先日、アフリカ諸国とシンガポールの発展の違いは、国としての危機感の有無に原因があるのではと書いた(2月3日『遠いアフリカ~アフリカの貧困について』)。が、どうやら危機感のないのはアフリカ諸国だけではないようだ。
その国は独裁国家ではない。立派な(?)民主主義国家である。この3年の間、選挙の洗礼、つまり国民の支持を確認することなく総理大臣が3回変わった。最初の二人はわずか1年で総理大臣の地位を投げ出した。3人目も、やる気はあるようだが、今や風前のともし火。
「身から出た錆」とか「口は災いの素」というが、まるでこの方の為にある言葉のよう。信念がないというか、筋が通っていないというか、言うことがコロコロ変わる。定額給付金をもらう人は“さもしい”と言ったかと思えば、皆で給付金をもらって使いましょうと言ってみたり、郵政民営化には反対だの、いや賛成だのと言ったり、枚挙にいとまがない。
総理大臣が総理大臣なら大臣も大臣だ。財務大臣はG7後の記者会見で醜態をさらし、果ては全世界にその情けない姿が配信されてしまった。世界不況への対策を協議する中、その国の危機感のなさが浮き彫りとなった。又、総務大臣も酷い。国民の人気になる、票になるとの政治家の直感から、かんぽの宿の売却問題に噛みついた。理屈を超えたところで政治が介入するとあっては、かんぽの宿に新たな買い手はなかなか現れないだろう。その間、年間40億円とも50億円とも言われるかんぽの宿の赤字は続くわけだし、結局109億円以下の金額でしか売却できなかったとき、彼はどう責任を取るつもりなのだろう。
そんなこんなで内閣支持率は10%そこそこまで低下し、一部では10%割れの結果も出ている。まさに末期状態である。
かつて、この国にも大きな危機があった。欧米列強の植民地になるかもしれないという、国の存亡に係る危機である。幕末から明治維新にかけての話であるが、僕は当時の政治家は本当に立派だったと思う。彼らは、幕府のためとか藩のためといった次元ではなく、勿論、自らの私利私欲のためなどでは毛頭なく、国のために今何をすべきかを考え、行動したのであった。
もっとも、運というか、当時の世界情勢に助けられた面も多分にある。その国が二分され、大きな内乱に発展する可能性のあった19世紀後半、欧米列強は次のような状況にあった。まず世界最強のイギリスはというと、セポイの乱(インド)や太平天国の乱(中国)を通じアジアでの植民地経営の難しさを思い知らされ、貿易で利益を得られれば十分との考えに傾きつつあった。フランスはメキシコ出兵に失敗した第二帝政末期にあり海外で積極的に動けない状態である。それは南北戦争が終わったばかりのアメリカも同じ。が、各国とも貿易による利益を享受したいので、他国に植民地化させるのは避けたいと牽制機能が働いていた。
こうした中、江戸城無血開城をはじめ、大きな内乱となることなく、政権の移譲、政治体制の変革が、短期間のうちに成し遂げられたのであった。その国は長い間鎖国をしていたものの、オランダを通じ、当時の中国の状況など世界情勢を熟知していた。ここで世の中が乱れては欧米列強の思うつぼ、中国の二の舞になってはいけないとの強い危機感が、幕府側にも、そして朝廷・薩長側にもあったのである。
もう一つ、その国の民度の高かったことも植民地化を防いだ理由として挙げられている。儒教の精神が行き届いており皆礼儀正しく、識字率も当時の欧米以上に高かったという。未開の国、野蛮な国といった征服対象の国ではなく、十分交渉できる国として見なされたというのである。
この説の真偽は定かではないが、仮に正しいとしたとき、今でもそれは当てはまるだろうか。欧米から敬意をもって見られる国なのだろうか。例えば、国会中継を見てみよう。罵詈雑言が飛び交い、とても礼儀正しい、年長者を敬うとは思えないし、一国を代表する総理大臣が「みぞうゆう」の危機と言うようでは識字率の高さも怪しい。
