松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

弓の素材としての櫨 その5

2007-08-06 19:50:07 | 和弓と櫨
鉄砲が活躍した戦国時代が終わり江戸時代の初期になると、
京都三十三間堂の境内で各藩の弓術家による「通し矢」という
一大イベントが大変人気になりました。

この「通し矢」が、いつ頃始まったかは明確ではありませんが
室町中期の「洛中洛外図」で描かれているそうですから
その行事の歴史は非常に古いようです。

しかし特に大人気になったのは1570年代頃で
1606年(慶長11年)には津島家臣浅岡平兵衛が51本を通して
「天下一」を称し、お堂に掛額をしたのを期に
皆、矢数を競うようになり、諸藩が名誉をかけて
競う風習ができたとのことです。
大衆にも多いにもてはやされ、寛永19年(1614)、
江戸浅草に競射場として三十三間堂が建つほどになりました。

通し矢についてはこちらのサイトに詳しく載っていますが、
座った姿勢のまま次々に素早く矢を放っていくわけです。
恐ろしく投射の技量が試される競技ですよね。

藩の威信と名誉をかけた競技大会ですから、
射手の技術の向上もさることながら
弓矢における改良や開発なども盛んに進められたと思われます。
そうして洗練され、高度な技術によって出来上がった
「弓胎弓(ひごゆみ)」こそ、現在に伝わる伝統的な和弓です。

もう大体想像つきますよね。
この弓胎弓に、なんと櫨が使われているんです。

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