前回に書いた、滋賀の代名詞の「さざなみ」はササン朝ペルシャを指し示していたという事実。それだから、『万葉集』の解釈では濁音の「さざなみ」ではなく、清音の「ささなみ」と読まれるのです。
室町時代に確立された能の演者は、本阿弥(ほんあみ)や世阿弥(ぜあみ)などのように「阿弥(あみ)」を名乗ります。これも謎の名前なのですが、先の「ささなみ」は「sasan-ami」と分解できます。おそらく、ササン朝ペルシャのゾロアスター教かマニ教の祭司がアミだったのでは。Sasan-amiでペルシャの祭司。この子孫が能を始めて能阿弥となり、その子孫も阿弥を名乗った。仏教の僧の沙弥と同じ意味合いでは。
31番の柿本人麻呂の歌は、「左散難弥乃」と「左に散った難民の阿弥」と解釈できます。この場合の左は、サタンを意味する左端。ササン朝ペルシャの難民として日本に来た近江朝を、サタンの方に堕ちた祭司として、「大わだ淀むとも」と澱んだ水にイメージを重ねているのです。この少ない文字数の中に複雑な意味を込めて隠す。柿本人麻呂は本当に天才です。
『万葉集』は最初の歌が雄略天皇の歌です。原文にはバレーボール選手の名前がたくさん見られます。歌の解釈については、古代史の第五部で行っていますが、イスラエルの籠目紋国旗から始まり、イエスの奇跡が櫛=奇(くす)しきで表されています。
篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母
訓読
篭もよ み篭持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ座せ 我れこそば 告らめ 家をも名をも
仮名
こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち このをかに なつますこ いへきかな のらさね そらみつ やまとのくには おしなべて われこそをれ しきなべて われこそませ われこそば のらめ いへをもなをも
実は、滋賀とササン朝ペルシャの関係が分かったのは、JAぎふリオレーナの選手名に、吉井奎乃(よしい きの)という珍しい漢字を見つけたからです。奎をキと読むのは、漢字検索しても書いてないサイトが多いほど→優秀なサイト。意味は28宿の星座の名前らしい。漢字検定一級の難しい文字ですから、漢字マニアか星座マニアの人が名付け親なのかも。
この難しい字を見ていて、突然にピコーンと閃いたのが「さざなみの滋賀」という言葉の意味。岐阜の試合の前に東レの試合を見ていたので、「吉井選手の京都橘高校→NEC近江選手→近江朝→さざなみの滋賀」と連想できたのです。
ササン朝ペルシャの事実上の滅亡は642年。それから3年後の645年に、問題の女帝・皇極天皇(重祚して後の斉明天皇)の乙巳の変(大化の改新)が起こります。この後に息子とされる天智天皇が近江朝を立てて、飛鳥から滋賀に遷都します。どうも、ササン朝ペルシャの王族が難民として日本にやってきて、クーデターを起こしたと見て良さそうです。
大化の改新は、皇極天皇の寵愛を得た蘇我入鹿の専横を咎めたものとされますが、蘇我氏も西域のソグド人だった可能性があります。古文書で胡人と書かれるのはソグド人の方で、波斯と書かれるペルシャ人とは異なるとする意見もあります。僕は明快な区別はなかったのではないかと思っていますが。
南ユダ王国とササン朝ペルシャの連合が近江朝で、唐の支持を得た北イスラエル王国が明日香や熊野の天武朝。奈良時代は、北イスラエル系の天皇が即位した記念事業として、仏教を中心とした平城京を建設した。奈良の歴史ある寺院の修復事業が、北イスラエル系の今上天皇の即位間近に集中したのもそのためなのです。
バレーボールで、東レの木村選手がトルコリーグに移籍したりしたのも、トルコが突厥(とっけつ)と呼ばれた時代に、南ユダ系のベニヤミン族が支配した因縁からなのです。因縁は恐ろしい。GSSにカザフスタンの美人サビーナが入ったのも同じ理由ですね。僕の好みではありませんが (;^ω^)
