「小さき声」第22号を復刻しました。
この号は「さすらい」がテーマ。神無き場所をさまよいつつ恵みを見出せない嘆きの詩編56-8の引用からはじまっています。旧約の詩人のいる場所が外国か自国内か分からないが、「たとえエルサレムの中心に住んでいても、神から切り離されるとき、そこが「外国」となり、魂が彷徨する砂漠となり荒野となる」と松本さんは言っています。
そして、「この病は死に至らず 22」では、御自身の「さすらい」について、とくに教会から敢えて離れて、無教会の信仰に徹していった時期の回想へと続きます。「信仰による決断」という、松本さんの以後の行動の鍵となる言葉が、はじめて登場するのもこの号からです。
全生園のハンセン病図書館のコピー製本版には、22号に付属していた「来信」の部分が欠落していましたので、今井館に保管されていた原本から補足しました。これは、台南の皮膚科診療所の看護婦のAさんからの手紙です。
この手紙を読みますと、当時の台南のハンセン病医療の状況の一端を窺い知ることができます。台南では、外来診療を認めていた点は日本よりも進んでいたけれども、貧困のゆえに、患者の生活条件がいかに厳しいものであったかが分かります。
この号は「さすらい」がテーマ。神無き場所をさまよいつつ恵みを見出せない嘆きの詩編56-8の引用からはじまっています。旧約の詩人のいる場所が外国か自国内か分からないが、「たとえエルサレムの中心に住んでいても、神から切り離されるとき、そこが「外国」となり、魂が彷徨する砂漠となり荒野となる」と松本さんは言っています。
そして、「この病は死に至らず 22」では、御自身の「さすらい」について、とくに教会から敢えて離れて、無教会の信仰に徹していった時期の回想へと続きます。「信仰による決断」という、松本さんの以後の行動の鍵となる言葉が、はじめて登場するのもこの号からです。
全生園のハンセン病図書館のコピー製本版には、22号に付属していた「来信」の部分が欠落していましたので、今井館に保管されていた原本から補足しました。これは、台南の皮膚科診療所の看護婦のAさんからの手紙です。
この手紙を読みますと、当時の台南のハンセン病医療の状況の一端を窺い知ることができます。台南では、外来診療を認めていた点は日本よりも進んでいたけれども、貧困のゆえに、患者の生活条件がいかに厳しいものであったかが分かります。