少し前の日曜日の深夜,NHK・TVのアーカイブスで,今から約30年前の1974年に制作された歌番組『ステージ101』の最終回の模様が放映されていた。いかにも70年代で御座いといった出で立ちの若い男女数十名がステージ上を所狭しとばかり賑やかに飛んだり跳ねたり歌ったり踊ったりの青春群像,それはまさにバラエティーの王道であった。田中星児がいるのは当然のこととして,塩見大治郎がいた,諏訪マリーがいた,太田裕美だっていた。いずれの面々も時間を30年分ジーコジーコと巻き戻せば確かにヤングの容貌そのままなわけで,少しオーバーに言えば懐かしさに我が涙腺の緩む思いで最初から最後までついつい映像に見入ってしまったことを恥かしながら白状しなければならない。ちなみに当時,横浜市の南部,金沢文庫の山奥にて独り暮らしをしていた貧乏学生たる私は,TV受像機なんぞを所有する結構な身分からはほど遠かった者ゆえに,あいにくその番組自体をリアルタイムで視聴してはいない。その頃三畳一間の自室に置かれていた家電製品といえば,安物のトランジスタ・ラジオとポータブル蓄音機(LPおよびEPレコードが各数枚程度)くらいだっただろうか。そもそもTVの若者向け音楽番組など唾棄すべき茶番としてハナッから拒絶しており,もっぱら聞いていた音楽といえばジョルジュ・ブラッサンスとかエリック・サティなどといったテイタラク。似非仙人そのものといった生活様式を遵守していた。それから四半世紀以上が過ぎ,夜更けのTV画面のなかの,まるで「70年代博物館」のような彼ら彼女らの姿を眺めていると,何故だろう,それらの映像と音声の向こう側から嘗ての時代の全体像がジワリあぶり出されてくるように徐々に錆色の輪郭をなしてゆくのだ。年齢のなせる業なのか。あるいは歌の持つ力ゆえでもあろうか。
そんなエピソードをマクラとして,やはり最近,同じような古い昔の歌に接して感じたことを少しだけ記録しておきたい。それは次のようなヨタ話である。
1960年代に流行ったヒット・ソングの数々を,当時の創唱者とは別のいろんな歌手が新たに歌い直したものを一纏めにしたオムニバスCDがあって,それらは各年ごとに1枚のCDアルバムとして発売されている。数ヵ月前のことになるが,そのうち1963年から70年までの計8枚を入手した。クレジットを見ると1996年に制作されているようだが,実際に吹き込まれたのがいつ頃なのか,当方寡聞にして承知しない。要は懐メロ歌謡大全集で,昔を思い出す縁として,時代考証の追認資料として,大変に興味深いものだった。なおこれは日本のことではなくフランス歌謡界の話であり,毎度々々ドーデモイイといえばドーデモイイ,それは全くもってマイナーな話題であります。
例えば,ジャック・デュトロンJacques Dutroncの有名な持ち歌《僕は女の子が好きだ》をエルヴェ・クリスチアーニHerve Cristianiという私の知らない歌手が唄っている。これが,なかなかに雰囲気のある歌いぶりで,ヤサ男風のその調子は御本家よりも一層元歌の内容に似つかわしい。また,同じくデュトロンの《朝の5時,パリは目覚める》を,女性のマリ=ポール・ベルMarie-Paule Belleが唄っている。こちらも,切り口はまるで異なるものの,なかなかにシリアスで達者な歌い方だ。
ミシェル・ポルナレフMichel Polnareffの《ラース家の舞踏会》をジェラール・ルノルマンGerard Lenormanがほとんど自らの持ち歌のように気合いを入れて熱唱していたり,同じくポルナレフの《ラヴ・ミー,プリーズ・ラヴ・ミー》をジルベール・モンタニエGilbert Montagneという歌手がモノマネ大会のように見事に唄っていたり,さらには《ノンノン人形》をセー・ジェロームC. Jeromeが,あの可愛らしい声でニャンニャン唄っているのを聞いたりすると,ポップ・ミュージック隆盛期における若き日のポル様の役どころが想像できて,何となく微笑ましく思う。
