我らが《貧民の友》を蹂躙するフトドキな諸君のことなど

2013年02月03日 | 本屋さん

 前回,《ブック・オフ》の店内に流れるBGMについて記したその流れとして,性懲りもなくまたヤボを承知で,再度ブックオフに関して,最近思うところを少々述べさせていただく。標題にまつわるヨタ話であります。

 相変わらず自転車で盆地内外のあちこちを徘徊する日々を過ごしている。行き先は,大体が「その日まかせの風まかせ」なンだけれども,大きくは三つに分けられる。盆地内をチョロチョロする場合と,山中へと分け入る場合と,そして盆地を出て海の方へ,あるいは町から町へと走りゆく場合と。

 この盆地から出て遠方エリアに出掛ける折り,目的地の近辺あるいは通りがかりのルート付近に我らが貧民の友《ブックオフ》の店舗があったりすると 休息がてら一寸立ち寄ることが多い。もともと生まれついての本好きという因果な性分で,加えて幼少時は家が極めてビンボーだったせいで貸本屋,古本屋,図書館などを書斎代わりとして育った出自であり環境であった(まさに貧民の友!)。ちなみに,その頃の図書館というのは小・中学校の校内図書室と,それから昨年秋のエントリーで触れた神奈川県立川崎図書館である。古本屋のほうは,昭和30年代から40年代にかけて私が住み暮らした川崎や鶴見の町場では,本屋といえば新刊書店よりも古本屋の方がむしろ多いくらいだった。そして,子供らにとって古本屋で立ち読みをするということは(何分にも滅多に本は買えなかったものだから),それなりの礼儀をわきまえている限りにおいては,例えば町の小さな新刊書店で立ち読みする場合に比べて,むしろ心易く受け入れられていたのである。古本屋のオヤジもそのあたりの事情は重々承知していたのだろう。ビンボーな子供らに対しては概ね寛容だった(もち論,無下に五月蝿いオヤジもおりましたが)。いずれにしろ,世の中全体が未だ貧しい時代のお話でございますが,そんな風にして幼少期より本と付き合ってはや半世紀,現在でも私生活において本,雑誌等の図書,とくに古本は我が良き友である。高価な本などは全く購入することができなくなった境遇の現在においても,10あまりの専門古書店からはいまだ律儀にも義理堅くも,不定期に古書目録が送付されてくる。

 さらに遡って とりとめのない昔話をさせていただくと,昭和の初期,私の母の実家は横浜・蒔田の市電通り(今でいう市営地下鉄が走る鎌倉街道)からほど遠からぬところにあって,割と大きな家だったらしい。部屋数が10幾つもあり,横浜高商(現在の横浜国大経済学部)や横浜高工(現在の横浜国大理工学部)の学生を何人も下宿させていたという。兄弟も6人と多く,祖父母も健在だった。その大家族の家で幼少時を過ごした伯父(母のすぐ上の兄)は,工学系の実業学校を出て技術者となったが,一方で少年の頃から俳句をよく嗜む人だった。一昨年に89才の高齢で安らかに往生されたが,その最晩年まで 四季折々の句を詠む日々であったという。その伯父は戦前の学生時代,市電に乗って野毛の市立図書館によく通ったそうだ。工学と文学との狭間で揺れ動いていたのだろうか,横濱の下町風景を詠んだ句を新聞・雑誌等に投稿して賞をもらうことも度々であったらしい。その頃の野毛界隈はどんな雰囲気だったのだろう。実は私自身も,横浜・関内に住まっていた1980年代には,野毛の図書館にときどき通った。現在の立派で洒落た建物になる前,まだ古色蒼然たる趣の館であった時代のことだ。10数年勤めた会社を辞めて自営業者を始めたはいいが仕事はほとんどなく,平日昼間の散策がてら図書館にフラッと立ち寄っては,黴臭い古い書物の森に紛れて何時間も過ごすことがあった。それから,野毛坂の途中には知る人ぞ知る天保堂苅部書店があり,そちらもヒヤカシでよく覗いたものだった。ある意味,シアワセでオダヤカな日々だった。

