そのかれ、小学校は別だったのでどういう子か知らなかったが、中学で同級になって、これが、運動部にも文化部にも属せず、勉強もどうしようもなかったようだ、存在感は全くなかった。とても高校受験する子ではなかった。当時は一学級50~60人、静岡市は中高一貫の女学校が多く、市立の中学の男女比率は3;2くらいだった。そのうち、進学のための普通高校、女学校へ行くのは10~15人、工業、商業など専門高校へは20~30人、残りの20~25人は就職だった。
中学就職は大工、左官、店員、中小企業の作業者、などなど、就職には困ることは無かった。売り手市場だった。ところが、彼は、なかなか就職を決めることが出来なかった。卒業するときになっても受け入れ先が見つからず、担任が困り果て、校長に相談し、そのコネで、ふぐ料理屋へ丁稚奉公出来ることにやっとなった。それが、それから20年後、官公庁の職員と彼らにすり寄る建設業者や議員たちの接待用の奥座敷になった。また、談合の会場になった。中学の時には想像も出来ない、市や県、裏情報を握る隠れた大物になっていた。
領収書を発行しない世界なので、収入や利益をはっきりさせることが出来ない。もともと、数字は苦手なので、関心もない。税務署に目を付けられ、帳簿が殆ど無いので、河豚を何匹仕入れたかで、売り上げを計算されて、納税額を計算されたそうで、何千万納めたという。それでも、彼にしてみれば、もっと、取られると思っていたと言っていた。
だから、同級生に来てもらって、安くても、彼の料理を振る舞うことは彼の誇りでもあると思う。
味は一流で、ある時、太田化工の従業員を連れて、食事に行った時、奥さんにといって、土産に鯵のフライを渡された。これが、うまい、そこらの惣菜屋やスーパーの惣菜コーナーで売っているものとは全く別物、妻も、また、貰ってきてと、言っていて、それから、何回か、スーパーで売っている値段で分けてもらったことがある。
スキューバダイビングを今でもやっているのでしょうか、4~50歳のころは南太平洋へ潜りに行くのが楽しみだといっていた。
高学歴イコール成功と思っている母親は、私から言えば、大間違い、全然関係ないどころか、早くから才能を伸ばすという観点から見れば、本人の才能を潰してしまっているのです。
才能、丁稚、中卒