エフライム工房 平御幸
室町時代に確立された能の演者は、本阿弥(ほんあみ)や世阿弥(ぜあみ)などのように「阿弥(あみ)」を名乗ります。これも謎の名前なのですが、先の「ささなみ」は「sasan-ami」と分解できます。おそらく、ササン朝ペルシャのゾロアスター教かマニ教の祭司がアミだったのでは。Sasan-amiでペルシャの祭司。この子孫が能を始めて能阿弥となり、その子孫も阿弥を名乗った。仏教の僧の沙弥と同じ意味合いでは。
31番の柿本人麻呂の歌は、「左散難弥乃」と「左に散った難民の阿弥」と解釈できます。この場合の左は、サタンを意味する左端。ササン朝ペルシャの難民として日本に来た近江朝を、サタンの方に堕ちた祭司として、「大わだ淀むとも」と澱んだ水にイメージを重ねているのです。この少ない文字数の中に複雑な意味を込めて隠す。柿本人麻呂は本当に天才です。
『万葉集』は最初の歌が雄略天皇の歌です。原文にはバレーボール選手の名前がたくさん見られます。歌の解釈については、古代史の第五部で行っていますが、イスラエルの籠目紋国旗から始まり、イエスの奇跡が櫛=奇(くす)しきで表されています。
篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母
訓読
篭もよ み篭持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ座せ 我れこそば 告らめ 家をも名をも
仮名
こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち このをかに なつますこ いへきかな のらさね そらみつ やまとのくには おしなべて われこそをれ しきなべて われこそませ われこそば のらめ いへをもなをも
実は、滋賀とササン朝ペルシャの関係が分かったのは、JAぎふリオレーナの選手名に、吉井奎乃(よしい きの)という珍しい漢字を見つけたからです。奎をキと読むのは、漢字検索しても書いてないサイトが多いほど→優秀なサイト。意味は28宿の星座の名前らしい。漢字検定一級の難しい文字ですから、漢字マニアか星座マニアの人が名付け親なのかも。
この難しい字を見ていて、突然にピコーンと閃いたのが「さざなみの滋賀」という言葉の意味。岐阜の試合の前に東レの試合を見ていたので、「吉井選手の京都橘高校→NEC近江選手→近江朝→さざなみの滋賀」と連想できたのです。
ササン朝ペルシャの事実上の滅亡は642年。それから3年後の645年に、問題の女帝・皇極天皇(重祚して後の斉明天皇)の乙巳の変(大化の改新)が起こります。この後に息子とされる天智天皇が近江朝を立てて、飛鳥から滋賀に遷都します。どうも、ササン朝ペルシャの王族が難民として日本にやってきて、クーデターを起こしたと見て良さそうです。
大化の改新は、皇極天皇の寵愛を得た蘇我入鹿の専横を咎めたものとされますが、蘇我氏も西域のソグド人だった可能性があります。古文書で胡人と書かれるのはソグド人の方で、波斯と書かれるペルシャ人とは異なるとする意見もあります。僕は明快な区別はなかったのではないかと思っていますが。
南ユダ王国とササン朝ペルシャの連合が近江朝で、唐の支持を得た北イスラエル王国が明日香や熊野の天武朝。奈良時代は、北イスラエル系の天皇が即位した記念事業として、仏教を中心とした平城京を建設した。奈良の歴史ある寺院の修復事業が、北イスラエル系の今上天皇の即位間近に集中したのもそのためなのです。
バレーボールで、東レの木村選手がトルコリーグに移籍したりしたのも、トルコが突厥(とっけつ)と呼ばれた時代に、南ユダ系のベニヤミン族が支配した因縁からなのです。因縁は恐ろしい。GSSにカザフスタンの美人サビーナが入ったのも同じ理由ですね。僕の好みではありませんが (;^ω^)
エフライム工房 平御幸