他にも,ジュリアン・クレールJulien Clercの《燃えるカリフォルニア》をジェラール・ルノルマンが唄ったり,同じクレールの《朝の4時》をミシェル・デルペッシュMichel Delpechが唄ったり,そのデルペッシュの《ロレットの家で》をデイヴDaveが唄っていたりと,適当な順番でランダムに聴き進むにつれ,あたかも有名芸能人の内輪宴会に紛れ込んだかのような雑然とした展開に何やら体中がコソバユイような気持ちになってくる。懐メロの効用であろうか。なかでもジェラール・ルノルマンなどは大活躍で,先のポルナレフやクレールのほか,ジャン・フェラJean Ferratの《ラ・モンターニュ》とか,レオ・フェレLeo Ferreの《セ・テクストラ》とか,サルヴァトーレ・アダモSalvatore Adamoの《トンブ・ラ・ネージュ》とか,クリストフChristopheの《マリオネット》とか,それこそ八面六臂の出ずっぱりだ。人気者というよりは単なる出たがり屋,宴会部長なのかも知れないけれど。
ただし,オムニバス盤の常として,随所に個人的なスキキライが反応してしまうのも致し方ないところであって,例えばジョルジュ・ブラッサンスGeorges Brassensの《幸せな愛はない》や《仲間を先に!》をユーグ・オーフレイHugues Aufrayが,例の洞窟的とも言える「くぐもり声」でツマラナソウに歌っているのを聞かされたりすると,うーん,これはちょっと違うゾ,と思ってしまう。さらに高じて,イヴ・デュテイユYves Duteilが《ナタリー》,《ラ・ボエーム》,《懐かしき恋人たちの歌》などのヒット曲の数々を例のマイルドな「もっさり声」で丁寧になぞっているのを聞いた日には,我知らず気持ちがメゲてしまう。いずれも立派な歌手であり立派な歌唱であるにもかかわらず,だ。恐らくその気分は,やはり最近NHK-TVで視聴した元オフコースの小田和正(おお懐かしい。金沢文庫の小田薬局のセガレ!)から受けた感じ,「団塊世代の希望の星」とか言われてやたらモテハヤサレテいる彼の現在の歌手活動ぶりから滲み出ている何となくイヤーナ雰囲気,そんなシーンとある程度共通するところがあるように思う。いや確かに年齢が関係しているのだろう。過ぎ去りし栄光の日々の記録簿,先のジェラール・ルノルマンになぞらえていえば《Les jours heureuses》,たといそれが自己のものであれ或いは他者のものであれ,そういった過去帳の類を今更のように嬉々としながら開陳して一体何になるのか。さり気ない,けれども実のところ押しつけがましい自己主張に,受け手としてどう応対すればいいのだろうか。彼らは多分,天国で天使を前に唄った方がいいと思う。あるは純日本的な言い方をすれば,高座に上がってジジババを前にボソボソと受けない落語でも演じていた方がお似合いかも知れない。人に歴史あり,歴史は人にあらず。そも彼らは懐メロというものの存在意義をはき違えている。本来懐メロとは受け手にとっては理性的,内省的なものでなくてはならない。それだったら私は,柄にもないとは承知しつつもデュトロン的放埒に溺れたい。アルディ的稚拙に涙したい。ゲンスブールとなると,ちょっと勘弁願いたいが。
ま,そんな御託はドーデモイイとして。
このシリーズで私が特に惹かれたのは,ダニエル・ギシャールDaniel Guichardの歌のうまさだ。セルジュ・ラマSerge Lamaの持ち歌《アヴァンチュールを重ねて》や《最初はいつもそんなものさ》をギシャールが唄っているのを聞くと,いやぁ,上手いなぁ,と改めて感心してしまう。本当にギシャールは上手い。もちろんセルジュ・ラマだって,ジュリアン・クレールの《イヴァノヴィッチ》や,セルジュ・レジアニSerge Reggianiの《イル・スフィレ・ド・プレスク・リヤン》や,クロード・ヌガーロClaude Nougaroの《トゥールーズ》や,エルヴェ・ヴィラールHerve Vilardの《カプリ,セ・フィニ》などのよく知られた歌の数々を大変うまく聞かせてくれる。けれど,その達者なラマよりもギシャールはさらに数段上をゆくかのごとくに聞こえてしまうんだから全く困っちまう(私個人的な贔屓を差し引いても)。そうさな,松崎しげるよりも五木ひろしの方が上手い,といったものなのか。昔馴染みの闊達な芸がもたらす安寧と至福。情緒的親和性。はいはい,しょせん懐メロ・リスナーでございます。でもまてよ。ということは,だ。私にとってはギシャールが歌っていればラ・マルセイエーズだろうとレストランのメニューだろうと何だって構わないということなのか?
