僕は今までに驚くようなことを何度も書いてきましたが、次に書くことは驚愕そのものなので、しっかり記憶に留めて欲しいと思います。
日付が替わった直後に「日立のHMA-9500Ⅱが直りました」と書いて更新しましたが、今回のアンプ修理には、神による驚愕の目的があったのです。それは、日立リヴァーレの前身である日立佐和バレーボールクラブの悪夢の払拭です。
日立佐和の時代、二年間で1勝しか上げられずに二部に落ちたことがあります。1勝53敗という悪夢を演出した監督は、今シーズンからコーチに復帰した角田博文氏。ネットでは日立最下位説が流れていますが、その根拠に挙げられるのが角田氏の復帰なのです。
もちろん、日立リヴァーレの選手も伝説の全敗は知っていると思います。ただでさえ主力選手が抜け、精神的柱だった南桃加が退団し、補強といえば峠を越したベテランばかり。選手が不安になる要素は山ほどありました。そこへ悪夢の全敗監督がコーチで復帰。不安の中で迎えた今日の開幕戦はNECにストレート負け。普通なら掛けるべき声が見つかりませんね。
しかし、僕はへそ曲がりなので励ますことが出来ます。今日の敗戦は予想通りだったし、負け方も悪かった。でも、これを厄落としとして次に繋げる事が選手には出来ると信じています。その理由は、僕が修理していた日立のパワーアンプHMA-9500Ⅱこそ、その暗黒時代に修理された経歴があったからです。
このアンプは入力端子基板が割れています。これは事故ではなく、修理屋が勝手にやったことなのです。信じられない修理ですが、大型のターミナル(端子)を無理やり取り付けるために、寸法が合わない基板を真っ二つに割っているのです。何と悲惨な。本当に悲惨という言葉しか出てきません。
入力基板が割られている
修理屋によるこの機種の32~39番めの修理記事と同じ
しかも安物の黄色の小さいコンデンサーが追加されている
こんな修理をする人は他に居ず、修理屋のサイトに写真が掲載されているので誰にでも分かります。2007年5月~2009年1月の修理記事の写真と一緒ですから。このような乱暴な修理は同じ時期に何台か続けられていますが、2007年5月のHMA-9500Ⅱ修理記事のあと、日立佐和は1勝しか上げられず、僕の入手したであろう2009年1月修理機のシーズンはとうとう全敗してしまいます。悲惨なアンプ修理が呪いとなったみたいに。
日立リヴァーレの監督や選手は、現在は副部長の菅原総監督が決めてきたと言われています。当然、悪夢の監督も自身が招いたもので、その失敗監督を再度コーチに迎えるのはリスクが大きすぎます。しかし、菅原氏にしてみれば、あの悪夢は監督だけの責任ではなく、選手補強や会社の環境整備を含めた自身の責任でもあったはずです。
あの悪夢を払拭しないことには往生できない。総監督を退いて副部長という肩書になって、ある意味身軽になって悪夢払拭のリベンジに立ち上がる。だから監督ではなくコーチとして角田氏を招いた。昔風の男気が感じられるというか、チアガールのいない日立には似合っているかもしれません。
修理したHMA-9500Ⅱはパワーの源であるパワーMOS-FETが三個も壊れていました。しかし、この部品には交換が効かないのです。というのも、このようなデバイスには出力に応じたランクがあり、壊れていたのは優秀なCランク。僕の手持ちは少し劣るDランクしかありません。音質は一緒なのですが、パワー効率がほんの少し劣る程度。
ここまで書けば、交換したMOS-FETは新加入のベテランに相当すると分かります。岡山から移籍の栗原恵選手。デンソーから移籍の井上奈々朱選手。一年前の加入ですが東レから移籍の和田選手の三人。特に栗原選手は、HMA-9500Ⅱ(1982年発売)がまだ売られていた1984年の生まれです。体がボロボロなのも似ています。
