まずはじめに断っておきますと,エントリー・タイトルはT.D.L.(Tokyo Disney Land)ではありませんので御注意下さい。T.G.L.というのは所謂フランス流にいうところの巨大新刊書店(Très Grande Librairie)の略語である,と以前より手前勝手に決めつけているのだが(実際にはどうだか知らない),例えば東京都内であれば紀伊国屋(新宿),ジュンク堂(池袋),丸善(丸ノ内),八重洲ブックセンター(東京駅),三省堂(神田)あたりがそれに相当するだろう。
最近は田舎生活にドップリ漬かっているため,都内などめったに出掛けることがない。というか,拙宅から都心部までの電車賃がソレナリニかかるので,ちょいとアソビに行きたいナと思っても そうそう簡単に行くことができないというのが実情なのであります。盆地内外を日々自転車で徘徊している折りに,あちこちの場所で 小田急のロマンスカーがいかにも気持ちよさげにスィーッと通り過ぎてゆくのを眺めるたんびに,「あ゛~,あれさ乗っで,いづか東京さ 行ぎだいもンだなぁ~」なんて溜息を吐く日々なのでございます(って,自虐にもホドがある!)
それで,ごくごくたまに所用があって上京したときなどは,この機を逃してなるものかとばかり,何とか無理矢理 時間を工面してT.G.L.に立ち寄ることにしている。そしてそこで目にするものは,まさにアンビリーバーボーな《お伽の国》なのである。
例えば私の興味ある範疇で申しますると,次のようなすこぶる魅力的な新刊本の数々が 棚のそこかしこに見出される。
『淡水魚類地理の自然史』(井口恵一朗ほか,北大出版会/3,150円)
『ニホンカワウソ』(安藤元一,東大出版会/4,620円)
『カジカ類の多様性』(宗原弘幸・矢部衞・後藤晃,東海大出版会/5,460円)
『棚田の水環境史』(山本早苗,昭和堂/5,460円)
『ダム湖・ダム河川の生態系と管理』(谷田一三,名大出版会/5,880円)
『河川生態学』(川那部浩哉・水野信彦,講談社/6,090円)
さらに,次のような本も眼に入ってくる。
『ザリガニの生物学』(川井唯史,北大出版会/13,650円)
『オホーツクの生態系とその保全』(桜井泰徳,北大出版会/12,600円)
さらに,さらに,こんな本だって新刊で出ていたりするんだから!
『日本産魚類検索第三版』(中坊徹次,東海大出版会/36,750円)
『日本昆虫分類圖説 復刻版』(朝比奈正二郎,北隆館/58,800円)
それらの1冊1冊をランダムに棚から取り出してはパラパラと目を通し,そしてまた深い溜息をつく。「本」というフェティッシュでカジュアルで,無愛想で杓子定規な古来の形式に纏め収納された「知の世界」というか「未知の世界」,その扉を開け,その森に踏み入り,あるいはその荒野に歩を進めてゆくことは,新たな知見を次々と目の当たりにして摩訶不思議な世界に触れるというその行為は,あぁ何と新鮮で刺激的な時間の過ごし方であろうか! いささか紋切り型の物言いで我ながらハズカシイ限りだが,それにしたって実際のところ,いつになく心はトキメキ,脈拍は上昇してしまうのだ。優れた書物というものは一介の凡人をしてその感性を覚醒させ精神を高揚せしむる魅力に満ち溢れている。けれどもされども,今の自分には それらの新知識を受け入れるだけの能力も,意欲も,さらには資力すら,最早ほとんど失せかけていることもまた確かであって,これを要するに,お伽の国に迷い込んだスコブル場違いな徘徊老人に過ぎないのである。そう,カラダに悪い,という点では T.G.L.もT.D.L.も同じようなもンだ。
それにしても,フントニモウ,最近の専門書は本当に高くなった。売れないんだからショーガナイといえばそれまでなのかも知れないが,出版業界において そういった負のスパイラルが嵩じてゆけば,やがて大部分の専門図書は,ごく一部の特殊組織や団体(公共図書館も一応それに含まれる)や,個人としては富裕層(資産家&高所得者)ないし好事家(市井研究者&偏執狂)などにしか手に入れることが出来ないほど高価になってしまうだろう。グーテンベルグの時代への先祖返りだ。それでもなお,そういった専門書を望む善良な一般市民とて少数ながら存在するであろうから,彼らに対しては,恐らく将来的には電子化された媒体として提供されるというわけだ。そこには否応なく電波通信や情報機器や利用技術といった問題が介在する。ヤヤコシイ話である。いわゆる「IT社会は人をシアワセにしない」の典型例だろう。
かくして,大都会のT.G.L.の片隅で哀れな老人はひとり溜息をついているわけでアリマス。
最近は田舎生活にドップリ漬かっているため,都内などめったに出掛けることがない。というか,拙宅から都心部までの電車賃がソレナリニかかるので,ちょいとアソビに行きたいナと思っても そうそう簡単に行くことができないというのが実情なのであります。盆地内外を日々自転車で徘徊している折りに,あちこちの場所で 小田急のロマンスカーがいかにも気持ちよさげにスィーッと通り過ぎてゆくのを眺めるたんびに,「あ゛~,あれさ乗っで,いづか東京さ 行ぎだいもンだなぁ~」なんて溜息を吐く日々なのでございます(って,自虐にもホドがある!)
