松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

櫨のお値段 江戸時代編 その3

2008-04-09 21:45:56 | 復活奮闘日記
さて、毎日イロイロあって、しばらく間隔があいてしまいましたが
今日こそ櫨の木の値段の話です。

今日は脱線しないで「窮民夜光の珠」をさくっと見てみましょう。
著者の高橋善蔵は、算数の苦手な私でもわかるように
きちんと丁寧に記述しているので助かります。

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最近、私の持っている畑に櫨の木を八本植えた。
収量は次のようであった。
 一、一本は五十斤    一、一本は四十斤
 一、一本は三十五斤   一、一本は十二斤
 一、一本は十斤     一、一本は八斤
 一、一本は七斤     一、一本は五斤
合計 百六十七斤
この売上げ代銀は六十文銭で換算して銀百十八匁八分六厘であった。
ただし、一斤を銭四十三文で売ったものである。
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この場合、一斤を銭43文で売ったと書いてあるので
167斤で7181文。一文=35円で計算すると
櫨の木たったの8本で、約25万円です。
現代風に言えば、ちょっとしたボーナスですね。

ちなみに一斤は600グラムだから167斤は100.2キロ。
そうすると、当時の櫨の実は1キロ2500円位。
現在の櫨の実は1キロ150~190円位ですから、
いかに櫨が珍重されていたかがわかりますね。
ああ、いい時代だったんだなぁ。

善蔵の時代は、まだ櫨の黎明期。
今私たちが目にする伊吉櫨のような大きな櫨の実はなく
やや小ぶりの実だったし、まだまだ若い木だったので、
善蔵はこれがもっと増え、大きく生長したらと思うと
櫨は予想がつかないほどの莫大な儲けを生み出す
宝の木であるという確信を、より深めていました。

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