海山散歩人

古希を過ぎても、ライフスタイルは変わりようもなく、ジタバタしながら生きている高齢極楽トンボのブログです。

海外との距離感

2015-01-22 | 日記・雑感
海外との距離感を感じさせない最たるものは時間である

全豪オープンなど何となく、あたり前のようにライブ放送で見ているので、
それほど感激することではないが、改めて、凄いことだと再認識した。

先日、市役所の教育委員会から娘あての連絡文書が、我が家に転送されてきた。

4月に子供・孫が小学1年生に入学するのだが、以前海外居住を連絡していたので
海外居住者が提出しなければならない就学状況届けを送ってくれたのである。

この届け出を怠ると、日本国に住民票がある国民の中に
義務教育を受けない児童が存在することになる。

住民票は、3月に一時帰国するときに移動手続きをすることになっているが、
就学状況届けは早めに出した方がよかろうと、上海の娘に連絡することにした。

この連絡・手続きが距離感ゼロなのである。

市役所からの連絡文書一式をプリンターでスキャンして、
メールにファイル添付して上海に送信する。

それを見た娘は、上海から市役所・教育委員会に電話する。
上海から電話を受け取った担当者はどんな感覚だったろうか?

その担当者とのやり取りで届出書の記入内容を確認して、
結果をメールで返信してくる。代筆で大丈夫とのことで、
小生がメールの内容を確認記入して教育委員会学校教育課に提出したのである。



「そんな訳で届出にきました」「お預かりします。担当から連絡するときはどのように」
「拙宅にお願いします○○方と電話番号を記載しています」
「わかりましたわざわざご苦労様でした」と、こんな感じで5分もかからない。

最初に連絡文書を受け取ってから、手続きに費やした時間だけを合計すると
市役所への移動時間を除いて15分位だろう。
こんな流れを振り返ってみると、国内で行ったり来たりするよりも早いのである。

そんな用事を済ませながら、晩御飯の買い物にスーパーに立ち寄り。
雨の日は駐車場も満車であるが、濡れない所がいい、今夜はしゃぶしゃぶ


帰宅してテレビを付けると、イスラム国に拘束された日本人のニュースが流れていた。
世界中の距離感が狭まって、何処にでも、どのようにでも活動できる地球儀になった。

自分には現代の感覚や推察力が不足しているのだろうか?
過激で残虐な思想集団と関わる状況に至る、気持ちが理解できないのです。




コメント (2)
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