平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

東西南北の奥義

2015-06-13 18:07:00 | 古代史と聖書
 今日は飯能の竹寺に行って来ました。目当ての蘇民将来のお守りもゲット。お昼に精進料理を頂いて、帰りの電車の中でピコーンときました。思わぬ収穫というか、ご利益というか。


竹寺の蘇民将来の護符(小 1500円 大から特大まであります)


竹寺の精進料理(ご住職の解説付き) (=^・^=)

 実は、飯能に出るのに結構大変で、本厚木から小田急で町田に行き、町田から八王子に足を伸ばし、そこから川越方面に乗り換えて東飯能駅で西武線に乗り換えて一駅。この道中で南北に走る鉄道に乗るので、ずっと南北というのが引っ掛かっていたのです。なぜ、南は南と書くのか?北は北と書くのか?

 この謎解きのヒントは「幸」という字にあります。『創世記』に描かれるヤコブの子供の中で、最初は「不幸」と命名されたのが末弟のベニヤミン。母親が産んですぐに亡くなるときに、「ベン・オニ」と呼んで子供の不幸を悲しんだのです。ヘブライ語でベンは子供。オニは不幸を意味し、これが鬼の語源となっています。不幸な人は鬼の形相になるでしょう。

 ところが、父親のヤコブはベノニからベニヤミンに変えてしまいました。ベニヤミンは、「ベン・ヤ・ミン」が縮まったもので、右手の子を意味します。「ミン=右=幸い」なのです。南とは「東を向いた時に、右手が見る方向」で「ミ(右)・ナ(かいな=腕)・ミ(見る)」です。そして、後にベニヤミン族は南ユダ王国に属した。これがポイント。

 ここで、ベニヤミンの意味である「幸」と「南」の二つの文字を比べます。すると、南は、幸の上から二本目の横棒を伸ばして下に折り曲げた形だと分かります。横棒が構えとなったのが南という文字。「十+一+半=幸」と「十+冂+半=南」の違いです。

 ヤコブの子は12人ですが、祭司レビが12部族の外に置かれたので、ベニヤミンは十一番目となり、半人前だったので羊を半分に分けた「半」をあてがわれた。これが「十一半」の「幸」の意味です。イスラエル分裂後はエルサレムを含む南ユダ王国に属したので、北イスラエル王国の十部族に囲まれるという意味の「南」になった。冂は、「けいがまえ」や「まきがまえ」と呼ばれるように、取り囲まれることを意味するのです。

 南という文字は、北イスラエル王国の十部族に囲まれたベニヤミン族(とユダ族)を指した。これが分かれば、残りの東西北は簡単です。

 北は、十部族が背いたから「北+月=背く」なので、「北」の一字で十部族の土地を表すと考えられます。ちなみに、月は、北イスラエル建国時にソロモン王の息子に背いたので、日の栄光に劣る月の栄光に留まることを意味します。

 西は「ロ+Ⅰ+マ=ローマ」となり、カタカナののローマの縦書の並び替え。

 東は「日+木=太陽神の木」だから日本を指すのです。漢字自体が預言になっていたのです。

    エフライム工房 平御幸
コメント (6)
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