お盆の間は、読者の皆さんも帰省や旅行で忙しいだろうと、ブログの更新もさぼっていました。風邪が治らないので、スピーカーを作りつつ、ブラームスの交響曲第1番のスコア(楽譜)とにらめっこの毎日でした。
クラシック音楽のスコアはパートが多く、曲も長いので素人には敬遠されがちです。でも、ドレミが分かる人ならば、曲を聴きながら音符を追いかけいると、少しずつ理解できるようになってきます。また、譜面の読み方などを分かりやすく解説しているサイトもありますから、できるだけ宝の山であるスコアに親しむようにしたいものです。
ブラームスの交響曲第1番の第1楽章はハ短調なのですが、8分の6拍子というちょっと難しいリズム構成になっています。算数的に半分にすると4分の3拍子になりそうですが、8分の6拍子は「タンタンタン/タンタンタン」で1小節なので2拍と数えます。それなら最初から二拍子でも良さそうなものですが、ブラームスが8分の6拍子にしたのには理由があるのです。
ブラームスが交響曲第1番を書き上げるには21年もかかったようですが、その理由はベートーヴェンの壁があったからと考えられています。でも、その壁が何なのかと問われれば、その答えはブラームス自身の心に秘められた謎と言うしかありません。でも、僕は、第2楽章から推察して、何となくその壁が理解できるように思えるのです。
第2楽章は美しい旋律の短い構成なのですが、一般に孤独的な楽章と解釈されています。しかし、僕は単純な孤独には感じられないのです。もしも孤独が感じられるとすれば、自己犠牲を決意した者だけが到達する、神と一人だけで対話するような達観です。ブラームスは、21年かかって、神としてのベートーヴェンの境地を知ったのです。ブラームスにとって、この境地が壁そのものだったのです。
最近はブラームスばかり聴いていますが、喩えて評価すると、モーツァルトがイエス、バッハが御父、ベートーヴェンが聖霊という神の領域にあります。ブラームスはどんなに頑張っても、この神の領域には足りないのです。でも、大預言者エリヤの弟子エリシャのように、師と仰ぐ先達を尊敬する心があれば、少し足りない分を、神様が祝福で与えてくださるのです。ブラームスは、もっとも大切な自己犠牲の精神に到達し、その足りない分を神様から受け取ることができたのです。
ブラームスの交響曲第1番は、自己犠牲の領域に踏み切れない自分を、第1楽章の「タンタタ、タンタタ」というリズムで叱咤激励している音楽なのです。自分に鞭を入れているから、普通の三拍子のズンチャッチャではなく、タンタタと頭にアクセントが来るリズム用いているわけです。
三拍子は舞曲に多いですが、実は騎馬民族が馬を追うリズムが三拍子なのです。競馬は三拍子で見るのが正しく、馬に乗るのを禁じられた江戸時代以降、日本人は三拍子が苦手な国民になってしまったのです。今の人はそうでもありませんがね。
ブラームスの交響曲第1番は紛れもない名曲ですが、第3楽章と終楽章はおまけのような感じがします。今回聞いているカール・ベームのNHKライブ盤ですが、僕としては、第2楽章をもう少し美しく演奏して欲しいと思います。ベームに限らず、指揮者の解釈がもの足らないのだと思いますが、それでもベーム盤は傑作です。僕の要求が高すぎるのです。
なお、伊勢に同行した読者がサイトを開いたので、弟子の下にリンクを張っておきました。リンク先からブログにも飛べます。僕の方からも、お引き立てをよろしくお願いします。岩手のホタテ屋サトウさんもそうですが、どちらもエレキギターが趣味なのでバンドが作れそうですね。そう言えば、どちらも体型がベース向き。レゲエ好きもいるし、なかなかカオスで面白くなってきました。
エフライム工房 平御幸
クラシック音楽のスコアはパートが多く、曲も長いので素人には敬遠されがちです。でも、ドレミが分かる人ならば、曲を聴きながら音符を追いかけいると、少しずつ理解できるようになってきます。また、譜面の読み方などを分かりやすく解説しているサイトもありますから、できるだけ宝の山であるスコアに親しむようにしたいものです。
ブラームスの交響曲第1番の第1楽章はハ短調なのですが、8分の6拍子というちょっと難しいリズム構成になっています。算数的に半分にすると4分の3拍子になりそうですが、8分の6拍子は「タンタンタン/タンタンタン」で1小節なので2拍と数えます。それなら最初から二拍子でも良さそうなものですが、ブラームスが8分の6拍子にしたのには理由があるのです。
ブラームスが交響曲第1番を書き上げるには21年もかかったようですが、その理由はベートーヴェンの壁があったからと考えられています。でも、その壁が何なのかと問われれば、その答えはブラームス自身の心に秘められた謎と言うしかありません。でも、僕は、第2楽章から推察して、何となくその壁が理解できるように思えるのです。
第2楽章は美しい旋律の短い構成なのですが、一般に孤独的な楽章と解釈されています。しかし、僕は単純な孤独には感じられないのです。もしも孤独が感じられるとすれば、自己犠牲を決意した者だけが到達する、神と一人だけで対話するような達観です。ブラームスは、21年かかって、神としてのベートーヴェンの境地を知ったのです。ブラームスにとって、この境地が壁そのものだったのです。
最近はブラームスばかり聴いていますが、喩えて評価すると、モーツァルトがイエス、バッハが御父、ベートーヴェンが聖霊という神の領域にあります。ブラームスはどんなに頑張っても、この神の領域には足りないのです。でも、大預言者エリヤの弟子エリシャのように、師と仰ぐ先達を尊敬する心があれば、少し足りない分を、神様が祝福で与えてくださるのです。ブラームスは、もっとも大切な自己犠牲の精神に到達し、その足りない分を神様から受け取ることができたのです。
ブラームスの交響曲第1番は、自己犠牲の領域に踏み切れない自分を、第1楽章の「タンタタ、タンタタ」というリズムで叱咤激励している音楽なのです。自分に鞭を入れているから、普通の三拍子のズンチャッチャではなく、タンタタと頭にアクセントが来るリズム用いているわけです。
三拍子は舞曲に多いですが、実は騎馬民族が馬を追うリズムが三拍子なのです。競馬は三拍子で見るのが正しく、馬に乗るのを禁じられた江戸時代以降、日本人は三拍子が苦手な国民になってしまったのです。今の人はそうでもありませんがね。
ブラームスの交響曲第1番は紛れもない名曲ですが、第3楽章と終楽章はおまけのような感じがします。今回聞いているカール・ベームのNHKライブ盤ですが、僕としては、第2楽章をもう少し美しく演奏して欲しいと思います。ベームに限らず、指揮者の解釈がもの足らないのだと思いますが、それでもベーム盤は傑作です。僕の要求が高すぎるのです。
なお、伊勢に同行した読者がサイトを開いたので、弟子の下にリンクを張っておきました。リンク先からブログにも飛べます。僕の方からも、お引き立てをよろしくお願いします。岩手のホタテ屋サトウさんもそうですが、どちらもエレキギターが趣味なのでバンドが作れそうですね。そう言えば、どちらも体型がベース向き。レゲエ好きもいるし、なかなかカオスで面白くなってきました。
エフライム工房 平御幸