僕がこのアンプを入手した時はオークションで入札ゼロ。ジャンクなので単独落札です。もうオークション情報は削除されているので書けますが、落札日は7月11日と、栗原選手が岡山に入団した日と同じ。今年の6月に岡山を退団して、日立入団発表は9月でした。日立に入ることも知らなかったし、7月が栗原選手の誕生月とも知りませんでした。全くの偶然に手に入れたアンプを必死に修理していたら、音が出たのが栗原選手の日立デビューの日に重なった。
栗原選手は寡黙ですが、こんな不思議なことが起こるくらい神様に愛されている選手なのだと思います。今日の試合に同行した読者の中に、栗原選手の出身校のある、山口県に親族のいる人がいます。ケルビムジュニアを作った人です。不死鳥の火の鳥のモデルになったケルビム。栗原選手の不死鳥伝説の幕開けに日立はふさわしい。
どうか、日立リヴァーレの選手も関係者もファンも、今日の第三セットのように粘り強く前を向いて欲しいと思います。やがて結果は付いてきます。そうでなかったら身を削って修理したアンプが泣いてしまいます。柔らかく繊細で切れがあって大和撫子を具現したような高品位の音。HMA-9500Ⅱは伊達にツーを名前に持っているわけではないのです。悪夢を払拭して蘇る「再生」という意味になるからです。
入力基板は切り替えスイッチ部分を取り除き、偶然にも高級ラムダコンデンサーを取り付けるスペースが出来た
以上、前回の続き
自作した基板にパーツを取り付け
上から
2SA673C/2SC1213C L hFE 137コンプリ R hFE 132コンプリ
1/4W 10kΩ抵抗×2×LR
2SA1029C/2SC458C L hFE 193コンプリ R hFE 190/191コンプリ
1/4W 1kΩ抵抗×2×LR(下段の小さいゴマ粒の方)
2SA1029C/2SC458C L hFE 187/186コンプリ
2SA1029C/2SC2307C R hFE 176コンプリ
(2SC458Cと2SC2307Cは耐圧が30Vと55Vの違いだけ)
エフライム工房 平御幸
日付が替わった直後に「日立のHMA-9500Ⅱが直りました」と書いて更新しましたが、今回のアンプ修理には、神による驚愕の目的があったのです。それは、日立リヴァーレの前身である日立佐和バレーボールクラブの悪夢の払拭です。
日立佐和の時代、二年間で1勝しか上げられずに二部に落ちたことがあります。1勝53敗という悪夢を演出した監督は、今シーズンからコーチに復帰した角田博文氏。ネットでは日立最下位説が流れていますが、その根拠に挙げられるのが角田氏の復帰なのです。
もちろん、日立リヴァーレの選手も伝説の全敗は知っていると思います。ただでさえ主力選手が抜け、精神的柱だった南桃加が退団し、補強といえば峠を越したベテランばかり。選手が不安になる要素は山ほどありました。そこへ悪夢の全敗監督がコーチで復帰。不安の中で迎えた今日の開幕戦はNECにストレート負け。普通なら掛けるべき声が見つかりませんね。
しかし、僕はへそ曲がりなので励ますことが出来ます。今日の敗戦は予想通りだったし、負け方も悪かった。でも、これを厄落としとして次に繋げる事が選手には出来ると信じています。その理由は、僕が修理していた日立のパワーアンプHMA-9500Ⅱこそ、その暗黒時代に修理された経歴があったからです。
このアンプは入力端子基板が割れています。これは事故ではなく、修理屋が勝手にやったことなのです。信じられない修理ですが、大型のターミナル(端子)を無理やり取り付けるために、寸法が合わない基板を真っ二つに割っているのです。何と悲惨な。本当に悲惨という言葉しか出てきません。
入力基板が割られている
修理屋によるこの機種の32~39番めの修理記事と同じ
しかも安物の黄色の小さいコンデンサーが追加されている
