私は水の流れに沿って歩いてゆく (アンヌ・シルヴェストル)

1997年11月19日 | 歌っているのは?
 昨日の夕刊だったか,ペギー葉山が昔唄った《爪》という歌についての想い出を阿久悠が思い入れたっぷりに書いていた。もう40年近くも前の若く貧しい時代のことを蒸し返してはいるのだが,そして私とは基本的に拠って立つ世代も理念も感性もかなり異なってはいるのだが,根底において同感してしまった。歌が人格を形成し,歌が人生を変えるなんてことは決して有り得べからざることであろう。しかし,ある日ある時ある場面で,歌は人を動かし,その時,歌は人の生活上の規範となる。そんなことを,ね。

 ところで私の方はと申せば,今日の午前,爽やかに晴れ渡った秋空のもと,水無川沿いを例によって歩きながらアンヌ・シルヴェストル Anne Sylvestreの唄なぞを口ずさんでいたのです。題は忘れたが,それは流れる雲についての次のような唄だ。


  ねぇムッシュウ。そんな日々があるのですよ
  それは,本当にメロドラマなんかではなく
  誰かが私にマダムと呼びかける,そんなことを望む日々が
  たとえ新鮮な言葉であったとしても
  言葉というものはその人にとっての価値しかもたないのです
  そして,私は流れに沿って歩いてゆく
  水の流れに沿って歩いてゆく....


 
 ソレガドーシタと言い返されると全く身も蓋もないのですがね。要するに共感の問題です。私の気まぐれな心の琴線に触れたメロディーとコトバ,それが今日はアンヌだったわけで。いや,ペギー葉山も決して悪かないけどね。
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