歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

「代表的日本人」と「武士道」との違い

2006-10-27 |  宗教 Religion


新渡戸稲造の「武士道」よりも先に出版された「代表的日本人」には、武士道のなかに「旧き契約」をみいだすという新渡戸と共通する発想があるが、内村が、「旧き契約」として考えていたものは、武士道だけではない。そこには、新日本を建設した「最後のサムライ」だけでなく、封建領主として上杉鷹山、農民聖者としての二宮尊徳、村の教師としての中江藤樹、仏僧の日蓮が論ぜられてる。武士道を含みつつも、それよりもさらに広い視野から日本人の精神的遺産を自覚しようと云う姿勢がみられる。

これらについて今は詳論する余裕がないが、西郷隆盛と同じく陽明学の影響を強く受けた中江藤樹に関する章で、内村が「謙譲の美徳」について語っている点は注目に値する。内村は次のように云う。

何ものも懼れずに独立不羈の人であった藤樹の倫理体系の中で、何よりも注目すべきは、彼が「謙譲の徳(the virtue of humility)」を最高位に置いたことである。藤樹にとって「謙譲の徳」とはすべての源となる根源的な徳であり、謙譲の徳がない人間ならば、すべてを欠いているのとおなじであった。「學者はまず慢心を捨てて、謙譲の徳を求めないならば、どれほど学識や才能があっても、凡庸な迷妄を越え出る資格がないのである」「充実は損失を招き、謙遜は天の法である。謙譲は虚である(Humility is emptiness)。心が虚であるならば、善悪の判断は自ずから生じる」。藤樹は、虚という言葉の意味を説明して、次のように述べる。「昔より真理を求めるものは、この言葉につまずく。霊的(spritual)なるがゆえに虚(empty)であり、虚であるがゆえに霊的である。このことを良く考えよ。

新渡戸稲造の「武士道」に出てくる倫理項目には、「謙譲の徳」(humility)というものはない。そこでは「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」などの儒教倫理が語られている、「謙譲」という徳目はないのである。これに対して、内村は、中江藤樹がこの徳を最高位に置いたことに注目している。

西洋では、キリスト教倫理をギリシャ的な倫理から分かつものは、「謙譲の美徳」に他ならぬ。ただし、そこでいう謙譲とは世俗の徳ではなく、信仰・希望・愛という対神徳に人を導くものとして位置づけられている。アリストテレス的な「中庸」を重んじる世俗の道徳概念では、「謙譲」は「傲慢」と同じく、避けるべき極端であって、決して美徳とはされなかった。謙譲は奴隷にこそ要求されるものであり、自由な市民に相応しくないというのがむしろギリシャ人やローマ人の考え方の主流であった。

「謙譲」がキリスト教倫理で美徳とされるのは、イエス自身の「ケノーシス」(虚しくすること)の行為に倣うがゆえにである。この美徳を中江藤樹の思想の中に見出した内村は、単なる武士道の倫理よりも更に一層キリスト教倫理に近づいたものを、日本人の精神文化の内に見出したといって良いであろう。

内村が、藤樹の和歌を、次のようにキリスト教的に翻訳しているのは興味深い。

  上もなくまた外もなき道のために
  身をすつるこそ身を思ふなれ
   He loves his life who his life forsakes
   For Ways that no like or higher know


「代表的日本人」は、内村自身にとっては過渡期の著作である。それは彼が聖書に基づいて非戦論を唱える前に書かれたものであり、内村自身によれば「キリスト者としての私がその上に接ぎ木されたところの台木を示している」と位置づけられた。しかしながら、内村はそれとともに次の言葉を付け加えることを忘れてはいない。

日蓮、法然、蓮如その他の敬虔な尊敬されるべき人々がすでに私の先輩であり、宗教の本質を私に教えてくれたのである。藤樹らがわが国の教師であり、鷹山らが藩主、尊徳らが篤農家、西郷らが政治家であったのは、私をして、かつてーナザレの神の人の足もとにひれ伏すべく召し出される前に私があった通りのものにするためである。

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