南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆人は欲で作られている

2011-08-20 22:32:36 | 矛盾

今、インドネシアで一番有名な人の名前は、ナザルディンです。複雑すぎて私にはよくわからない。知っていることは、国の金をかなりの額、懐に入れたひと、大統領と同じ民主党の人、一か月以上前から指名手配されていて、国外で逃避行をしていた。南アメリカのコロンビアで拘束されて、つい、数日前に、インドネシアへ戻された。その費用が、二十億円とも、三十億円とも云われている。KPK(汚職追及委員会)で尋問が始められた。

この流れをナザルディン劇場と言われている。どんな人の名前がこの人から出てくるか、それを心配している政治家も多いと思う。暗殺などの口封じをねらう人から、彼を護衛するという理由で、高額な護衛費用を使っているという話もされている。

これは、欲望のぶつかり合いでしょう。

 これも、毎年のことだが、金持ちと自負する人達が自己満足を満たすために、お米や砂糖や洗剤や日常的に食べたり使ったり知るものを低所得者に振る舞う。その方法が、一か所にそれらを集めて置いて、開門と共に一斉にその場所に殺到するというやり方です。多くの怪我人は勿論、何人かの人もその群衆の中で亡くなる。同じ場所で同じ人が振る舞う。そこで、繰り返すのです。

プアサは欲望を抑えるはずですが、与える方は自己満足という欲望を丸出しにする。貧困者は物欲を丸出しにする。変だと思うが、イスラム的には、問題ないらしい。

プアサはモハメッド将軍がアラーの神がそういっている、といって、支配下の人々に義務付けたことから始まる。イスラムの各種習慣や制度は、全て、この流れで、出来上がっている。それは、モハメッド将軍の欲望そのものです。聖職者と言われる人々は、どんな宗教であっても、それらで信じられていることを、民衆に、広げて信じる人を増やしたい。同じ宗教観を持った人を増やしたいという欲望そのものです。それぞれの宗教を信じれば、幸せになれる、死んだ後は天国へ行ける、といって、人々の欲望を掻きたてているのです。欲とよくとのぶつかり合いです。

人間の本能は様々な欲で出来上がっている。その欲で塊の人間が神を作ったのですから、当然、どの神も、欲を丸出しにしている。

そして、人間は、その神(仲介者である預言者や聖職者)を信じてしまえば、洗脳されたということになる。その洗脳された程度は、人によって違うことも当然です。人間ですから、一人一人違いがある。

私のように、誰からも洗脳されていないと思っている日本人は多いと思う。宗教的行事は生まれながらに参加しているというか、付き合っているが、それらは、生活の便宜上、都合が良いから、参加したり、使ったりしているが、何かを信じているからではない。宗教を信じなくても、自分の欲望を満たすことができると思っていて、その欲望は何かと言うと、「他人に迷惑を掛けない範囲で自分がしたいようにしたい。自由に活きたい」です。それでも、自分が意識しないで迷惑を掛けていることもあるかもしれないとか、それは、いつも、意識をしようと思っている。ただし、明らかに人に迷惑を掛けていると私が思う、人や団体を私は容認しない。自分や身の回りに降りかかってくれば反撃をする。

今も、その反撃はしている。私の欲を満たすためです。

 プアサの時の方が混むフードコート。新札を10%増しの金額で売っている女性です。日本のお年玉のような習慣で、新札で小遣をばら撒くのです。

反撃 無抵抗 程度

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