いやいや,それはまた違うようだ。そんな天性の歌唱力をもつダニエル・ギシャールではあっても,唯一,ジャック・ブレルJacues Brelの《ヴズール》や《アムステルダム》を唄っているものに関しては,いささか御本家に見劣りがすると断じざるを得ないのである。前者の歌は最近になって,ブレル没後20年に発売されたDVDでスタジオ録音の様子を記録した映像(1968年)を見る機会を得た。アコーデオン弾きのマルセル・アゾーラMarcel Azzolaとの掛け合いで,ギターを無造作にかき鳴らしながらブッキラボーにハイテンポで一気に歌い抜ける。それは見ていて聴いていて息苦しくなってしまうほどの切なく緊迫したノリだった。また後者の方は,これは著名なオランピア・ライブ(1964年)の音源が昔からずっと馴染みなものであった。あの歌いぶりに対しては,単に感情にまかせて大声で怒鳴り散らしているだけじゃあないか,などと評する向きもあるようだが,歌を歌うという行為に秘められた素朴で根源的な力というものをあれほと直截的に感じさせる歌唱はそうそうお目にかかれないと思う。一期一会。刹那のノリといえばいいか。
それにしても,ブレルをブレルたらしめているものは何か? 「デーモン」といっては身も蓋もない。「生きるかなしみ」という言い方も少々アカラサマすぎる。ここは単純に「神」といった方がいいだろう。そのストイックな歌いぶりからブレル神父と呼ばれた時期もあるそうだが,それとは少し違う意味で,いつの頃からかブレルの歌には神が宿っている(無論これは私の思い込みによるもので,当人の全く与り知らぬところであるが)。ブレルの声色は神の調べであり,ブレルの言葉は神の啓示である。限られた聴き手は自らブレル・マニアとなって神の恩寵を受け入れ賜う。われわれは一体誰なのだ?そして何処に導かれるのだ? なるほど,かつて歌人の塚本邦雄がブレルを嫌った理由もむべなるかな。恐らくはギシャール本人にしてからが,身過ぎ世過ぎからそのような企画を一応受け入れてはみたものの,「いやぁ,ムッシュ・ブレルにはカナワナイな~」などと,やはり心中穏やかならずに唄っていたことだろうと想像される。宴会芸の範疇には収まらなくなってしまったわけだ。そりゃ,白髪だって増えるだろうさ。
あれれ。結局いつものように支離滅裂なヨッパライ的戯言を晒してしまった。メンボクナイ。要するに言いたかったのは,玉石混淆なチャンポン仕様の企画ながら,夜なべ仕事のBGMとして流している分にはとにもかくにも心は安らぎ,年度末の殺伐とした気分をつかのまリラックスさせてくれる良い音楽だった,ということです。ココロとカラダを癒す良薬を飲んだような気分で,少なからぬ出費をした甲斐があったというものだ。なお出来ることなら我が家の家計における医療費控除の対象にしていただけると有り難いのだが,などとオロカにも考える,昨今は稼ぎが少なくなって内外に影の薄い存在となっている世帯主なのでありました。
そんなエピソードをマクラとして,やはり最近,同じような古い昔の歌に接して感じたことを少しだけ記録しておきたい。それは次のようなヨタ話である。
1960年代に流行ったヒット・ソングの数々を,当時の創唱者とは別のいろんな歌手が新たに歌い直したものを一纏めにしたオムニバスCDがあって,それらは各年ごとに1枚のCDアルバムとして発売されている。数ヵ月前のことになるが,そのうち1963年から70年までの計8枚を入手した。クレジットを見ると1996年に制作されているようだが,実際に吹き込まれたのがいつ頃なのか,当方寡聞にして承知しない。要は懐メロ歌謡大全集で,昔を思い出す縁として,時代考証の追認資料として,大変に興味深いものだった。なおこれは日本のことではなくフランス歌謡界の話であり,毎度々々ドーデモイイといえばドーデモイイ,それは全くもってマイナーな話題であります。
例えば,ジャック・デュトロンJacques Dutroncの有名な持ち歌《僕は女の子が好きだ》をエルヴェ・クリスチアーニHerve Cristianiという私の知らない歌手が唄っている。これが,なかなかに雰囲気のある歌いぶりで,ヤサ男風のその調子は御本家よりも一層元歌の内容に似つかわしい。また,同じくデュトロンの《朝の5時,パリは目覚める》を,女性のマリ=ポール・ベルMarie-Paule Belleが唄っている。こちらも,切り口はまるで異なるものの,なかなかにシリアスで達者な歌い方だ。
