平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

竜の頭

2010-08-02 22:55:51 | 古代史と聖書
 帰ってきてから疲れが出て、血尿一歩手前なので、今回はクイズを二問出しておきます。

①前々回に書いた、竜の頭とは具体的に何処か?日本の地名で答えなさい。
②草薙の剣と熱田神宮が、どうして今の場所に鎮座しなくてはならないのか?

 正解者には、東北旅行でゲットした、三陸鉄道の萌絵のキャンドルと、萌絵のミニポスターを差し上げます。正解者がない場合は、希望者に差し上げます。

 なお、いろいろと送ってくださるのは有り難いのですが、部屋も冷蔵庫も狭い、料理する場所がない、果物ナイフしかないし俎板もない、本格的なガスコンロも電子レンジもない、鍋も一つしかない、火にかけたのを忘れて仕事に没頭する、ということで、特に手間暇のかかる野菜はご遠慮ください。生野菜やモツ類も余り好きではありません。

 個人的なヒットとして島田のおでんパックとか、とにかく時間がかからないもの、分別ゴミにならないものをお願いします。美味しいものを食べたいという欲求もありませんし、お茶類はティーポットや急須を使わないパックでお願いします。コーヒーだけはインスタントは苦手ですから、ドリップの小分けされたのをお願いします。お菓子も含めて、ピーナッツやアーモンドなどの豆類や固いものはダメです。古代史の中で書いているものが参考になると思います。

      エフライム工房 平御幸
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代償と復讐

2010-08-02 00:03:38 | Weblog
 僕は特殊な生まれ方をしたせいで、傷付いた女性の波長にシンクロして、その傷を癒そうという力に支配されます。癒す本体はイエスなので、僕は代理にすぎませんが。しかし、癒すと言っても簡単なことではないのです。なぜかというと、癒される側の女性は複雑怪奇だからです。

 女性が傷付くというと大半が失恋ですが、この傷を自ら癒すために、女性の中で代償行為が行われます。飼っていた犬が死んだら、代わりの犬を買ってくるような感じです。しかし、犬と人間は違いますから、大半のケースでは代償に限界があります。自分の中では少し落ちるなという、いわゆる妥協が現実的に選択されます。

 頭の良い女性は、この代償行為を、何らかの理由を付けて行います。あるいは、不可抗力という力に依存するのです。自分は騙された、あるいは自分は誘惑された、あるいは自分は強制された、あるいは事故なんだと、いろいろと自己弁護するわけです。ホストクラブに通う女性にも言い分はあるのです。

 対して、女性が意識することなく、その霊と心を蝕(むしば)むものが復讐心なのです。これは、自分では絶対に解決できません。誰かに指摘されて、初めて気が付く業なのです。また、気が付いても、この復讐心を持て余し、尼寺にでも行かないと処理できなくなります。

 古典芸能の「能」の多くは、この不幸な女性の復讐心を描いたもので、舞台の前半で前シテが付ける美しい面(おもて)は、復讐心を隠した偽善の姿なのです。そして、舞台の後半では、旅の僧によって心の中の復讐心が炙(あぶ)り出され、後(のち)シテは般若などの恐ろしい形相の面に変貌します。いわば、エクソシストが「能」のテーマの一つなのです。

 実は、伊勢から名古屋に向かい、最初に会った女性は愛知芸大を出ている方で、駅に張り出されているポスターを見て、親類が出演する薪能に行く約束を思い出したそうです。何やら暗示的で、僕はやはり、生まれついての旅の僧のようですね。名古屋駅で待ち合わせしていなかったら、忘れたままになったかもだそうです。

 話を復讐心に戻すと、復讐心を隠したままの女性は、肩甲骨から上の背中から首筋が浮腫んできます。運動やダイエットやエステでも取れない、変な重たさが肩首の表情として現れるのです。悪霊は背中に憑依しますから、復讐心を抱いていると、背中が重くなるのは当然です。これは服の上からでも分かります。意識的に背筋を伸ばしても隠せません。

 弟子の場合、この背中の重さがないので安心しています。霊格の高い人が、背中がすっきりして見えるのはこのためです。では、どうやったら復讐心を取り除くことができるのか?

 最近も起こった幼児虐待ですが、幼児・児童虐待は前夫の子供であるケースがほとんどで、コブツキで再婚すると、新しい旦那と一緒に虐待するようになります。要するに、一段落ちる新しい旦那には満足していないわけで、その不満が前夫の子供に向けられるわけです。しかし、結婚していない女性の場合、この復讐心は隠されたままです。ただでさえ化ける女性が、男が嫌う復讐心を表に出すわけがありません。

 ところが、人間の体は神の社ですから、神の分身の御霊が警戒警報を出します。復讐心を隠し持っている女性に、僕のような旅の僧を差し向けるのです。こうなると、この女性は何らかの、たとえば言葉、たとえば手紙、たとえば金銭的損失、たとえば公衆の面前での罵倒、などなどで復讐心を遂げなくてはならなくなります。まあ、これらの行為は、本来は別れた元彼・元旦那に向けられるものなのですが。

 このようにして、隠された復讐心を発露させられることで、この女性は本当に一からのやり直しが可能となるのです。旅の僧を神様から派遣されるうちは、まだまだ神様に見捨てられていないのです。神様は愛する者を救うために、犠牲として罵倒される旅の僧を遣わすのです。安珍と清姫の物語は、安珍が不純だったから起こった悲劇でもあるのです。今回の旅程で、道成寺は目と鼻の先でしたが、行かなくて良かったと思います。

 復讐心を隠し持ったままでは幸福にはなれないし、また、結婚しても裏切り行為となるのです。女の業が深いからこそ、復讐の根を絶つのも難しくなる。自らを救う女性に、神は新たな契約を与えるのです。清めの燭台を掲げよ。聖書には、そのように書かれている場面がありますね。

 なお、大学の時に描いた『黒の女』は、涙で濡らした髪でイエスの足をぬぐった、ベタニアのマリアを無意識で描いたものです。モデルさんの髪が濡れていたのでベタッとして、だからベタニアのマリアなのです。意外と「ベタッ」の語源かも。細部がヒェーと言うほど見える、要するにファイルサイズが大きいのでCDで配布しますが、パソコンでは「開く」ではなく「プレビュー」なら観られるようです。配布までもう少しお待ちください。

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コメント (2)
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