ヨーロッパにおける産業革命までは人は人力と動物力だけで生活し、仕事をしていた。蒸気機関ができることでエネルギーのあり方が変わった。この産業革命以降、人間は「より速く、より遠くへ、より効率的に物を動かす」時代へと突入し、現在も未だその延長線の中にいる。AIやIotと言ってもそれは革命ではなく、産業革命の延長だとのいうことだ。「より速く、より遠くへ、より効率的に」という理念は、エネルギーにおいても化石燃料、原子力、風力、水力、地熱などを生み出し、将来的にはとりあえずシェールガスやオイル、メタンハイドレード、水素、マグネシウムなど、となっていくのだろう。
ところが、先進諸国では、利子率の低下現象が続いている。ゼロ金利まで行われ、マイナス金利まで導入される。それでも経済成長が難しい。
このことは何を意味するのか。作るものがめいっぱいであり、買う側ももうほとんどを持っていて買うに値するものが製品寿命による買い替えくらいのものしかないということを示している。
産業革命による人間の働き方は、人間を選別ぢていくことになるのだろう。コンピュータができなければ就職できない、にとどまらず、コンピュータの操作はできても、それがAIなどにとって替わる、といえばわかりやすいかもしれない。
もうこれ以上作るものがないという状況下で、利息をゼロまでにしても生産力があがるとは思えない。
こう考えると、大きな矛盾にぶち当たる。そして、それは経済的な変革よりも精神的な、行き方的な変更を迫っているように思える。
もしかしたら、「よりスローで、より近くで、より非効率的」な生き方なのかもしれない。働き過ぎの日本人。このく国を背負う、いまの30代、40代が老年期になる頃、報われればいいが。
その気配は今のところない。すると、自分で生き方をさぐるしかない。