縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

水俣病50年

2006-06-06 23:56:00 | 環境を考える
 先週、『平成18年版 環境白書』が出された。テーマは「人口減少と環境」、「環境問題の原点 水俣病の50年」の二つである。後者が選ばれたのは、今年で行政が水俣病を公式に確認してから50年になるからである。水俣病の発生、被害拡大の経緯、企業(チッソ)・県・国の対応、そして現在の状況などが記述されているようだ。
 
 ところで、皆さんは水俣病やチッソについて、どのくらい知識をお持ちだろうか。
 水俣病は公害病の代表として学校で習ったと思う。チッソ水俣工場からメチル水銀が正しく処理されないまま海へと流れ出てしまい魚や貝に蓄積され、それを食べた住民が水銀中毒に侵された、というのが水俣病である。
 公式に確認されたのは50年前の1956年5月。ところがチッソ、行政ともに工場排水と水俣病との因果関係を長く認めなかったことから被害が拡大したと言われる。チッソが水俣病の責任を認めたのが1973年の裁判であり、なんと発見の17年後である(勿論、この間、対策は採っていたようだが)。一方で国は水俣病の責任を認めていない。このため『環境白書』がどのような記述になっているのか興味がある。

 次にチッソの話。チッソは1906年創業の歴史のある化学会社である。当初は肥料がメインであり、その後は合成繊維、石油化学、ファインケミカルの分野にも進出している。紙おむつなど衛生材料等に使われる熱接着性複合繊維・ES繊維の開発や、世界でもトップ・クラスの液晶生産など、技術に定評のある中堅化学会社である。
 普通の会社は株主のために存在するが、チッソは違う。チッソは水俣病患者のために存在している。いや、存在させられている、と言うべきだろうか。
 チッソは2006年3月末で1,244億円の債務超過。到底普通の企業では存続し得ない。当然、株主への配当などない。国、熊本県、そして銀行がチッソを支えているのである。患者への補償を支払うためにチッソを存続させてきたのである。

 今のチッソのほとんどの社員は水俣病の発生に直接関わってはいない。50年前の水俣病発見時にはまだ生まれていなかった社員も多いだろう。にもかかわらずチッソの補償は未だに続いており、おそらくこれからも続く。社員は生まれながらにというか、入社とともに水俣病の責任を負っているのである。
 想像して欲しい。日本人は戦争の責任を果たしていない、戦争はあなた方の責任だ、と言われたら、あなたはどう思うだろう。チッソの社員は水俣病のことを知っていて入社したのだから仕方がないと言えば、そうかもしれない。しかし、自らの力の及ばないところで起きたことを非難されても如何ともし難いことに変わりはないと思う。

 この問題を一層複雑にしているのは、当初、地元で水俣病患者への差別が起きたことである。漁師など特定の人間に発生する奇病と見られたり、大企業、更には高度経済成長への反逆と見られたり、と。今の日本では考えられないが、それが当時の日本の現実だったのである。
 が、同じようなことが、今、中国で起きている。環境やそこに暮らす人間よりも、国家としての成長を優先しているかに見える中国。この水俣病の問題から学んで欲しい。公害に苦しむ人と比ぶべくもないが、公害を出した側の人間もやはり苦しんでいるのである。