昨日の続きですが、台風18号の進路を確認してゾッとしましたね。台風の中心は何と、わざわざ二見浦の方へ急ハンドルを切り、伊良湖岬をかすめて蒲郡の竹島のほぼ真上を通過し、建設中止で問題になっている八ツ場(やんば)ダム近くを通り、そして小夜姫が人身御供として赴(おもむ)いた福島県の安達郡を通過しています↓。僕は龍神を召喚してしまったのでしょうか。
気象庁台風情報14時の画像より
グーグルアースで作成
さて、日本各地に残る弁財天と人柱の関係。ここには、人柱の多くが若い女性という理由では片付けられない謎が隠されています。
古代史の方で書いているのですが、エジプト宰相ヨセフはエジプトを7年の飢饉から救いました。この時に片腕となったのは、奥さんとなったオン(ヘリオポリス)の祭司ポテペラの娘アセナテです。この二人がシマ(テーベの事)とオンというナイルの両岸に住んだので、牛神アメンのモデルとなったヨセフと女神イシスのモデルとなったアセナテが、牽牛と織女として天の川に投影されました。アセナテが住んだのはオン(音)だから、織の字に音が入るのです。
二人は仲が良かったので、アセナテの名前から伊勢、ヨセフの住んだテーベ(当時はノ=野と呼ばれた)の別名シマから、伊勢・志摩がセットになります。同じく、伊予(伊豫)も二人の頭文字を合わせたものなので、古くから二名島と呼ばれ、また愛媛(愛する姫)となったのです。書いている方が赤面する、図々しいほどの仲の良さですね。
しかし、古事記の神話に投影されたヨセフ(ホホデミ)は長生きしても、妻のアセナテ(豊玉姫)は早死にしています。アセナテはなぜ早死にしたのでしょうか?その謎を解く鍵が、背の高いアセナテをモデルにした、背が高くて首を切られた浅井姫命こと弁財天なのです。
弁財天は本地垂迹で同格とされた仏教の神ですが、元々は市杵島姫神社の市杵島姫(いちきしまひめ)が日本の神です。ここから都久夫須麻神社や厳島神社に変化しますが、シマ(テーベ)の神であることは変わらないのです。僕は仏教も北イスラエルの教えだと考えていますから、北イスラエルの祖先であるヨセフの妻アセナテが弁財天になったのは自然だと思います。そして、弁財天が人柱と関係するのは、弁財天のモデルであるアセナテが、ナイル川の氾濫を抑えるために柱になったからだと推理するのが自然なのです。
もっとも、神を柱として数えた古代イスラエルの習慣で柱と言っても、それが人柱のように犠牲という形には直結しません。しかし、アセナテが柱として神になったとき、少なくとも若くして亡くなったことは想像に難くありません。アセナテは、エジプトを救ったヨセフの妻だからイシス女神として祭られたのではなく、アセナテ自身に神となる働きがあり、それが命を縮める結果となったのではないでしょうか。
ヨセフが住んだテーベは上ナイルで、上ナイルを一字で表したのがエジプト語で「大地を貫く(アカ)・水(ヌ)」が縮まった「中(ナカ=ヌ・アカ)」なのです。亡くなった中川氏は、ヨセフの長男マナセ(上ナイルで象徴された)の子孫だったのです。中川氏を悼む涙の台風が直撃する日本で、過去に人柱として犠牲になった女性の鎮魂を僕は託されたのです。それが、僕が竹島を訪れた理由なのだとしたら、蛇年生まれの僕は蛇神(イエスの化身も蛇)の代理となって、儀式を執り行わなくてはならないでしょう。弁財天に通う龍神の本質が明らかになったようですね。
弁財天の地に住む化身の女性が御座を移す(結婚して他所に行く)と、泉鏡花の『夜叉ヶ池』のように天変地異が引き起こされるかもしれませんね。龍神が弁財天のところに通うのは、このように掟(おきて)があったからです。この掟ゆえに、竹島の弁天様は縁結びの神なのに、逆神として分かれることになるカップルが多いのです。弁天様は妬みの神様でもあるのですね。この因縁も、僕が鎮魂することで解決できるのでしょうか。
なお、前に伊良湖の歌を紹介しましたが、『万葉集』の伊良湖には次のような歌もあります。
打麻を麻績王白水郎なれや伊良虞の島の珠藻刈ります (詠み人知らず)
うちそを おみのおおきみあまなれや いらごのしまのたまもかります