 話が前後するが,私が最初に古本屋という世界にドップリ漬かったのは10代の大部分の時期を過ごした川崎市の旧市街においてである。昭和30年代,川崎市中心部の駅前大通り,いさご通り,平和通り,仲見世通り,たちばな通りなどの各商店街には,古本屋が合わせて10軒近くはあったように思う。加えて,露天屋台の古本屋も何軒かあった。そのなかにあって盟主ともいうべき存在の近代書房は今でも健在なようだ。少々クセのある独自路線的な店だったが,最近では世間並みに(失礼!)ネット販売などにも手を染めているらしい。これもまた時代の流れだろうか。それはともかく,10代の頃の私自身はどちらかといえばスポーツ少年で,決して「本の虫」というほどではなかったのだけれども,前述のように,何分にも家がビンボーであったがゆえ蔵書などは皆無に近く(家の中に本棚があった記憶すらない!),それがために町の古本屋をときおり巡回するのはとても楽しかった。「社会が子供を育てる」なんぞとぬかしておったボンクラ政党がかつて存在していたようだけれども(え,今でもあるのか?),その伝で申せば,私は町に育てられた,町の図書館や古本屋に育てられた,といっても過言ではないだろう。さよう。私の本棚は町中のアチコチにあった。

 川崎の町を去ったあとで次に移り住んだ横浜・鶴見でも,昭和40年代には駅前を中心に古本屋が5~6軒はあった。こちらの盟主は言うまでもなく古書の殿堂・西田書店で,主人は代替わりしてはいるもののやはり今でも健在だ。新刊書店も2~3軒あったけれど,いずれも小さなお店で,ほとんど利用することはなかった。その鶴見時代は,何故かガクモンやらブンガクやらに夢中になっていた頃で,それゆえ古本屋をかなり利用し,かなり無理して散財し,そして後には一転,思うところあって大部分の蔵書を「古書の殿堂」に売却してしまった。すべては若気の至りでアリマス。

 そうだ,鶴見では後年こんな経験もした。今から10年近く前のことになるが,久し振りで鶴見の町を訪れたとき,駅から少し離れた某古本屋さん(西田書店にあらず)に入り,そこで棚の最上段の隅に『金魚大鑑』(松井佳一・著)が並んでいるのを見付けた。売価は何と1,000円ポッキリだった。これにはビックリしましたね。即買おうとして財布を取り出したが,中には1,000円も入っていないでないか! カードなんぞは無論使えない店だ。慌てて駅前の銀行まで行ってお金を下ろし,再び走るように戻って首尾よく同書を入手したという次第でありました。帰りの電車のなかでは終始ニンマリしていたように思う。

 。。。とまぁ,そんなこんなで幾星霜,その挙げ句に現在の自分に辿り着くという次第でありまして,全くモウ,な~にやってんだか!の自分史ではございましょう。ということで,話は《ブックオフ》のテーマに戻る。さて,自転車活動の合間にどこかのブックオフに立ち寄って店内で一息つき,玉石混淆・種々雑多な古本で埋め尽くされた書棚をボンヤリと眺めながら店内をゆっくりと巡回し,あるいは興味ある棚の前ではしばし立ち止まって目に付いた本を取り上げてはパラパラとめくってみる。そんな安らぎの時をもてる場所として,自転車で疲れた身体をひととき癒すスポットとして,私にとってブックオフというのはまことに結構で有難いお店なのであります。安上がりな安らぎ。なにしろ当方,基本的にお金がアリマセンので,お洒落なカフェーでひと休み,なんてもってのほかだ。

 自転車で動き回るのはほとんどが県内なものだから,結果として,これまでに神奈川県内各地にあるブックオフのうち,かなりの数の店舗に立ち寄ったことになる。盆地内にある2店舗は当然ながら,盆地の外に出て東・西・南・北,東の厚木,西の小田原,南の平塚方面には割と頻繁に出掛けるので,それぞれの地にあるブックオフはいずれも結構馴染みの店となっている。北の丹沢方面には,あいにくブックオフは存在しない(当然デスガ)。相模原,町田,大和,藤沢,横浜方面になると,そうちょくちょく出掛けることはなく,時折足を伸ばす程度である。川崎,横須賀方面については,皆無ではないけれども,出掛ける回数はかなり限られる。けれども,そんなこんなで,神奈川県内のブックオフについては,だいたいは承知している。各店舗の雰囲気,品揃え,棚の構成なども概ね把握している。