ミシェル・ポルナレフMichel Polnareffの《ラース家の舞踏会》をジェラール・ルノルマンGerard Lenormanがほとんど自らの持ち歌のように気合いを入れて熱唱していたり,同じくポルナレフの《ラヴ・ミー,プリーズ・ラヴ・ミー》をジルベール・モンタニエGilbert Montagneという歌手がモノマネ大会のように見事に唄っていたり,さらには《ノンノン人形》をセー・ジェロームC. Jeromeが,あの可愛らしい声でニャンニャン唄っているのを聞いたりすると,ポップ・ミュージック隆盛期における若き日のポル様の役どころが想像できて,何となく微笑ましく思う。
他にも,ジュリアン・クレールJulien Clercの《燃えるカリフォルニア》をジェラール・ルノルマンが唄ったり,同じクレールの《朝の4時》をミシェル・デルペッシュMichel Delpechが唄ったり,そのデルペッシュの《ロレットの家で》をデイヴDaveが唄っていたりと,適当な順番でランダムに聴き進むにつれ,あたかも有名芸能人の内輪宴会に紛れ込んだかのような雑然とした展開に何やら体中がコソバユイような気持ちになってくる。懐メロの効用であろうか。なかでもジェラール・ルノルマンなどは大活躍で,先のポルナレフやクレールのほか,ジャン・フェラJean Ferratの《ラ・モンターニュ》とか,レオ・フェレLeo Ferreの《セ・テクストラ》とか,サルヴァトーレ・アダモSalvatore Adamoの《トンブ・ラ・ネージュ》とか,クリストフChristopheの《マリオネット》とか,それこそ八面六臂の出ずっぱりだ。人気者というよりは単なる出たがり屋,宴会部長なのかも知れないけれど。
ただし,オムニバス盤の常として,随所に個人的なスキキライが反応してしまうのも致し方ないところであって,例えばジョルジュ・ブラッサンスGeorges Brassensの《幸せな愛はない》や《仲間を先に!》をユーグ・オーフレイHugues Aufrayが,例の洞窟的とも言える「くぐもり声」でツマラナソウに歌っているのを聞かされたりすると,うーん,これはちょっと違うゾ,と思ってしまう。さらに高じて,イヴ・デュテイユYves Duteilが《ナタリー》,《ラ・ボエーム》,《懐かしき恋人たちの歌》などのヒット曲の数々を例のマイルドな「もっさり声」で丁寧になぞっているのを聞いた日には,我知らず気持ちがメゲてしまう。いずれも立派な歌手であり立派な歌唱であるにもかかわらず,だ。恐らくその気分は,やはり最近NHK-TVで視聴した元オフコースの小田和正(おお懐かしい。金沢文庫の小田薬局のセガレ!)から受けた感じ,「団塊世代の希望の星」とか言われてやたらモテハヤサレテいる彼の現在の歌手活動ぶりから滲み出ている何となくイヤーナ雰囲気,そんなシーンとある程度共通するところがあるように思う。いや確かに年齢が関係しているのだろう。過ぎ去りし栄光の日々の記録簿,先のジェラール・ルノルマンになぞらえていえば《Les jours heureuses》,たといそれが自己のものであれ或いは他者のものであれ,そういった過去帳の類を今更のように嬉々としながら開陳して一体何になるのか。さり気ない,けれども実のところ押しつけがましい自己主張に,受け手としてどう応対すればいいのだろうか。彼らは多分,天国で天使を前に唄った方がいいと思う。あるは純日本的な言い方をすれば,高座に上がってジジババを前にボソボソと受けない落語でも演じていた方がお似合いかも知れない。人に歴史あり,歴史は人にあらず。そも彼らは懐メロというものの存在意義をはき違えている。本来懐メロとは受け手にとっては理性的,内省的なものでなくてはならない。それだったら私は,柄にもないとは承知しつつもデュトロン的放埒に溺れたい。アルディ的稚拙に涙したい。ゲンスブールとなると,ちょっと勘弁願いたいが。
ま,そんな御託はドーデモイイとして。
