韓国が124年ぶりの旱魃(かんばつ)で、MERSと経済崩壊とに続く、弱り目に祟り目の状態です。旱魃とは、旱(ひでり)+魃(ひでりの神)の事。昨年は蝗害(こうがい)という、黙示録に書かれるイナゴ(蝗)の害に悩まされました。
日本語の聖書ではイナゴと訳されていますが、アメリカではクリケット(コオロギ)と呼ばれ、どちらもトビバッタをいい加減に訳しているようです。蝗害のトビバッタは西アジアやアフリカではサバクトビバッタ、アメリカではロッキートビバッタで、どちらもトノサマバッタの一族です。もともと飛ぶ力が強い大型種ですが、食料が少なくなると変異した群生相が大発生します。羽が長くなり色も褐色に変化します。
蝗害は一年で終わるものではなく、数年続けて発生するようなので、韓国の夏は蝗害の再来もあり得るのです。旱魃で食料の草が少なくなると、またぞろ大発生の危機。
ところで、旱魃の旱は、「日+干」という構成になっています。日は太陽神を表すのは当然ですが、「干」は古代史で書いているように「イエスが架けられた十字架」を表しています。だから、タイトルのように、旱魃は太陽神イエスの怒りなのですが、韓国の場合はもっと恐ろしい事になっているのです。
古代史で書いている「干」の奥義はこうです。イエスが架けられた十字架自体はT型。この上に罪状書きが加わったので十字に見えたのですが、罪状書きは横に広いので「干」という字に見えます。イエスは茨の冠を被されたので、ここから草冠「艹=艸」がイエスのトレードマークになります。だから、「干+艹」で「竿」となり、飛鳥氏が書いているように、天皇の祭祀を司る八咫烏が、イエスの十字架を「竿」と呼ぶわけです。
しかし、イエスの十字架にはもっと深い奥義が隠されており、それは罪状書きの文字数が31文字だという事です。和歌の三十一文字が生まれた背景に、イエスの罪状書きがあった。もともと、カナの婚礼の奇跡から始まる新約聖書に習い、『万葉集』が仮名で書かれることになった。古事記が旧約聖書なら、万葉集は新約聖書に位置付けられるのです。
イエスの罪状書きが31文字で、今回の韓国の旱魃が124年ぶり。31×4=124なので、これは「罪×4(死)」を表していることになるのです。神道は原始キリスト教そのもの。日本の仏教もその変形。寺社に油を撒いたり放火したりの罪は重く、罪を贖って清めるイエスにも贖いきれないのです。
聖書に描かれるイエスは度々怒っています。イエスが激怒したらチャブ台返しも辞さないのです。実際、神殿の中で店を広げて商売していた者に対して、(ノ`Д´)ノ彡┻━┻をやったのです→『マタイによる福音書』21章12。しかし、イエスが怒っても、それを実行するのは聖霊の仕事。聖霊は容赦がなく、人の死に情けをかけることはありません。イエスはその点が甘いので、「自分には逆らってもいいけど聖霊に逆らうな」と忠告しているのです。
韓国は、宗教を自分の都合の良い方に曲げて、なんでもウリナラ教やウリスト教に変えてしまう。その罪だけでも重いのに、イエスの十字架を隠し持つ日本の寺社に悪さを働いた。この罪は、仏像を返しても、放火した神社を再建するなどの原状回復だけではダメで、契約の箱をイスラエルに送り返したペリシテ人のように、何倍も加えなければならないのです→『サムエル記上』6章8。
三十一文字には、イエスの罪状書きの文字数とは別に、イエスの磔刑の時に、「三人が十字架に架けられた」という意味が隠されているのです。「三+十+人(一)」で31(みい)。これが八咫烏が青銅の蛇を「ミイさん」と呼ぶ理由です。イエス=ヤハウェ=数字の八。8番のミイちゃんがどこかにいましたね (;^ω^)
参考 【画像】124年ぶりの大干ばつで干上がる韓国★2
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1434710305/
エフライム工房 平御幸
日本語の聖書ではイナゴと訳されていますが、アメリカではクリケット(コオロギ)と呼ばれ、どちらもトビバッタをいい加減に訳しているようです。蝗害のトビバッタは西アジアやアフリカではサバクトビバッタ、アメリカではロッキートビバッタで、どちらもトノサマバッタの一族です。もともと飛ぶ力が強い大型種ですが、食料が少なくなると変異した群生相が大発生します。羽が長くなり色も褐色に変化します。
蝗害は一年で終わるものではなく、数年続けて発生するようなので、韓国の夏は蝗害の再来もあり得るのです。旱魃で食料の草が少なくなると、またぞろ大発生の危機。
ところで、旱魃の旱は、「日+干」という構成になっています。日は太陽神を表すのは当然ですが、「干」は古代史で書いているように「イエスが架けられた十字架」を表しています。だから、タイトルのように、旱魃は太陽神イエスの怒りなのですが、韓国の場合はもっと恐ろしい事になっているのです。
古代史で書いている「干」の奥義はこうです。イエスが架けられた十字架自体はT型。この上に罪状書きが加わったので十字に見えたのですが、罪状書きは横に広いので「干」という字に見えます。イエスは茨の冠を被されたので、ここから草冠「艹=艸」がイエスのトレードマークになります。だから、「干+艹」で「竿」となり、飛鳥氏が書いているように、天皇の祭祀を司る八咫烏が、イエスの十字架を「竿」と呼ぶわけです。
しかし、イエスの十字架にはもっと深い奥義が隠されており、それは罪状書きの文字数が31文字だという事です。和歌の三十一文字が生まれた背景に、イエスの罪状書きがあった。もともと、カナの婚礼の奇跡から始まる新約聖書に習い、『万葉集』が仮名で書かれることになった。古事記が旧約聖書なら、万葉集は新約聖書に位置付けられるのです。
イエスの罪状書きが31文字で、今回の韓国の旱魃が124年ぶり。31×4=124なので、これは「罪×4(死)」を表していることになるのです。神道は原始キリスト教そのもの。日本の仏教もその変形。寺社に油を撒いたり放火したりの罪は重く、罪を贖って清めるイエスにも贖いきれないのです。
聖書に描かれるイエスは度々怒っています。イエスが激怒したらチャブ台返しも辞さないのです。実際、神殿の中で店を広げて商売していた者に対して、(ノ`Д´)ノ彡┻━┻をやったのです→『マタイによる福音書』21章12。しかし、イエスが怒っても、それを実行するのは聖霊の仕事。聖霊は容赦がなく、人の死に情けをかけることはありません。イエスはその点が甘いので、「自分には逆らってもいいけど聖霊に逆らうな」と忠告しているのです。
韓国は、宗教を自分の都合の良い方に曲げて、なんでもウリナラ教やウリスト教に変えてしまう。その罪だけでも重いのに、イエスの十字架を隠し持つ日本の寺社に悪さを働いた。この罪は、仏像を返しても、放火した神社を再建するなどの原状回復だけではダメで、契約の箱をイスラエルに送り返したペリシテ人のように、何倍も加えなければならないのです→『サムエル記上』6章8。
三十一文字には、イエスの罪状書きの文字数とは別に、イエスの磔刑の時に、「三人が十字架に架けられた」という意味が隠されているのです。「三+十+人(一)」で31(みい)。これが八咫烏が青銅の蛇を「ミイさん」と呼ぶ理由です。イエス=ヤハウェ=数字の八。8番のミイちゃんがどこかにいましたね (;^ω^)
参考 【画像】124年ぶりの大干ばつで干上がる韓国★2
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1434710305/
エフライム工房 平御幸