やれやれ。巷で“Japan passing(日本無視)”などと言われ、日本の存在感が低下する中、たとえ悪役であろうが“Japan bashing(日本叩き)”と相手にされていた頃が無性に懐かしい。
その国は独裁国家ではない。立派な(?)民主主義国家である。この3年の間、選挙の洗礼、つまり国民の支持を確認することなく総理大臣が3回変わった。最初の二人はわずか1年で総理大臣の地位を投げ出した。3人目も、やる気はあるようだが、今や風前のともし火。
「身から出た錆」とか「口は災いの素」というが、まるでこの方の為にある言葉のよう。信念がないというか、筋が通っていないというか、言うことがコロコロ変わる。定額給付金をもらう人は“さもしい”と言ったかと思えば、皆で給付金をもらって使いましょうと言ってみたり、郵政民営化には反対だの、いや賛成だのと言ったり、枚挙にいとまがない。
総理大臣が総理大臣なら大臣も大臣だ。財務大臣はG7後の記者会見で醜態をさらし、果ては全世界にその情けない姿が配信されてしまった。世界不況への対策を協議する中、その国の危機感のなさが浮き彫りとなった。又、総務大臣も酷い。国民の人気になる、票になるとの政治家の直感から、かんぽの宿の売却問題に噛みついた。理屈を超えたところで政治が介入するとあっては、かんぽの宿に新たな買い手はなかなか現れないだろう。その間、年間40億円とも50億円とも言われるかんぽの宿の赤字は続くわけだし、結局109億円以下の金額でしか売却できなかったとき、彼はどう責任を取るつもりなのだろう。
そんなこんなで内閣支持率は10%そこそこまで低下し、一部では10%割れの結果も出ている。まさに末期状態である。
かつて、この国にも大きな危機があった。欧米列強の植民地になるかもしれないという、国の存亡に係る危機である。幕末から明治維新にかけての話であるが、僕は当時の政治家は本当に立派だったと思う。彼らは、幕府のためとか藩のためといった次元ではなく、勿論、自らの私利私欲のためなどでは毛頭なく、国のために今何をすべきかを考え、行動したのであった。
もっとも、運というか、当時の世界情勢に助けられた面も多分にある。その国が二分され、大きな内乱に発展する可能性のあった19世紀後半、欧米列強は次のような状況にあった。まず世界最強のイギリスはというと、セポイの乱(インド)や太平天国の乱(中国)を通じアジアでの植民地経営の難しさを思い知らされ、貿易で利益を得られれば十分との考えに傾きつつあった。フランスはメキシコ出兵に失敗した第二帝政末期にあり海外で積極的に動けない状態である。それは南北戦争が終わったばかりのアメリカも同じ。が、各国とも貿易による利益を享受したいので、他国に植民地化させるのは避けたいと牽制機能が働いていた。
こうした中、江戸城無血開城をはじめ、大きな内乱となることなく、政権の移譲、政治体制の変革が、短期間のうちに成し遂げられたのであった。その国は長い間鎖国をしていたものの、オランダを通じ、当時の中国の状況など世界情勢を熟知していた。ここで世の中が乱れては欧米列強の思うつぼ、中国の二の舞になってはいけないとの強い危機感が、幕府側にも、そして朝廷・薩長側にもあったのである。
もう一つ、その国の民度の高かったことも植民地化を防いだ理由として挙げられている。儒教の精神が行き届いており皆礼儀正しく、識字率も当時の欧米以上に高かったという。未開の国、野蛮な国といった征服対象の国ではなく、十分交渉できる国として見なされたというのである。
この説の真偽は定かではないが、仮に正しいとしたとき、今でもそれは当てはまるだろうか。欧米から敬意をもって見られる国なのだろうか。例えば、国会中継を見てみよう。罵詈雑言が飛び交い、とても礼儀正しい、年長者を敬うとは思えないし、一国を代表する総理大臣が「みぞうゆう」の危機と言うようでは識字率の高さも怪しい。
やれやれ。巷で“Japan passing(日本無視)”などと言われ、日本の存在感が低下する中、たとえ悪役であろうが“Japan bashing(日本叩き)”と相手にされていた頃が無性に懐かしい。