インターネットで記事を検索していたら東京新聞の本音のコラムで、経済学者の山口二郎氏が以下のようなコメントを寄せていました。この間私が疑問に思っていたことをつまびらかに明らかにしてくれました。転載させていただきます。
アベノミクスなる政策の評価は分かれているが、私は普通の人間にとって得になる話ではないと確信している。物価だけが上がって賃金が上がらなければ、生活は苦しくなるに決まっている。そして、企業は賃金を引き上げる気配を見せていない。来年値段が上がると思えば余裕のある人は欲しいものを買うかもしれないが、若い夫婦は子供を作ろうとは思わないだろう。物価上昇は、社会の活力には関係ない。
さらに不思議なのは、安倍政権が生活保護費を切り下げ、給与削減のために地方交付税を減額しようとしていることである。要するに、弱者と地方には金を回さないということである。これでは需要は減るばかりである。
生活保護の不正受給はほんの一部であり、もらえる人がもらっていないことの方が問題である。前政権で生活保護を受けやすくしたが、これは自殺者の減少など社会的効果をもたらしている。大半の地方自治体は何年も給与削減を実施しており、今更国に指図されるいわれはない。
アベノミクスがどのような社会を目指すのか、本音の議論をすべきである。富の創出というスローガンの陰で、富が誰に帰着するか、現実の話を語るべきである。このままでは、弱者が自らを痛めつける政策を支持するという、十年前の愚を繰り返すことになる。(東京新聞平成25年1月27日付)
そもそも大型予算といってもその原資は赤字国債で、結局のところ借金はさらに増えることになる。投入したお金が有効に使われればいいけれど景気が良くなる保障はどこにもない。安倍さんは、<景気が良くなる→給料が増える→モノが売れる→さらに景気が良くなる→消費税の導入>という図式を書いているのでしょう。しかし経団連の米倉会長は「給料を上げる状況にはない」と言い切っている。大型予算が大企業にいいように利用され、庶民のふところ具合は一向に良くならず、それどころか物価値上げと円安で、生活物資が上がり来年春には消費税が追い打ちをかける。残ったのは巨額の財政赤字と疲弊した庶民だけ。潤ったのはさらに内部留保をため込んだ大企業。こんなことにならないようにお願いしたいものです。
アベノミクスなる政策の評価は分かれているが、私は普通の人間にとって得になる話ではないと確信している。物価だけが上がって賃金が上がらなければ、生活は苦しくなるに決まっている。そして、企業は賃金を引き上げる気配を見せていない。来年値段が上がると思えば余裕のある人は欲しいものを買うかもしれないが、若い夫婦は子供を作ろうとは思わないだろう。物価上昇は、社会の活力には関係ない。
さらに不思議なのは、安倍政権が生活保護費を切り下げ、給与削減のために地方交付税を減額しようとしていることである。要するに、弱者と地方には金を回さないということである。これでは需要は減るばかりである。
生活保護の不正受給はほんの一部であり、もらえる人がもらっていないことの方が問題である。前政権で生活保護を受けやすくしたが、これは自殺者の減少など社会的効果をもたらしている。大半の地方自治体は何年も給与削減を実施しており、今更国に指図されるいわれはない。
アベノミクスがどのような社会を目指すのか、本音の議論をすべきである。富の創出というスローガンの陰で、富が誰に帰着するか、現実の話を語るべきである。このままでは、弱者が自らを痛めつける政策を支持するという、十年前の愚を繰り返すことになる。(東京新聞平成25年1月27日付)
そもそも大型予算といってもその原資は赤字国債で、結局のところ借金はさらに増えることになる。投入したお金が有効に使われればいいけれど景気が良くなる保障はどこにもない。安倍さんは、<景気が良くなる→給料が増える→モノが売れる→さらに景気が良くなる→消費税の導入>という図式を書いているのでしょう。しかし経団連の米倉会長は「給料を上げる状況にはない」と言い切っている。大型予算が大企業にいいように利用され、庶民のふところ具合は一向に良くならず、それどころか物価値上げと円安で、生活物資が上がり来年春には消費税が追い打ちをかける。残ったのは巨額の財政赤字と疲弊した庶民だけ。潤ったのはさらに内部留保をため込んだ大企業。こんなことにならないようにお願いしたいものです。