平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

さざなみの滋賀の正体~ササン朝ペルシャ

2015-12-21 22:07:15 | 古代史と聖書
 反日企業としてレッテルを貼られる東レは、昔から朝鮮半島と関わりの深かった滋賀県にあります。

 滋賀は『万葉集』にも、「さざなみの志賀」などと歌われ、反日左翼歌手として定着した加藤登紀子のフォークソングの『琵琶湖周航の歌』でも、「さざなみの志賀の都よいざさらば」と歌われています。

 『琵琶湖周航の歌』の歌詞は、前に書いた『反日の志賀』に出てくる多景島の呪いの五角柱建設より前の、大正時代前期に書かれています。デンソーに内定している東海大の小口選手と同じ姓の、小口太郎氏が現京都大学の前身の三高時代に書いたもの。三高の寮歌の一つです。僕も好きな曲で、反日左翼の加藤登紀子じゃない、まともな人に歌って欲しい所 (;´Д`)

 志賀の前に置かれる「さざなみ」は枕詞(まくらことば)として知られていますが、漢字表記で楽浪と書きます。古代朝鮮半島北西部にあった楽浪郡と同じ表記です。従って、滋賀が当時は漢の支配する楽浪郡と関わりがあるのは明白で、問題は何故に「さざなみ」なのかという事。これが壮大なスケールの真実を隠し持っていたのです。

 ヒントは滋賀や志賀という「し・が」という表記。賀はイスラエルの祭司コーヘンを表す異体字です。加+貝で、ギリシャ語の十字架を意味するカイ=χに加わったという意味になります。要するに、原始キリスト教に加わったコーヘンが賀という文字。

 ここまで分かると、「し・が」の「し」は四だと分かります。なぜか?それは、イエスのユダ族はヤコブの子の四番目のユダ族から出ているからです。祭司はイスラエル12部族それぞれに付帯し、ユダ族に付帯したのが志賀や滋賀と書かれるコーヘンだったのです。これは旧約聖書でも確認できます。

 というのも、古代イスラエル分裂後、ユダ族の民は、ベニヤミン族と共に南ユダ王国に属しました。南ユダ王国は新バビロニア王国に滅ぼされ、バビロンの虜囚として集団連行されます。ところが、新バビロニア王国がアケメネス朝ペルシャに滅ぼされて虜囚時代が終わり、エルサレムに帰ることが許されて神殿も再興します。

 日本ではアケメネス朝と呼んでいますが、本当はアカイメネスが正しく、国旗が赤だったことからも、「赤いメネス」ではないかと思います。これが現在のイランの地に栄え、後にササン朝ペルシャが興ります。ササン朝ペルシャは拝火教とも呼ばれる祆教(ゾロアスター教)が中心で、古代日本の飛鳥時代末期に日本にゾロアスター教が持ち込まれ、今でも東大寺のお水取りで儀式の一部が執り行われているとされます。

 ゾロアスター教を持ち込んだのは、近江朝の天智天皇の母・斉明天皇の時代と言われます。

 ここまで書けば、ユダ族→南ユダ王国→アケメネス朝ペルシャ→ササン朝ペルシャ→近江朝・天智天皇という流れが見えてきます。滋賀の代名詞である「さざなみ」は、ササン朝ペルシャの「ササン」を指していたのです。

 家紋にも見られる笹は、このササン朝ペルシャをもじったものではないのか?また、ササンの意味は不明です。僕は、ササンが南ユダの別名で、ここから南を意味するサザン(southern)の語源となったのではないかと睨んでいます。ササン朝ペルシャは南ユダ王国の別働隊と考えると、近江朝との関係が理解できてしまいます。

 日本はイスラエル12部族の中でも、北イスラエル王国に属したエフライム族が中心の国で、南ユダ王国系の天皇とは対立を繰り返してきました。北イスラエル王国の大海人皇子(おおあまのみこ=後の天武天皇)と、南ユダ王国の天智天皇の息子・大友皇子(おおとものみこ)が対決したのが672年の壬申(じんしん)の乱です。

 この戦いで北イスラエル側が勝利し、奈良に北イスラエル王国の再興を記念した平城京が建てられます。奈良時代は北イスラエル王国の文化。対して、京都に遷都した平安京は南ユダ王国の文化なのです。近江=滋賀は、その中でもササン朝ペルシャからの帰化人が多く、おそらく石井姓はペルシャ系ユダ族だと思います。

 デンソーの石井里沙、久光の石井優希、元JTの石井美樹など、胡人(こじん)と呼ばれたペルシャ人の顔の面影があります→伎楽面の酔胡従。ペルシャ人は波斯(はし)人とも呼ばれ、これが橋本姓のルーツになりました。デンソーの橋本涼加や日立の橋本直子もペルシャ系ですね。

 ゾロアスター教の神アフラマヅダをシンボルにしているのが、広島の自動車メーカーであるマツダ。日立が松田監督になって、橋本直子と石井美樹を加入させるのはペルシャ系として当然です。日立は、北イスラエル系の祭司である佐藤あり紗と佐藤美弥を中心に、南ユダ系の選手と協調し、これから日本が進むべき、南北融合した統一日本の雛形となっているのです。

 南ユダと北イスラエルは、ユダの木にエフライムの木を接ぐとエゼキエル書37章に預言され、またブドウの木とイチジクの木でも喩えられています。南ユダはブドウ、北イスラエルはイチヂクなのです。折しも、万葉堂さんがミロード2に出店しています。万葉堂さんの干しイチジクや干しブドウを食べて、神のなさる不思議を実感しましょう (;´∀`)

12月23日 追加

 『万葉集』巻一の31番に収録されている柿本人麻呂の歌の原文では、「左散難弥乃」と書いて「さざなみの」と読ませています。これは「ササン難民の」と解釈できます。ササンがそのものズバリと書かれていたいたとは。

 『万葉集』巻一の30番では「樂浪之」の表記。こちらは「ラク」が遊牧民を意味することから、イスラエルの民が通過してきた楽浪郡を偲ばせているのだと思います。

    エフライム工房 平御幸
コメント (11)
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