マグラン(ボロブドゥールがある)とジョクジャカルタ間の国道がムラピ山からの泥流で寸断されている。
私が子供のころ、あるいはそれ以前の日本、学校以外の勉強塾が無かった頃、家庭環境イコール親の能力そのままに学校の勉強の成績に関係していた。親の能力や家庭環境に関係していたのは、勿論、勉強だけでは無かった。運動会で駆けッこが速い友達の親も足が速くて積極的に父兄の競争に参加していたし、ソフトボールの上手な子の親は、練習の手伝いを良くしていたし、キャッチボールを道端で良くしていた。鍛冶屋の子が、工作が上手だったり、町内の集まりで、酒を飲んで踊りだしたり、何やら落語のように冗談や洒落の話をしだす大人がいた。その子供も、目立ちたがり屋で、皆の前で、物まねをしたり、歌を歌ったりしていた。
中学卒で就職する人、商業や工業、農業の高校へ行く人、そして、わずかな人が、普通高等学校へ進み大学を目指す。中卒で、ある程度方向を決めて目指した。適材適職は中卒から始まっていた。
私の中学三年の時の同級生で小柄だが頭が良くて腕っ節が強い奴がいた。小学校のころから野球で有名だった。其の同級の時に彼の野球部は県大会で三位になり、本人は首位打者になった。高校も同じだった。彼は勉強そっちのけで野球に打ち込んだと思う。私はどちら付かずの中途半端な高校生活を送ってしまった。二年の時、あれよあれよという間に甲子園で決勝まで行ってしまった。彼はセカンド。決勝では柴田の法政二高に負けてしまったが、彼は柴田から二本ヒットを打った。その後早稲田で野球をやっていたが、明治神宮でかれの姿を見ることは無かった。しかし、社会人になって、車のセールスを立派に務めあげた。自慢の同級です。同級会では彼はそのことを話さないので私も話題にはしない。
もう一人、印象深い同級生がいた。ここしばらく、集まる機会が無いが、同級会は必ず彼が経営する静岡でも有名なフグ料理亭“春日”に集まることにしていた。一人前一万二万するフルコースを5五千円位でOK。
成田空港の管制塔とガルーダインドネシアの機内
才能、天性、得意