景教などの漢訳聖書でマリアは牟婁(むろ)となっています。なぜ、このような難しい字を使うのか?
奈良の室生寺(むろうじ)はマリアの寺と何度も書いてきました。室女と書いてもマリアだからです。室生寺には、マリアが生まれたという意味と、マリアが生きているという両義的解釈が可能です。
牟婁の謎を解くヒントは、本厚木の女神とひたちなかの女神にあります。それぞれがイエスの母マリアとイエスの妻マグダラのマリアに重なる。その間に挟まれる僕はイエスのような神でも偉大でもありませんが、神が2人を通して教えようとしていることは牟婁の奥義です。
この男神と二女神という構図は、実は古代エジプトの古王国にあります。メンカウラー王と二女神像などで、ここに牟婁の謎を解く決定的なヒントが隠されていたのです。それは髪飾りの櫛。櫛には「奇(くす)しき」という意味が託されています。
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メンカウラー王と二女神像
そして、向かって右側の女神の頭の上には、十字架に三叉の形をした牛が櫛を持っている。漢字の成り立ちを調べれば分かりますが、「牛」は「十字架に三叉」そのものなのです→こちら。牟婁の牟という字こそメンカウラーの向かって右に位置する女神=マグダラのマリアの雛形だったのです。
また、マグダラのマリアの和名であるアメノウズメノミコトは天鈿女命と書き、金+田で鈿ですが、鈿は櫛を意味していたのです→こちら。鈿は正しくは簪(かんざし)ですけど、かんざしとは髪に挿すという意味。このように、「牟→鈿→簪→櫛→マグダラのマリア」という構図になるのです。
一方、牟婁の婁は「ろう」と読みますが、分解すると「十二出る女」となります。十二とはイエスの弟子の数で、マリアの息子イエスから十二弟子が出るという意味が隠されていたのです。だから、牟婁の二文字のうち婁がイエスの母マリアを指すと分かります。簪の牟の方がマグダラのマリアを指す。
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ラーヘテプとネフェルト像
以上、『世界の博物館17エジプト博物館』より
古代エジプトの時代から、ラーヘテプとネフェルト像に見られるように、イスラエル=日本人は、夫が右で妻が左に位置します。雛飾りもそうだし、現代の天皇皇后両陛下の公式の場でのお並びも同じです。だから、メンカウラーと二女神も、メンカウラーの左(向かって右)の櫛を頭に持つ方が妻で、右が母親と考えて良いはずです。
髪飾りは妻に贈るもので母親に贈るものではない。室生寺が室寺でなくて「むろう」と読む室生である必然性に気がつけば、正しくは「むろう」と読む牟婁の謎も解ける仕組み。牟婁の二文字で、イエスとマリアとマグダラのマリアを暗示させる凄さ。僕も二人の女神に恐々としている場合ではありませんね。でも、メンカウラーの左右の女神が角を生やしているので、昔から女は怖い存在だったのです(また余計なことを)。クワバラクワバラ (;^ω^)
エフライム工房 平御幸
奈良の室生寺(むろうじ)はマリアの寺と何度も書いてきました。室女と書いてもマリアだからです。室生寺には、マリアが生まれたという意味と、マリアが生きているという両義的解釈が可能です。
牟婁の謎を解くヒントは、本厚木の女神とひたちなかの女神にあります。それぞれがイエスの母マリアとイエスの妻マグダラのマリアに重なる。その間に挟まれる僕はイエスのような神でも偉大でもありませんが、神が2人を通して教えようとしていることは牟婁の奥義です。
この男神と二女神という構図は、実は古代エジプトの古王国にあります。メンカウラー王と二女神像などで、ここに牟婁の謎を解く決定的なヒントが隠されていたのです。それは髪飾りの櫛。櫛には「奇(くす)しき」という意味が託されています。
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メンカウラー王と二女神像
そして、向かって右側の女神の頭の上には、十字架に三叉の形をした牛が櫛を持っている。漢字の成り立ちを調べれば分かりますが、「牛」は「十字架に三叉」そのものなのです→こちら。牟婁の牟という字こそメンカウラーの向かって右に位置する女神=マグダラのマリアの雛形だったのです。
また、マグダラのマリアの和名であるアメノウズメノミコトは天鈿女命と書き、金+田で鈿ですが、鈿は櫛を意味していたのです→こちら。鈿は正しくは簪(かんざし)ですけど、かんざしとは髪に挿すという意味。このように、「牟→鈿→簪→櫛→マグダラのマリア」という構図になるのです。
一方、牟婁の婁は「ろう」と読みますが、分解すると「十二出る女」となります。十二とはイエスの弟子の数で、マリアの息子イエスから十二弟子が出るという意味が隠されていたのです。だから、牟婁の二文字のうち婁がイエスの母マリアを指すと分かります。簪の牟の方がマグダラのマリアを指す。
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ラーヘテプとネフェルト像
以上、『世界の博物館17エジプト博物館』より
古代エジプトの時代から、ラーヘテプとネフェルト像に見られるように、イスラエル=日本人は、夫が右で妻が左に位置します。雛飾りもそうだし、現代の天皇皇后両陛下の公式の場でのお並びも同じです。だから、メンカウラーと二女神も、メンカウラーの左(向かって右)の櫛を頭に持つ方が妻で、右が母親と考えて良いはずです。
髪飾りは妻に贈るもので母親に贈るものではない。室生寺が室寺でなくて「むろう」と読む室生である必然性に気がつけば、正しくは「むろう」と読む牟婁の謎も解ける仕組み。牟婁の二文字で、イエスとマリアとマグダラのマリアを暗示させる凄さ。僕も二人の女神に恐々としている場合ではありませんね。でも、メンカウラーの左右の女神が角を生やしているので、昔から女は怖い存在だったのです(また余計なことを)。クワバラクワバラ (;^ω^)
エフライム工房 平御幸