25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

男優

2019年11月28日 | 映画
 男で格好いい俳優がいる。中でもぼくが好ましいと思っているのは、瑛太、小栗旬、反町隆史、向井理である。中井貴一や阿部寛、渡辺謙は雛壇に置いておく。先の四人ともこれからが勝負なのだろう。よいドラマ、よい役に当たってもらいたい。なかなか今の日本の映画ではよい作品があまりないから、心配する。「復讐するは我にあり」で緒形拳は殺人鬼を演じた。この映画は実際の事件があり佐木隆三が裁判に出掛け、調書を見てルポルタージュとして書いたものが原作である。ミヤコ蝶々が異常なあまやかしかたをする母親役で、三国連太郎が確かクリスチャンで、厳格な男親だった。だが本当の父親の姿はクリスチャンとはほど遠いものだった。そんな親の息子で殺人鬼になってしまった榎津という男を演じた。すさまじかった。中井貴一と阿部寛は「柘榴坂の仇討ち」で追う者と追われる者。確かな俳優魂を見せてくれた。
 俳優は若い時期はさっさと過ぎて行き、これからが本番だ。
 でんでんという俳優は「復讐するは我にあり」を見て、こんなを役やってみたいと思ったのだそうだ。その念が通じたのだろうか、彼に「冷たい熱帯魚」での殺人鬼役が回ってきた。これは全くのはまり役で内臓を取り出し腸でぐちょぐちょになった風呂場でのシーンなどはおぞましかった。園子温監督だった。ぼくはこの時にピエール滝とかリリーフランキーという俳優の隠れた一面を監督が引き出したのはさすがだと思った。人間には薄気味悪いところがあるものだ。リリーフランキーなどは「Covers」で冗談を混ぜて軽妙に司会をする芸能界で生きるオッサンである。それがガラリと変わる。でんでんはその年の映画賞を総なめにした。助演男優賞である。
 丹波哲郎は映画「砂の器」の刑事役がはまっていた。

 現在の俳優は映画にだけ出ていればよい状況ではない。それは高倉健で終わったのだ。十年経って、二十年経って、彼らにどんな役が回ってくるだろうか。

 この前、友人らと食事して、「見出す人、引き出す人」の話題に少しなった。ぼくは今バッハの「無伴奏チェロ組曲」(2種あるので、まとめてそう呼んでおく)を毎夜聴いているのだが、このバッハを見出したのはメンデルスゾーンである。バッハの死後のことである。伊藤若冲を現在の若冲ブームにしたのはアメリカの石油会社の社長のは当たり前息子ジョー・プライスさんである。車を買おうと思ってお金をもって歩いていたときに骨董屋さんお店先に飾ってあった、と言っていた。日本人より先に見出したのである。

 引き出す人、見出す人というのはとても重要である。今、反町隆史は「相棒」で修業している。瑛太や小栗旬、向井理もそれぞれに何かをやっているのだろう。何者かに引き出されて才能がいかんなく発揮されてほしい。


井上陽水の歌詞

2019年11月28日 | 音楽 ポップス
 昨日の井上陽水の歌詞について論議する番組「Love Songs」だったと思うが、興味深かった。ぼくがイギリスから帰った1973年には井上陽水のアルバムが大ヒットしていた。ぼくはキャロルキングを聴いていて、クラシックなどにも手を出していた頃だった。あの字余りのような歌詞が気にいらず、陽水の歌はずっと避けてきたのだった。ところが「陽水トリビュート」が十年ほど前に出て、いろいろな歌手が歌っているのを聞いて、井上陽水って、いい歌を作っているんだと思ったのだった。

 そしてぼくは鈍感なのだろうか。歌詞は面白かったが、思い付きのコラージュみたいなもんだろう、と思っていた。ところが昨日4人の男女、作家やシンガーソングライターは真剣に歌詞について論じていた。

 リバーサイドホテルの歌詞には重複した同じ意味をした箇所がある。たぶんわざとそうしている。

 部屋のドアは金属メタル
 に浮かんだプールでひと泳ぎ
 川沿いリバーサイド

 チェックインなら寝顔を見せるだけ

  これは意味不明である。女の作家は「死んでいるのではないか」「川は三途の川で生の側と死の側の境にプールがあるのではないか」と言う。へえ、そんなもんかね。つまりこれは心中の歌だということになる。ぼくはチェックインの時に、バスで疲れたような顔して、男がカウンターでサインするときに眠そうな顔をしてそばにいたという程度の理解だったが、おお、「心中」と読むか、人それぞれだなあ、と思ったのだった。ぼくは熱心に陽水を追いかけてきていない。が昨日のいくつかの初期の作品を読んでいると、コラージュというのは当てはまっていないと感じた。歌詞に一貫して言いたいことがあり、それが一行の歌詞の前後と意味としても繋がっていた。どうやらつながってこず、切り貼りのコラージュのように思えたのは中期以降の作品なのかもしれない。ぼくはテレビで歌う気持ちの悪い妖怪っぽい歌い方の陽水とセットで印象に残っている。

 「帰れない二人」は一体どこに帰るのか、どうなるのか。「もう星は帰ろうとしている 帰れない二人を残して」 ぼくは単純にとても互いに好きあっていて、いつまで経って離れたくなくて、帰れない恋人どうし」という風に読むが、これも心中好きの女性作家はみちゆきの歌ととる。へえーーーーー。深読みすぎじゃないか。

 こんなとき作家が実はこうなんですよ、と言ってくれればいいが、決して言わない。それが有名作家の醍醐味である。テレビ好きな井上陽水はニタニタしながら歌詞論議を聴いていたことだろう。

 松任谷由実もやってほしいし、中島みゆきもやってほしいものだ。