 ブックオフというリサイクル・マーケットで面白いのは,これは以前にも記したように思うが,各店舗の「品揃え」がそれぞれの土地柄を良く反映しているということだ。この点にかんしては町の小さな新刊書店などでは決して見出すことができない商業形態である。のみならず,旧来の「町の古本屋さん」においても最近ではほとんど望めなくなっている傾向だと思う。

 例えば,神奈川県エリアでいうと,町田中央通り店(町田というところは明らかに神奈川マーケットでありましょう)とか,横浜伊勢佐木町店,川崎モアーズ店などの大規模基幹店は別格として例外であろうけれども,それらを除く一般的な中~小規模店における本の品揃えは,まさにそれぞれの地域文化の「写し鏡」なのである。すなわち,店内の棚をひととおり閲覧してみると,その土地にどんな人々が住まっているのか,どのような職種階層の人々がその町の文化を下支えしているか,はたまた住民の政治意識はどうか,といったことまでが概略把握できるのだ。これは,その地域の新刊書店に入ったって,あるいは公立図書館に入ったところで決して判らないことだ。それでは,地域の郷土資料館のたぐいに入ってみたらどうか? いやいや,そこではホコリを被った歴史の過去帳が,ほとんど干からびた状態で後生大事に陳列されているに過ぎないわけで,その地域文化のリアルタイムな現況,民度のレベル,生活のダイナミズム等々はそこからは決して理解できないのである。

 いくつか例を述べよう。ブックオフ各店舗のうち,ある店では古い短歌の本がやけに沢山並んでいたり,ある店では海外旅行ガイドそれも何故かアフリカ旅行関係の本が多く見られたり,ある店では自然科学分野の児童書,特に生き物関係の本が多かったり,またある店では自転車関係の本や雑誌(これはとても嬉しい!)が目立って多く棚に並んでいたりする。あるいはまた,文庫本コーナーで講談社文芸文庫という極めてマイナーな文庫シリーズが棚のあちこちにやたらと目立つ店だとか,ジャズとクラシック音楽の本が充実している店だとか,文学全集,美術全集などの函本(豪華本)の多い店だとか,まぁ記していると切りがないくらだが,とにもかくにも,そのような店舗によってさまざまに異なる商品構成を大変興味深く,そして実に楽しく拝見しているという次第だ。それらの大部分は「地場産」の商品で,まさにブックオフにおいては「地元仕入れが命」なのだろう。そしてここが重要なところだが,そのような特徴的な品揃えは決して持続的,固定化されたものではない。あたかも生鮮品を扱うマーケットのように商品回転率は概して高く,ある日突然ドサッと入荷したと思ったら,次に出向いたときにはほとんど無くなっているといった具合で,「ハヤテのように現れてハヤテのように消えてゆく」のである。

 そうそう。昨年のことであるが,やはり県内のブックオフ某店にて,日本共産党ならびに共産主義にかんする図書が突如として大量に棚に並んだことがあった。全部で40~50冊はあっただろうか。ただし,分類別の棚(哲学・社会・歴史・文学・参考書・雑誌など)にそれぞれ振り分けて並べられ,またプロパー(半額本)と単C(105円本)とに分けられてもいたから,全体としては店内各所にチリジリ・バラバラの状態だったけれども,もしそれらを一箇所に集めて「特集コーナー」でも設けたらさぞ壮観であろうと思わせる立派な内容のものだった。恐らく,その界隈に在住する古くからの党員であった方が亡くなり,御遺族がまとめて処分されたのだろうと勝手に想像した。

 今は亡き古今亭志ん朝の演じた有名な噺『火焔太鼓』で,枕として自らの古道具屋めぐりの楽しみを語っている一席があって,そこで志ん朝師匠は,道具屋のランク上・中・下のうちで「下の店」に入り,店内に所狭しと並んている奇妙で不思議な品物の由来,故事来歴について一人勝手に思いを巡らせる,そんな「まことに穏やかな楽しみ」を趣味として日々を過ごしております,などといささか自嘲気味に語っていた。ちょうどそれと同じような 流行遅れの楽しみ Les plaisirs démodésを,私もブックオフ店内でしばしば感じるのでアリマス。


 ところで,ここ数年前からのことだろうか,このような私のツマシイ楽しみを邪魔する輩がブックオフ店内にしばしば出没するようになったのである。 それは...

   (つづく) 

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