麻績王は「オミのおおきみ」と読みますが、オミは近江ではないかという説があります。近江とは滋賀県のことで大津京のあったところ。今回の旅の後半は、近江と竹生島と弁天様に導かれた旅でしたね。
エフライム工房 平御幸
気象庁台風情報14時の画像より
グーグルアースで作成
さて、日本各地に残る弁財天と人柱の関係。ここには、人柱の多くが若い女性という理由では片付けられない謎が隠されています。
古代史の方で書いているのですが、エジプト宰相ヨセフはエジプトを7年の飢饉から救いました。この時に片腕となったのは、奥さんとなったオン(ヘリオポリス)の祭司ポテペラの娘アセナテです。この二人がシマ(テーベの事)とオンというナイルの両岸に住んだので、牛神アメンのモデルとなったヨセフと女神イシスのモデルとなったアセナテが、牽牛と織女として天の川に投影されました。アセナテが住んだのはオン(音)だから、織の字に音が入るのです。
二人は仲が良かったので、アセナテの名前から伊勢、ヨセフの住んだテーベ(当時はノ=野と呼ばれた)の別名シマから、伊勢・志摩がセットになります。同じく、伊予(伊豫)も二人の頭文字を合わせたものなので、古くから二名島と呼ばれ、また愛媛(愛する姫)となったのです。書いている方が赤面する、図々しいほどの仲の良さですね。
しかし、古事記の神話に投影されたヨセフ(ホホデミ)は長生きしても、妻のアセナテ(豊玉姫)は早死にしています。アセナテはなぜ早死にしたのでしょうか?その謎を解く鍵が、背の高いアセナテをモデルにした、背が高くて首を切られた浅井姫命こと弁財天なのです。
弁財天は本地垂迹で同格とされた仏教の神ですが、元々は市杵島姫神社の市杵島姫(いちきしまひめ)が日本の神です。ここから都久夫須麻神社や厳島神社に変化しますが、シマ(テーベ)の神であることは変わらないのです。僕は仏教も北イスラエルの教えだと考えていますから、北イスラエルの祖先であるヨセフの妻アセナテが弁財天になったのは自然だと思います。そして、弁財天が人柱と関係するのは、弁財天のモデルであるアセナテが、ナイル川の氾濫を抑えるために柱になったからだと推理するのが自然なのです。
もっとも、神を柱として数えた古代イスラエルの習慣で柱と言っても、それが人柱のように犠牲という形には直結しません。しかし、アセナテが柱として神になったとき、少なくとも若くして亡くなったことは想像に難くありません。アセナテは、エジプトを救ったヨセフの妻だからイシス女神として祭られたのではなく、アセナテ自身に神となる働きがあり、それが命を縮める結果となったのではないでしょうか。
ヨセフが住んだテーベは上ナイルで、上ナイルを一字で表したのがエジプト語で「大地を貫く(アカ)・水(ヌ)」が縮まった「中(ナカ=ヌ・アカ)」なのです。亡くなった中川氏は、ヨセフの長男マナセ(上ナイルで象徴された)の子孫だったのです。中川氏を悼む涙の台風が直撃する日本で、過去に人柱として犠牲になった女性の鎮魂を僕は託されたのです。それが、僕が竹島を訪れた理由なのだとしたら、蛇年生まれの僕は蛇神(イエスの化身も蛇)の代理となって、儀式を執り行わなくてはならないでしょう。弁財天に通う龍神の本質が明らかになったようですね。
弁財天の地に住む化身の女性が御座を移す(結婚して他所に行く)と、泉鏡花の『夜叉ヶ池』のように天変地異が引き起こされるかもしれませんね。龍神が弁財天のところに通うのは、このように掟(おきて)があったからです。この掟ゆえに、竹島の弁天様は縁結びの神なのに、逆神として分かれることになるカップルが多いのです。弁天様は妬みの神様でもあるのですね。この因縁も、僕が鎮魂することで解決できるのでしょうか。
なお、前に伊良湖の歌を紹介しましたが、『万葉集』の伊良湖には次のような歌もあります。
打麻を麻績王白水郎なれや伊良虞の島の珠藻刈ります (詠み人知らず)
うちそを おみのおおきみあまなれや いらごのしまのたまもかります
麻績王は「オミのおおきみ」と読みますが、オミは近江ではないかという説があります。近江とは滋賀県のことで大津京のあったところ。今回の旅の後半は、近江と竹生島と弁天様に導かれた旅でしたね。
エフライム工房 平御幸