それで,ごくごくたまに所用があって上京したときなどは,この機を逃してなるものかとばかり,何とか無理矢理 時間を工面してT.G.L.に立ち寄ることにしている。そしてそこで目にするものは,まさにアンビリーバーボーな《お伽の国》なのである。
例えば私の興味ある範疇で申しますると,次のようなすこぶる魅力的な新刊本の数々が 棚のそこかしこに見出される。
『淡水魚類地理の自然史』(井口恵一朗ほか,北大出版会/3,150円)
『ニホンカワウソ』(安藤元一,東大出版会/4,620円)
『カジカ類の多様性』(宗原弘幸・矢部衞・後藤晃,東海大出版会/5,460円)
『棚田の水環境史』(山本早苗,昭和堂/5,460円)
『ダム湖・ダム河川の生態系と管理』(谷田一三,名大出版会/5,880円)
『河川生態学』(川那部浩哉・水野信彦,講談社/6,090円)
さらに,次のような本も眼に入ってくる。
『ザリガニの生物学』(川井唯史,北大出版会/13,650円)
『オホーツクの生態系とその保全』(桜井泰徳,北大出版会/12,600円)
さらに,さらに,こんな本だって新刊で出ていたりするんだから!
『日本産魚類検索第三版』(中坊徹次,東海大出版会/36,750円)
『日本昆虫分類圖説 復刻版』(朝比奈正二郎,北隆館/58,800円)
それらの1冊1冊をランダムに棚から取り出してはパラパラと目を通し,そしてまた深い溜息をつく。「本」というフェティッシュでカジュアルで,無愛想で杓子定規な古来の形式に纏め収納された「知の世界」というか「未知の世界」,その扉を開け,その森に踏み入り,あるいはその荒野に歩を進めてゆくことは,新たな知見を次々と目の当たりにして摩訶不思議な世界に触れるというその行為は,あぁ何と新鮮で刺激的な時間の過ごし方であろうか! いささか紋切り型の物言いで我ながらハズカシイ限りだが,それにしたって実際のところ,いつになく心はトキメキ,脈拍は上昇してしまうのだ。優れた書物というものは一介の凡人をしてその感性を覚醒させ精神を高揚せしむる魅力に満ち溢れている。けれどもされども,今の自分には それらの新知識を受け入れるだけの能力も,意欲も,さらには資力すら,最早ほとんど失せかけていることもまた確かであって,これを要するに,お伽の国に迷い込んだスコブル場違いな徘徊老人に過ぎないのである。そう,カラダに悪い,という点では T.G.L.もT.D.L.も同じようなもンだ。
それにしても,フントニモウ,最近の専門書は本当に高くなった。売れないんだからショーガナイといえばそれまでなのかも知れないが,出版業界において そういった負のスパイラルが嵩じてゆけば,やがて大部分の専門図書は,ごく一部の特殊組織や団体(公共図書館も一応それに含まれる)や,個人としては富裕層(資産家&高所得者)ないし好事家(市井研究者&偏執狂)などにしか手に入れることが出来ないほど高価になってしまうだろう。グーテンベルグの時代への先祖返りだ。それでもなお,そういった専門書を望む善良な一般市民とて少数ながら存在するであろうから,彼らに対しては,恐らく将来的には電子化された媒体として提供されるというわけだ。そこには否応なく電波通信や情報機器や利用技術といった問題が介在する。ヤヤコシイ話である。いわゆる「IT社会は人をシアワセにしない」の典型例だろう。
かくして,大都会のT.G.L.の片隅で哀れな老人はひとり溜息をついているわけでアリマス。