オルネラ・ヴァノーニがバルバラを唄う夜更けに

2002年06月18日 | 歌っているのは?
 午前零時を少々回った頃,ずっと昔にラジオから録音した古い音楽テープなどを押入の隅からやおら取り出してきてはカセット・デッキで再生する。最近はそんなショーモナイことをして夜を過ごすことが,ままある。とうとうヤキが回ったか?

 いやいや,別に過ぎ去った「栄光の日々」を思い出そうとしているわけではない。もちろん「身辺整理」にとりかかる意思を固めたわけでもない。ただ単に,ほかに適当なBGMが見付からないだけなのだ。

 大部分がNHKラジオのシャンソン番組である。それらの古いテープの数々を聴いていると,当時のラジオというメディアが作り出していた音楽世界,聴取者に対するスタンスとメッセージの発信作法,番組全体における時間の流れ等々が,現在の状況とははっきり異なっていたということを改めて実感する。進化史的に見れば,恐らくこの業界は,ここ20~30年ほどの間にあまりに先を急ぎすぎ,過度に歪んだ生態遷移を繰り返した挙げ句,然るべき「極相」をとうに見失ってしまったようだ。

 昨夜聞いたテープは,シャンソンではなくカンツォーネ特集の番組だった。それは今から約25年ほど前の夏の日の午後に放送されたものだ。そもそも私自身は,昔も今も,イタリアについてもカンツォーネについても,ほとんど無知蒙昧,情報皆無の人間である。というか,イタリアの歌というと,せいぜいダリダとかセルジュ・レジアニを思い浮かべてしまう程度に過ぎないわけだが,それにしても,何故そんなテープを今の今まで後生大事に保存しておいたのだろう? 自分のことさえよくワカラン昨今である。

 当時の私は貧乏学生から貧寒給与生活者へと移行して間もない頃であったと思う。毎日が「工期」や「成果」に追いたてられているような切磋琢磨を強いられる仕事の日々,その束の間の日曜の午後に,狭苦しいアパートでボンヤリと一人ラジオに耳を傾ける。そこで流れる音楽は,決してミナミ・コーセツとかイノウエ・ヨースイとかアリスとか,あるいはチューリップとかアカイトリとかハトポッポとかであってはならず,やはり遥かなる異国の見知らぬ文化を体現したものが相応しかったのかも知れない。

 ところで,その夜に久しぶりに聞いたテープのなかでは,オルネラ・ヴァノーニ Ornella Vanoniがバルバラの歌を唄っている曲に思わず聴き入ってしまった。多分,録音した当時は単に聞き流していただけだったと思う。それは《生きる苦しみLe Mal de Vivre》という題の歌で,バルバラのボビノ座でのライブ・レコード盤で昔聞いたことがあった。日本では確か《孤独のスケッチ》なんていう頓珍漢なタイトルに変えられていた。オルネラ小母さん(と申していいのだろうか?)は,もちろんそれをイタリア語で唄っているのだが,大変魅力的なしっとりした歌声で,詩情に溢れた歌いっぷりであった。月並みな例えで形容すれば,北イタリアのどこかの小都市,初冬の寒々とした夕暮れ時,薄汚れた路地裏をうつむき加減に急ぎ足で家路へと向かう少し年配の女性,人に言い知れぬ不幸を抱えた,けれどその容姿には若い頃の美しさが微かに残る女,喜びも悲しみも幾年月,悲しく沈む夕陽でも,明日になれば昇るのよ.... といった雰囲気だけは十分に伝わってくる。


  生きるという苦しみ
  それは突然にやってくる
  遠くから 物憂げな歩みとともに

  人々はそれを
  肩からぶら下げたり
  宝石のように身につけたり
  あるいは
  ボタンに飾ったりしながら生きている

  すべからく人は生きねばならない
  ローマでも アメリカでも
  ロンドンでも 北京でも
  エジプトでも アフリカでも
  ポルト・サン・マルタンでも
  人はすべて
  同じ祈りを捧げ 同じ道をたどる
  腰の窪みに わずかな痛みを感じながら....


 あぁ,何てシミジミしちゃうんだろ。何て気持ちが安らぐんだろ。思い返せば,そのラジオ番組を録音した時からさらに遡ること数年前には,私自身,ミラノの裏町を少しばかりは意味もなくウロウロしたことがあったはずである。しかし,オルネラ小母さんのそんな切なげな歌声に耳を澄ましていると,全ての記憶は混濁し,心情は対峙し,感性は交錯する。遅ればせながらの異文化コミュニケーション,ってヤツでしょうか。ただやはり,すべてはマボロシなんだけれども。

 うん,カンツォーネってのも,チョットはいいかも知れない。まだ間に合うかも知れない。
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