25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

歴史認識?

2019年11月15日 | 社会・経済・政治
「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて (中公新書) 新書 大沼 保昭 (著) インタビュア 江川 紹子 の広告が載っていたのが記憶にあって、昨日TSUTAYA に行ったらその本があったので、さっそく買って読んでいる。

 そもそも「歴史認識」と言えば、ぼくであるなら、日本列島人の歴史は天皇家の歴史よりずっと長いよ、などと認識したり、今いる自分は延々と人類の誕生から途切れることなく生きてきたからこそ今ここにいるよ、と思うようなことが歴史認識だと思っていたら、あるほんのコマメな一部の人が歴史認識とは「日本と韓国」「日本と中国」との関係の中で1928年(張作霖爆殺事件)から1945年の敗戦に至るまでに起きたことに対する認識の違いが生ずることから「慰安婦問題」「南京虐殺問題」が取りざたされ、さらに戦後すぐの「東京裁判」、現在の「靖国問題」などを指して言うようになった。

 ぼくなんかはその時期には生きていなかったからいろいろな本を読んだり、人の話を聞いて判断するしかない。またその時代の渦中にいるときは人はわけがわかなくなるもので、それが馬鹿だった、愚かだったとは一般の大衆には言いたくないが、大衆とて、過ぎてみれば塗炭の苦しみを負ったのは大衆であり、大きな犠牲を払ったのも大衆であり、責任をとったのも大衆であったはずだ。なにせ310万人死んだのである。飢餓、病死、自殺・・・デスクの前でふんぞり返っていたのが内閣の大臣や軍部の幹部であったのは確かである。
 それでいろいろな本とは実にいろいろな本であるが、ぼくとしては半藤一利の「昭和史」と吉田裕の「日本軍兵士」、吉本隆明の「戦争論」を読んでおけばそれで判断はつくと思う。それに『「歴史認識」とは何かー対立の構図を越えて』を加えてもよい。「日本軍兵士」もこれも思いつきで言うのではなく、心情で述べるのではなく、調査、研究した上での著書であるからだ。

 ぼくは学校の歴史教科書を読んでも自虐史観だなどと思ったこともない。思うに日本には石油という資源はないのだから元々戦争などしてはいけない国なのだ。大日本帝国などと大言壮語がまかりとおる国ではないのだ。石油がなければ戦争はできないではないか。ないから他所へとりに行くのではないか。いわば戦争をやる資格がない、というよりも戦争する条件がない、と言ってもよい。そんなことはわかっているのに戦争をしたのだから、今に生きるぼくは「呆れる」のである。「人を殺しにいく」という心情にも呆れるのであるが。

 「しかたかった戦争」などあるはずはなく、しかたないのなら、グッと我慢してこらえばよかったのだし、リーダーというのはその判断をする人なのだ。

 ところでアメリカ。アメリカは中国を敵視し、責めるが、アメリカは悪いよ。イラク戦争を起こしてイラクやシリアをメチャクチャにした。空爆し、市民を殺し、イスラム国を生ませ、クルド人がやられる。中国は他所の国にそんな悪さをしていない。ロシアはする。アメリカは戦争大好き国家じゃないか。ずっと戦争をしている。戦争を終えたことがない。それでもって「えらそう」である。強いものの方が滅びるという人類の教訓を忘れている。これはぼくの歴史認識である。