聖書と典礼の研究:ダニエル書の「アザルヤと三人の若者の歌」
聖務日課の先唱、「主よ、私の口を開いて下さい」という祈りの言葉の背景には、旧約聖書によってキリスト者に伝えられたどのような状況が想定されていたのだろうか? 祈りも我々の身勝手な欲求からするものではなく、神の先導による受動から始まり、神の賛美に終わるという教えがそこにあると思われるが、それだけであろうか?
この問いに対するひとつの答えは、聖ベネディクトに由来する荘厳朝課で歌われる「アザルヤと三人の若者の賛歌」(ダニエル書3:24-90)にある。
この賛歌は、七〇人ギリシャ語訳やVulgataラテン語訳の旧約聖書に含まれる「ダニエル書」(3:24-90)にあり、カトリック教会と東方正教会の典礼の歴史の中では非常に尊重された賛歌である。
「アザルヤと三人の若者の賛歌」では、異教徒の残忍な王ネブカドネザルによって燃えさかる炉に投げ込まれたアザルヤが、
今や、私たちは口を開くことができません。恥と屈辱が、あなたの僕ら、あなたを礼拝する者たちに降りかかりました
と「火の中で」語る。彼は、イスラエルの民の不信を痛悔したあとで、「罪の故に異教徒の王の手にかかり、今日、全地で賤しい者となりはてた民が、<打ち砕かれた魂とへりくだる心によって>神に受け入れられること」を祈るのである。
アザルヤの祈りに続いて、ダニエル書は、主によって奇跡的に救済されたことを感謝する「三人の若者の詠頌(Benedictiones)」を記録しているが、それは、この世界のすべての被造物に呼びかける賛歌となっている。
Benedicite omnia opera Domini, Domino:
Laudate et superexaltate eum in saecula・・・
主の造られたすべてのものよ、主を賛美せよ
世々に主をほめ頌え、崇めよ・・・・
カトリック教会でも東方教会でも典礼で重視してきたこの「三人の若者の詠頌」は、ユダヤ教のマソラ本に従うプロテスタント教会の旧約聖書には欠落しているので、その内容を更に詳しく確認しておきたい。それは、詩編の最後におかれた詩編148-150の「ラウダ(宇宙賛歌)」や、後で論じるアッシジのフランシスコの「太陽の歌」の賛歌の背景にあるものを理解する上で必要だからである。
「三人の若者の詠頌」は、ありとあらゆる被造物―天、天使、天の上の水、万軍、太陽と月、天、星、雨と露、風、火と熱、寒暖、露と霜、夜と昼、光と闇、氷と寒さ、霰と雪、稲妻と雲、大地、山と丘、地にはえるすべてのもの、海と川、泉、海の巨大な生き物と水中に動くすべてのもの、空のすべての鳥、地のすべての獣と家畜、人の子ら、イスラエル、祭司たち、僕たち、義人たちの心と魂、聖なる心の謙虚なものーに呼びかけ、Benedicite (賛美せよ)とLaudate (ほめ頌えよ)の交唱のなかで祈り続けた後で、
主が私たちを陰府(よみ)から救い、死の手から救い出して下さった。また燃える炎の炉から解放し、火の只中から解放して下さった
と救済の奇跡を伝え、
Laudate et confitemini ei : quia in omnia saecula misericordia eius
(ほめ頌え、感謝せよ、主の憐れみは永遠)と感謝の言葉でこの詠頌を終えている。
Benedicite (Latin chant, with translation)