 買ってきてから、それ以上に疵が酷くなってバラバラにならないように、そして、水が漏らないようにするため、自分で接着剤で補修しました。今では、接着剤が経年劣化し、接着した部分が黄ばんでしまって汚らしいですね(><)

 今時、こんな大疵物に大金を払うようなバカ者はいないでしょうけれど、私にとっては、その対価は、古伊万里の勉強のための教材代だったわけでもあります。

 そのような、私が古伊万里の勉強を始めた頃に教材とした「伊万里 色絵 花籠文花瓶」を見てやってください(^^;

 

 

正面(仮定)

 

 

正面(仮定)から右へ90度回転させた面

 

 

正面(仮定)の反対面

 

 

正面(仮定)から左へ90度回転させた面

 

 

口縁及び内面

疵の状態がいかに酷いかがわかります。

 

 

底面

 

 

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 口径;9.2cm  高さ;23.7cm  底径;10.3cm


「伊万里 染付 花唐草文大台鉢」の銘款について

2020年08月19日 16時26分04秒 | 古伊万里

 昨日、「伊万里 染付 花唐草文大台鉢」を紹介しましたが、その大台鉢に書かれている銘款について調べましたので、その件について追記しました。

  「伊万里 染付 花唐草文大台鉢」の記事の終わりに「追記」として載せております。ご覧いただければ幸いです(^-^;


伊万里 染付 花唐草文大台鉢

2020年08月18日 16時55分39秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 染付 花唐草文大台鉢」の紹介です。

 この大台鉢は、前回に紹介した「伊万里 色絵鶴・唐獅子牡丹文大皿」と同じく、昭和54年に買ってきたものですから、これも、今からですと、41年前に買ってきたことになります。

 前回の「伊万里 色絵鶴・唐獅子牡丹文大皿」の紹介のところでも書きましたが、私が、古伊万里第1号の「伊万里 染付 草花文油壷」を買ったのが昭和49年ですから、その時点からは、やはり、5年が経過したわけですね。

 この頃になりますと、私も、だいぶ、古伊万里が見えるようになってきたようで、無疵のちゃんとした古伊万里を買う自信がついてきたようです。

 そんな時に出会ったのがこの大台鉢でした。

 もっとも、時代的には、当時は、正式な「古伊万里」とは認められてはいませんでしたが、大きさもあり、作りも丁寧で、なかなか市場には登場しないような伊万里でしたので、正式な「古伊万里」と同等に扱われてはいました。

 何度も言うようで恐縮ですが、今でこそ、江戸時代あればすべて正式な「古伊万里」とされていますけれど、当時は、元禄・享保以前の伊万里のみを正式な「古伊万里」と言い、その後の伊万里は、十把ひとからげで「幕末物」と言われていたんです。ですから、当然、この大台鉢も「幕末物」ですよね。

 前置きはこのくらいにして、次に、その「伊万里 染付 花唐草文大台鉢」の写真を紹介します。

 

木製の飾り台に乗せたところ

 

 

木製の飾り台から降ろしたところ

 

 

立面

 

 

見込み面

 

 

側面

 

 

底面

 

 

底面に描かれた銘:碧王玲玩

 

<解説>

 思わず、「おみごと!」と言いたくなるような一品です。その堂々たる大きさ! その広い見込み一面に描かれた花唐草の迫力! 一瞬、息を呑みます!

 しかも、裏面も縄を積み上げていったように作られ、器の表のみならず裏も手を抜くようなことをしていません。表も裏も、それぞれに十分に鑑賞に耐えられるように作られています。

 時代的には、それほど古いものではないですが、その大きさ、その迫力、その手を抜かない真剣な仕事ぶりには感動さえ覚えます。

 もともとは何のために作られたものなのかは知らないですが、ミカンでも入れようものなら何キロも入ってしまい、我が家のような少人数の家庭での日常使用には、とても耐えられないでしょう(-_-;) 

 

 

製作年代: 江戸時代後期

サ イ ズ : 口径;30.5cm  高さ;17.5cm  台底径;14.2cm

 

 


 

追記(令和2年8月19日)

 この大台鉢を紹介してから、遅生さんより、

>「碧王玲玩」の銘、初めて見ました。何やら謂れがありそうで、謎めいていますね。

とのコメントが寄せられました。

 私としては、この「碧王玲玩」の銘に関しましては、以前、本か何かで見たような気がしてはいたんですが、調べるのが面倒になり、何の調査もせずに紹介してしまったわけです(-_-;)

 でも、それでも、少々無責任かなと思い直し、手持ちの資料で調べてみることにしました。

 その結果、次のようなことが分かりましたので、追記することにしました。

 使用した手持ちの資料は、佐賀県立九州陶磁文化館発行の「柴田コレクションⅣ」(以下、「柴コレⅣ」と略称)です。

 

 

 

 その「柴コレⅣ」のP.274には、「17世紀末から19世紀中葉の銘款」の例として、次のようなものが載っていました。

 

 

「柴コレⅣ」のの例

 

 

 この大台鉢に描かれている銘款は、上の例に似ています。左側の2文字は同じですね。

 私は、この大台鉢に描かれた銘款を「碧王玲玩」と読んでしまいましたが、正しくは、左側の2文字は、「玲玩」ではなく、「珍玩」だったようです(-_-;)

 

 また、「柴コレⅣ」のについては、

の「球珞珍玩」も、清朝磁器に「球琳珍玩」のように類似の銘款があることから、その影響と考えられる。美しい玉を珍玩する意であろう。の銘の描き方は柔らかな筆で丁寧に書いており、表の唐草文様の筆致(図録P.59の図81)と対応していることが分かる。  (柴コレⅣ:P.272) 」

と解説されていました。

 なお、上の解説文の中に出てくる「図録P.59の図81」というものは、次のようなものです。

 

図81の表面

染付岩草花牡丹唐草文輪花皿(1710~1740年代 口径20.4  高さ3.0  底径12.9)

 

 

 

図81の裏面

 

 

 また、「柴コレⅣ」のについては、

の「?友珍玩」は第一字が不明であり、他の3点(図録P.64の図93、図94、図録P.137の図257)もそれぞれ書体が異なっており、どれが正字か判断しがたい。  (柴コレⅣ: P.278) 」

と解説されています。

 なお、上の解説文に出てくる図は、次のようなものです。

 

図96(裏面の第一文字が不明な鉢)の表面

染付菊唐草文鉢(1690~1740年代    口径16.0   高さ9.2 底径6.6)

 

 

図96(裏面の第一文字が不明な鉢)の裏面

 

 

図93の表面

染付菊唐草文 小猪口(1690~1740年代    口径6.7   高さ3.8   底径2.7)

 

 

図93の裏面

 

 

図94の表面

染付菊唐草文輪花小鉢(1690~1740年代 口径10.8   高さ5.7   底径4.9)

 

 

図94の裏面

 

 

図257の表面

染付唐子紗綾形文皿(1760~1790年代    口径19.0    高さ3.3    底径10.6)

 

 

図257の裏面

 

 

 以上のことから判断しますと、この大台鉢の銘款は、清朝磁器の銘款の影響を受けたもので、「碧王玲玩」ではなく、「碧玉珍玩」と書かれているものと思われます。その意味するところは、美しい玉を珍玩するというところでしょうか。

 なお、上記から分かりますように、図81が1710~1740年代、図96が1690~1740年代、図93が1690~1740年代 、図94が1690~1740年代、図257が1760~1790年代に作られているわけで、その製作年代の範囲は1690年代から1790年代にわたります。従って、この銘款も長期間にわたって使われていたことが分かります。