こんな修理をする人は他に居ず、修理屋のサイトに写真が掲載されているので誰にでも分かります。2007年5月~2009年1月の修理記事の写真と一緒ですから。このような乱暴な修理は同じ時期に何台か続けられていますが、2007年5月のHMA-9500Ⅱ修理記事のあと、日立佐和は1勝しか上げられず、僕の入手したであろう2009年1月修理機のシーズンはとうとう全敗してしまいます。悲惨なアンプ修理が呪いとなったみたいに。
日立リヴァーレの監督や選手は、現在は副部長の菅原総監督が決めてきたと言われています。当然、悪夢の監督も自身が招いたもので、その失敗監督を再度コーチに迎えるのはリスクが大きすぎます。しかし、菅原氏にしてみれば、あの悪夢は監督だけの責任ではなく、選手補強や会社の環境整備を含めた自身の責任でもあったはずです。
あの悪夢を払拭しないことには往生できない。総監督を退いて副部長という肩書になって、ある意味身軽になって悪夢払拭のリベンジに立ち上がる。だから監督ではなくコーチとして角田氏を招いた。昔風の男気が感じられるというか、チアガールのいない日立には似合っているかもしれません。
修理したHMA-9500Ⅱはパワーの源であるパワーMOS-FETが三個も壊れていました。しかし、この部品には交換が効かないのです。というのも、このようなデバイスには出力に応じたランクがあり、壊れていたのは優秀なCランク。僕の手持ちは少し劣るDランクしかありません。音質は一緒なのですが、パワー効率がほんの少し劣る程度。
ここまで書けば、交換したMOS-FETは新加入のベテランに相当すると分かります。岡山から移籍の栗原恵選手。デンソーから移籍の井上奈々朱選手。一年前の加入ですが東レから移籍の和田選手の三人。特に栗原選手は、HMA-9500Ⅱ(1982年発売)がまだ売られていた1984年の生まれです。体がボロボロなのも似ています。
僕がこのアンプを入手した時はオークションで入札ゼロ。ジャンクなので単独落札です。もうオークション情報は削除されているので書けますが、落札日は7月11日と、栗原選手が岡山に入団した日と同じ。今年の6月に岡山を退団して、日立入団発表は9月でした。日立に入ることも知らなかったし、7月が栗原選手の誕生月とも知りませんでした。全くの偶然に手に入れたアンプを必死に修理していたら、音が出たのが栗原選手の日立デビューの日に重なった。
栗原選手は寡黙ですが、こんな不思議なことが起こるくらい神様に愛されている選手なのだと思います。今日の試合に同行した読者の中に、栗原選手の出身校のある、山口県に親族のいる人がいます。ケルビムジュニアを作った人です。不死鳥の火の鳥のモデルになったケルビム。栗原選手の不死鳥伝説の幕開けに日立はふさわしい。
どうか、日立リヴァーレの選手も関係者もファンも、今日の第三セットのように粘り強く前を向いて欲しいと思います。やがて結果は付いてきます。そうでなかったら身を削って修理したアンプが泣いてしまいます。柔らかく繊細で切れがあって大和撫子を具現したような高品位の音。HMA-9500Ⅱは伊達にツーを名前に持っているわけではないのです。悪夢を払拭して蘇る「再生」という意味になるからです。
入力基板は切り替えスイッチ部分を取り除き、偶然にも高級ラムダコンデンサーを取り付けるスペースが出来た
以上、前回の続き
自作した基板にパーツを取り付け
上から
2SA673C/2SC1213C L hFE 137コンプリ R hFE 132コンプリ
1/4W 10kΩ抵抗×2×LR
2SA1029C/2SC458C L hFE 193コンプリ R hFE 190/191コンプリ
1/4W 1kΩ抵抗×2×LR(下段の小さいゴマ粒の方)
2SA1029C/2SC458C L hFE 187/186コンプリ
2SA1029C/2SC2307C R hFE 176コンプリ
(2SC458Cと2SC2307Cは耐圧が30Vと55Vの違いだけ)
エフライム工房 平御幸