このシリーズで私が特に惹かれたのは,ダニエル・ギシャールDaniel Guichardの歌のうまさだ。セルジュ・ラマSerge Lamaの持ち歌《アヴァンチュールを重ねて》や《最初はいつもそんなものさ》をギシャールが唄っているのを聞くと,いやぁ,上手いなぁ,と改めて感心してしまう。本当にギシャールは上手い。もちろんセルジュ・ラマだって,ジュリアン・クレールの《イヴァノヴィッチ》や,セルジュ・レジアニSerge Reggianiの《イル・スフィレ・ド・プレスク・リヤン》や,クロード・ヌガーロClaude Nougaroの《トゥールーズ》や,エルヴェ・ヴィラールHerve Vilardの《カプリ,セ・フィニ》などのよく知られた歌の数々を大変うまく聞かせてくれる。けれど,その達者なラマよりもギシャールはさらに数段上をゆくかのごとくに聞こえてしまうんだから全く困っちまう(私個人的な贔屓を差し引いても)。そうさな,松崎しげるよりも五木ひろしの方が上手い,といったものなのか。昔馴染みの闊達な芸がもたらす安寧と至福。情緒的親和性。はいはい,しょせん懐メロ・リスナーでございます。でもまてよ。ということは,だ。私にとってはギシャールが歌っていればラ・マルセイエーズだろうとレストランのメニューだろうと何だって構わないということなのか?
いやいや,それはまた違うようだ。そんな天性の歌唱力をもつダニエル・ギシャールではあっても,唯一,ジャック・ブレルJacues Brelの《ヴズール》や《アムステルダム》を唄っているものに関しては,いささか御本家に見劣りがすると断じざるを得ないのである。前者の歌は最近になって,ブレル没後20年に発売されたDVDでスタジオ録音の様子を記録した映像(1968年)を見る機会を得た。アコーデオン弾きのマルセル・アゾーラMarcel Azzolaとの掛け合いで,ギターを無造作にかき鳴らしながらブッキラボーにハイテンポで一気に歌い抜ける。それは見ていて聴いていて息苦しくなってしまうほどの切なく緊迫したノリだった。また後者の方は,これは著名なオランピア・ライブ(1964年)の音源が昔からずっと馴染みなものであった。あの歌いぶりに対しては,単に感情にまかせて大声で怒鳴り散らしているだけじゃあないか,などと評する向きもあるようだが,歌を歌うという行為に秘められた素朴で根源的な力というものをあれほと直截的に感じさせる歌唱はそうそうお目にかかれないと思う。一期一会。刹那のノリといえばいいか。
それにしても,ブレルをブレルたらしめているものは何か? 「デーモン」といっては身も蓋もない。「生きるかなしみ」という言い方も少々アカラサマすぎる。ここは単純に「神」といった方がいいだろう。そのストイックな歌いぶりからブレル神父と呼ばれた時期もあるそうだが,それとは少し違う意味で,いつの頃からかブレルの歌には神が宿っている(無論これは私の思い込みによるもので,当人の全く与り知らぬところであるが)。ブレルの声色は神の調べであり,ブレルの言葉は神の啓示である。限られた聴き手は自らブレル・マニアとなって神の恩寵を受け入れ賜う。われわれは一体誰なのだ?そして何処に導かれるのだ? なるほど,かつて歌人の塚本邦雄がブレルを嫌った理由もむべなるかな。恐らくはギシャール本人にしてからが,身過ぎ世過ぎからそのような企画を一応受け入れてはみたものの,「いやぁ,ムッシュ・ブレルにはカナワナイな~」などと,やはり心中穏やかならずに唄っていたことだろうと想像される。宴会芸の範疇には収まらなくなってしまったわけだ。そりゃ,白髪だって増えるだろうさ。
あれれ。結局いつものように支離滅裂なヨッパライ的戯言を晒してしまった。メンボクナイ。要するに言いたかったのは,玉石混淆なチャンポン仕様の企画ながら,夜なべ仕事のBGMとして流している分にはとにもかくにも心は安らぎ,年度末の殺伐とした気分をつかのまリラックスさせてくれる良い音楽だった,ということです。ココロとカラダを癒す良薬を飲んだような気分で,少なからぬ出費をした甲斐があったというものだ。なお出来ることなら我が家の家計における医療費控除の対象にしていただけると有り難いのだが,などとオロカにも考える,昨今は稼ぎが少なくなって内外に影の薄い存在となっている世帯主なのでありました。